第三十一話
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深夜。
人気のない公園は静まり返っている。
中央区はこの街の中では比較的治安の良い方だとはいえ、女性が夜歩きするなんて常識では考えられない。
それを、ボンボン育ちのお嬢様であるマーガレットに誘われたことが、とてつもなく滑稽だった。
「良かったら飲まない? ……飲まないと、話せないのよ」
そう言ってマーガレットがフラスコに入った酒をこちらに向ける。
その手が震えているのを見て私は目を細めた。
「ええ、いただくわ」
そう言ってフラスコを受け取ると、マーガレットはホッとした顔をしてもう片方のフラスコに口をつけた。
普段酒を口にしないマーガレットは数分もしないうちに顔が真っ赤になる。
「やだマーガレット、あんたこんな少量で酔ってるの?」
「酔ってなんか……あなたも飲みなさいよ」
ふらふらと頭を揺らしながら、マーガレットが私に酒を勧める。
「そりゃいただくけど……あ、マーガレット、なにか落としたわよ」
「あら、何かしら……?」
フラスコを持ったまま足元を覗き込むマーガレットに、零すわよと声をかけて手を差し出すと、マーガレットは簡単にフラスコを手放した。
馬鹿にされているのだろうな、と内心で呟く。
私が何も知らない田舎娘だと思って見下している。
だから、今まさに殺そうとしている相手に、自分の酒を平然と渡してしまうようなミスをするのだ。
良いところのお嬢さんから見れば、新大陸出身の田舎女優なんて、対等な立場ですらないのだろう。
彼女がアクセントの間違いを指摘する度、薄らとそれが感じられた。
だから、何も出来ないわけではないのだと証明するために、男を寝とって見せたのに。
こうなったのは、全部あなたのせいじゃない。
こっそりと、二つのフラスコを入れ替える。
「何よ、何も無いじゃない」
「あらそう? ごめんなさい、見間違えたのかしら」
そう言って、私の分のフラスコを渡すと、マーガレットは疑いもせず受け取った。
目の前で酒を呷って見せると、マーガレットは期待した目をしてこちらを見つめる。
「あなたも、もっと飲みなさいよマーガレット。今日は女同士の話があるんでしょう?」
そう言うと、マーガレットはヘラヘラと笑いながらフラスコに口をつけた。
散々見下していた田舎娘に殺されるって、どんな気分なのかしら。
胸の中に宿るほの暗い感情をひた隠しながら、私は薬入りの酒の効果が現れるのを待った。
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ぎりぎりと、硬い音がヴィヴィアンさんの方から響く。
力強く歯を噛み締める音だ。
無言でこちらを睨みつけていたヴィヴィアンさんだったが、突如として床を蹴り、こちらに肉薄した。
だが、すんでのところでマルクさんがヴィヴィアンさんを取り押さえる。
「このペテン師! 紅茶中毒のウスノロ! 薄っぺらい権威に縋る石頭! 苔の生えたブリキの缶! お前みたいな! お前みたいな探偵気取りの小娘が、馬鹿にしやがって!」
激しい罵倒の言葉に面食らっていると、アーロンさんが私とヴィヴィアンさんの間に割って入った。
「……それは自白と受け取っても?」
「うるせぇ!」
目を細めて尋ねるアーロンさんの言葉に答えず、ヴィヴィアンさんはなおも大声で喚き散らす。
「お前たちはいつもそうだ! 自分たちだけが賢くて、他はみんな馬鹿だと思っていやがる! だけどなぁ、古びた権威を背負ったところで、お前が偉いわけじゃないんだからな!」
なおも暴れるヴィヴィアンさんを、マルクさんが冷静に床に押し付ける。
ヴィヴィアンさんは拘束から逃れようともがきながら喚き続けた。
「私がどれだけの努力をしてここまで這い上がったと思っているんだ! 私は! お前たちより! ずっと! 努力してきたんだよぉ!」
「ヴィヴィアンさん……」
何か声をかけようとして口を開いた私の肩に、アーロンさんがそっと手を置く。
「無駄だよルル。彼女に、我々の言葉は届かない」
中の騒ぎを聞きつけたのか、外で待機していた警官が数名室内に飛び込んできた。
もはや言葉にならない言葉を吐いて引きずられていくヴィヴィアンさんを見つめ、私は無意識に肩に置かれたアーロンさんの手に自分の手を重ねた。
ひんやりと冷たい指先は一瞬強ばったが、やがて躊躇いながらも私の手を取った。
――
穏やかな光に包まれる大通りを歩く。
今日も中央区は賑やかだ。
人が亡くなっても、その犯人が捕まっても、人々は変わらず、自分の人生を生きている。
言葉もなくアーロンさんと並んで歩きながら、私は街行く人々を眺める。
元気に走る子供たち、馬の調子を見る御者、朗らかに話す女性、眠そうな老人。
穏やかに生きる誰もが、明日悪意に晒されるかもしれない。
穏やかに見える水面下で、誰かがこの街を悪意が渦巻く街に変えようとしている。
「アーロンさん」
隣を歩くアーロンさんに声をかけると、彼は優しい瞳でこちらを見下ろした。
「どうしたんだい」
「私、名探偵になりたい」
私の言葉に、アーロンさんが驚いたように目を見開く。
「別に賢くもないし、探偵としての素質とか、ないと思うけど……」
迷いながら、私は必死に言葉を紡ぐ。
「私、いつか夜の街を、女性が普通に歩けるようになったらいいなと思うの。それくらい、安全な街になればいいなって……」
私の言いたいことが伝わっているか不安になってアーロンさんを見つめると、彼は目を細めて頷いた。
「うん。できるよ、ルルなら」
そう言って、アーロンさんは前を向く。
「ルルのためなら、私は協力を惜しまないよ」
「……それは、私への協力? それとも、私の父親と、私を重ねているだけ?」
思わず口をついて出た質問に、アーロンさんは動揺したように瞳を揺らす。
しばらく考えたあと、アーロンさんは躊躇いがちに口を開いた。
「……君を、彼の代わりにしたいと思っているわけじゃないんだ。ただ、彼が今も生きていることを望まずにいられない」
冷たい風がアーロンさんの髪を靡かせる。
漆黒の瞳は不安げで頼りなくて、普段の自信の欠片も感じさせなかった。
「彼が生きていたら、君をどんな風に育てたんだろう、君はどんな風に育ったんだろうと……」
自信なさげな言葉は徐々に小さくなり、最後は消え入りそうだった。
私は何も答えず、前を向いた。
街の賑わいが、今の私には騒々しい。




