第三十三話
いよいよ日差しが強い六月。
この時期は貴族の社交シーズンが最も活発になる。
街を走る馬車も、商業的なものより煌びやかなものが目立つようになってきた。
カントリーハウスからタウンハウスへと戻った貴族たちは、夜毎舞踏会や晩餐会へと繰り出しているのだろう。
元貴族であるアーロンさんの元にも、しばしば招待状らしき手紙が届いている。
オスカーさんの晩餐会の時のように、私も付き添いで参加することがあるかもと身構えていたが、今のところアーロンさんが社交の場に参加する様子は無い。
不思議に思って尋ねてみたところ、アーロンさんは眉間に深い皺を刻んで
「下手に顔を出して親族にでも会おうものなら、何を言われるか分かったものじゃない」
と忌々しげに答えた。
よほど折り合いが悪いのか、苦虫でもかみ潰したような顔をしていたのを思い浮かべつつ、私は机の上に積まれた郵便物の山を眺める。
私が解決した事件の数も四つになった。
表向きは警察が解決したことになっているが、どこから話が漏れるのか、凶悪事件を解決する少女探偵の噂がまことしやかに囁かれはじめている。
そして何やら、その少女探偵は美貌の紳士を助手にしている、という話になっているらしいのだ。
ここのところ、近所を歩くだけでやけに視線を感じるのは、気のせいではないだろう。
「助手って……ねぇ……」
思わず乾いた笑いが口から漏れる。
どこまで事件を見通しているのかさっぱり分からないあの男が、助手という肩書きに収まる器だろうか。
いっそ探偵と助手の立ち位置を入れ替えた方がしっくりくる。
そんなことを考えながら手紙の山を眺めているうちに、ふと一つの便箋が目に留まった。
真白い高級そうな便箋には、アーロンさんの名前ではなく私の名前が記されている。
この家に届く手紙はほとんどがアーロンさん宛てだが、たまに私宛てのものがあれば、アーロンさんが部屋に届けてくれる。
渡し忘れだろうか、と手に取って眺めていると、後ろからひょいと手紙を奪われた。
振り返ると、何故か不機嫌そうな顔をしたアーロンさんが立っている。
「ちょっと、それ私の名前が書いてあるわよ。私宛ての手紙でしょ」
「気のせいだよ」
そう言って手紙を内ポケットにしまおうとするアーロンさんの袖を掴む。
「嘘。絶対私の名前が書いてあった」
「見間違いだろう」
アーロンさんの目をじっと見つめると、アーロンさんは視線を逸らした。
「何か後ろめたいことがあるの?」
私の問いかけに、アーロンさんは唇を引き結ぶ。
かと思うと、やにわに眉を下げ、困ったような顔を作った。
「お願いだから、見なかったことにしてくれないかな」
しおらしい態度で、アーロンさんが懇願する。
美しい顔に縋るような色を乗せ、こちらの庇護欲を煽ろうとしているようだ。
手馴れた様子からして、この顔と仕草で今までいろんなことを誤魔化してきたのであろうことが伺えた。
「無理、いいから渡して」
にべもなく断って手を出すと、アーロンさんは愕然とした顔でこちらを見下ろした。
「えっ……もしかして今、私の渾身のお願いを断ったのかい?」
「アーロンさんがどれだけあざとかろうと、頼みを聞くかどうかには一切関係ないもの」
私の言葉にアーロンさんは数秒ほど閉口した後、突然大声で笑いだした。
「あっはっはっ! ルル、君という人は本当に面白いね」
何も面白いことなんかないだろうという気持ちをこめて無言で見つめると、アーロンさんは観念したように手紙を差し出してきた。
受け取り、改めて手紙を確認する。
便箋は柔らかいコットン紙で出来ている。
封筒の封は既に切られていた。
アーロンさんが勝手に検閲したのだろう。
中身を取り出すと、同じくコットン紙で出来た手紙が入っていた。
手紙から微かに薔薇の香りがする。
随分洒落た手紙を送る人もいるものだと思いながら、私は手紙の内容に目を通した。
『ルーシー・アシュフォード嬢』
綺麗で、それでいながら硬質な字が、濃い青のインクで綴られている。
『無礼を承知で筆をとる。巷でかねがね噂になっている貴女の助力を求めたい。もしお引き受けいただけるなら、窓辺に白い薔薇を飾ってほしい。その花を確認した後、すぐに遣いのものを寄越そう。――B』
手紙を読み終えて顔を上げると、先程までご機嫌だったはずのアーロンさんがまた憮然とした顔をしていた。
「ただの依頼の手紙じゃない。どうして隠すのよ」
「いいや、こんな差出人の名前も書けないような依頼は信用しない方が良い。何かの罠かもしれない」
罠なんかあるわけないじゃない、と返そうとして、私はアーロンさんがやたらに瞬きを繰り返していることに気がついた。
「……もしかして、差出人に心当たりがあるの?」
「さあ?」
アーロンさんは明後日の方向を見て答える。
先程からの子供っぽい拗ねた態度に、この手紙の高級感。
ある予想が脳裏に浮かんだ。
「この手紙の差出人は、アーロンさんの知り合いのね」
アーロンさんはそろりとこちらに視線を向ける。
「……やはりバレるか」
「そうね。いくらなんでも挙動が怪しすぎるわよ」
私の言葉に諦めたように肩を落とし、アーロンさんは口を開く。
「恐らく差出人はモントローズ伯爵だ。モントローズ家は由緒正しい名家だが、ある問題を抱えている。相談内容はそのことだろう」
「問題って?」
問いかけると、アーロンさんは唇を三日月の形に吊り上げた。
「呪われているんだよ」
「のっ……」
思わず絶句する私の顔を見て、アーロンさんはやれやれと言わんばかりに首を振った。
「今回の依頼はパスでいいんじゃないかな。呪いなんて探偵が解決することではないし、君自身も呪われかねないよ」
そう言って、アーロンさんは呪術師が呪いをかけるようなジェスチャーをする。
この男、自分が乗り気じゃないからって怖がらせようとしているらしい。
「いいえ、せっかく依頼が来たんだもの。話くらいは聞きに行きます」
ぴしゃりと言い放つと、アーロンさんの顔が歪む。
「……怖がりのくせに」
「それはそれ、これはこれよ。アーロンさんこそ、呪いが怖くてダダこねてるんじゃないでしょうね」
「まさか」
アーロンさんは肩を竦め、目を細める。
「私がオカルトを信じそうに見えるかい?」
「どうかしらね」
オカルトみたいに綺麗な顔はしてると思うけど、と心の中でこっそり付け加える。
もし淫魔とかいう存在がいるなら、多分アーロンさんみたいな顔をしているに違いない。
「ともかく、白い薔薇が必要ね。すぐに花屋に行かないと」
パン、と手を打って話を戻すと、アーロンさんはゆるく微笑んだ。
「近くに行きつけの花屋があるから、一緒に行こうか」
「ええ」
頷きつつ、私は目を細めた。
行きつけと言うほど足繁く花屋に通って、一体誰に花を送っているのやら。
――
翌日。
まだ薄暗い部屋の扉がノックされた。
「ルル、お客様が来たよ。早く着替えて降りてきなさい」
アーロンさんの言葉に慌てて飛び起きる。
急いで身支度を整えて階下に降りると、居間に一人の青年の姿があった。
「はじめまして。あなたが依頼人の方?」
青年は苦笑混じりに首を横に振る。
「いいえ、僕は単なる代理人です。」
青年はウィリアムと名乗った。
新緑のような爽やかな瞳と金糸のような髪をしている。
アーロンさんほどではないが、整った顔立ちだ。
「依頼人は私の叔父でして。モントローズ伯爵という人なんだけど、面識はあるかな?」
覚えがないので首を横に振ると、アーロンさんがくすくすと笑った。
「ルルも顔は見たことがあるはずだよ」
「えっ、嘘。どこで?」
「それこそオスカーの晩餐会でね。マルクの取り調べを受けている時に、発言した貴族が一人いただろう?」
「ああ、あの気難しそうな……」
脳裏に一人の男性の顔が浮かんだ。
オスカーさんが晩餐会で食事を口にしていなかったと証言した男性だ。
初老の男性で、オスカーさんの事が嫌いなのかと思うほど不機嫌そうな顔をして証言していた姿が印象的だった。
「そうそう、その気難しそうな」
私の言葉に、笑いながらウィリアムさんが肯定する。
「伯爵家は呪われているって聞いたけど、本当?」
「おっと、アーロン殿。陰口とは関心しませんね」
ウィリアムさんに冗談ぽく睨まれ、アーロンさんは肩を竦める。
「事実だろう?」
「まあ、そういう噂があるのは事実ですが……」
ウィリアムさんは苦笑して、私に視線を戻す。
「ルーシーさんは、呪いとか幽霊とか、そういうオカルトチックなことは信じる方ですか?」
私は首を捻って少し考えたあと、緩く首を横に振った。
「信じてはいないわ。信じてはいないけど……苦手だわ」
「なるほど、僕と同じですね。僕も信じているわけではありませんが、夢見が悪い時は部屋に蹄鉄をぶら下げたりします」
ウィリアムさんが真面目な顔をして魔除けの蹄鉄を吊るす様子を想像して、つい吹き出してしまう。
真面目そうな青年という印象だったが、案外可愛いところもあるものだ。
「話が盛り上がっているところ悪いけど、そろそろ出発した方が良いんじゃないかな? モントローズ伯爵の屋敷まで、ここから二十分はかかると思うよ」
横からアーロンさんが口を挟む。
先程までとは打って変わって淡々とした口調だ。
「おっと失礼。表に馬車を用意してますので、詳しいことは移動しながら話しましょう」
ウィリアムさんの言葉に頷き、私たちは階下へと向かった。




