第十二話
「どうだったかな?」
アーロンさんの言葉に、現実に引き戻される。
あまりにも美しい光景に心を奪われ、かなり長いことぼーっとしてしまっていたようだ。
ショーは終わり、観客はほとんど退出している。
「面白かったわ……特に、あの人魚の人! とても綺麗だった……」
思わずうっとりと目を細めてしまう。
光が当たる度に赤青緑とくるくる色を変える鱗は、教会のステンドグラスのようだった。
「お気に召していただけたのなら何より」
アーロンさんは視線で外に出るよう私を促す。
立ち上がり出口に向かいつつも、名残惜しくて何度も無人になったステージを振り返っていると
「ちゃんと前を見て歩かないと転ぶよ」
と、アーロンさんに苦言を呈された。
出口付近では、先程の痩せぎすな男性が、帰路に着く観客にペコペコと頭を下げている。
「やや! 男前の旦那と可愛らしいお嬢さん! どうでしたか、本日のショーは」
こちらに気づき、痩せぎすの男性は声をかけてきた。
「とっても楽しかったわ! 座長さんにも、ショーに出ていた皆さんにもそう伝えてちょうだい。特に人魚さんに!」
痩せぎすの男性は頷きながら手を揉む。
「へえ、よくよく伝えておきます。まだこの街に留まるつもりですので、お知り合いの皆様にどうぞよろしくお伝えくだせえ」
痩せぎすの男性に手を振って別れを告げ、帰路に着く。
最後にひと売りしようと、露店の店主たちが声を張り上げ客を引いているのが賑やかだ。
「アーロンさんは人魚の人、綺麗だと思わなかったの?」
問いかけると、アーロンさんはチラリとこちらを見て目を細めた。
「綺麗なものなら見慣れているからね」
そう言うと、ふいと私から視線を外してしまう。
綺麗な女性なら見慣れているという意味だろうか。
それはそれでなんだか嫌味な回答だな、と思いながら、私は空を見上げる。
すっかり暗くなった空にはまばらに星が浮かんでいた。
昔はもっと星が綺麗だったのだと、老齢のシスターが教えてくれた記憶がふと脳裏に蘇る。
空いっぱいに輝く星はまるで宝石を撒いたようで、その輝きから目が離せなかった、と。
人魚の鱗とどっちが綺麗なのかしら、と比べようもないことを考えていると、突如背後から複数人の悲鳴が上がった。
驚いて振り返ると、今しがた歩いてきた方面の空がやけに明るく輝いているのが目に入る。
空の下にはフリークショーのテントがあった。
その屋根から上がる赤い炎が空を明るくしているのだと気がついた瞬間、私はテントへと駆け出した。
テントの周辺には人集りができていた。
誰もが燃え盛るテントを見つめ、悲鳴をあげている。
「ひぃ! だ、誰か! お助けぇ!」
最もテントに近い位置で腰を抜かし、必死に叫んでいる痩せぎすの男性を見つけて駆け寄る。
「大丈夫!? 何があったの!?」
声をかけると、男性は震えながらこちらを振り向いた。
「ざ、座長が、アーチボルト様が、まだ中に。それに出演者のやつらも、まだ片付けをしてたはずなんだ」
痩せぎすの男性の言葉に、テントに視線を移す。
炎は既にテントの高くまで上がり、不気味な絵が描かれていた看板も轟々と燃えていた。
思わずテントに駆け寄りそうになった私の腕を誰かが強く掴む。
驚き振り返ると、厳しい顔をしたアーロンさんが私を見つめていた。
「いけないよ、ルル。火が回りすぎている。今飛び込んだら、君もただじゃ済まない」
「でも!」
叫ぶ私にゆっくりと首を横に振り、アーロンさんは噛み締めるように言葉を紡ぐ。
「じきに消防団が来る。救助は彼らに任せなさい」
アーロンさんの手は私の腕を掴んだまま離さない。
どうあっても行かせる気はないと悟り、私は肩を落とした。
「熱い! 熱いよぉ!」
「体が焼けちまうよぉ!」
そんな最中、甲高い声がテントの方から響いてくる。
かろうじて形を保った出入口から、二つ頭の人影が飛び出してきた。
「トビー! フィン! お前たち無事だったのか!」
痩せぎすの男性が震える脚に鞭打つように、よろよろと双頭の兄弟に近づく。
「無事じゃないよぉ! 頭が焼けちまった! オイラの髪の毛無事?」
「火傷もしたよぉ! 痛いったらないよ!」
双頭の兄弟の言葉に、バケツや瓶を持った人々が慌てて駆け寄ってきて、兄弟に水をかけた。
「トビー、フィン、アーチボルト様は? 他のやつらは?」
痩せぎすの男性の言葉に、水を浴びながらトビーとフィンは答える。
「まだ中だよ! ガストンは拘束を解くのに、ネリスは水槽から出るのに手間取ってるんだ!」
「サイラスは座長の部屋に行くのを見た! 座長と一緒にいるのかも!」
そう捲し立てるトビーとフィンの後ろで、テントの出入口付近が不意に揺れる。
入口の布を大きな手が掴み、肩を貸し合うようにして二人の人影が現れた。
「ガストン! 無事だったんだねぇ!」
「ネリス! 無事だったんだねぇ!」
現れたのは異食の男性と人魚の女性だった。
ガストンと呼ばれた異食の男性は口元以外の拘束を外し、頭から血を流しながらよたよたと歩いている。
連れ添うように歩く女性は双頭の兄弟の言葉からすると、人魚の女性、ネリスである。
しかしその体に、もはや先程の面影は無かった。
逃げる際にぶつけたり擦ったりしたのか、はたまた火に焼かれたのか。
先程まで輝いていた鱗はほとんどなくなり、皮膚という皮膚が爛れ、血が流れている。
二人にも四方から水がかけられた。
その間にもテントを覆い尽くす火は一層強くなっていく。
音を立てて火柱があがり、バケツリレーで消火活動を始めていた群衆が悲鳴をあげた。
「おい! もう一人来るぞ!」
誰かの叫び声にハッとして出入口を見ると、火に包まれたカーテンの裏から誰かの腕が現れる。
その腕は黒く焼け焦げ、ところどころひび割れて赤い肉が覗いていた。
腕は体を引っ張るようにして、テントからずるりと這い出てくる。
それとともに全身が顕になった。
その姿のあまりの凄惨さに、思わず言葉を失う。
現れた人影は、全身が炎に包まれ、激しく燃え盛っていた。
炎の下に見える肌は黒く爛れているか、水脹れになっているか、はたまたひび割れているか。
服と髪は焼け落ち、辛うじて人型を保った体は、炎を身に纏ったままよたよたとこちらに歩み寄ってくる。
「あ、アーチボルト様……?」
痩せぎすの男性の言葉に人影は反応し、こちらを見る。
焼けた瞼の下で黄色く膿んだ瞳がぎょろりと動いた。
「これは……」
しばし逡巡した後、私は声を上げた。
「水! 誰か水をかけて!」
周囲の人に呼びかけると、消火活動に勤しんでいた人々はおっかなびっくりといった様子で黒焦げの人影に水をかけた。
水を浴びた瞬間、男性の体から一際大きく炎が上がる。
しかしそれも一瞬のことで、徐々に体を包む炎は小さくなっていった。
「座長! サイラスは?」
「サイラスは一緒じゃないの?」
トビーとフィンが問いかけると、黒焦げの人物は瞳をテントの方に向ける。
と、テントの天井あたり。
看板が焼け落ちたその向こうに、人影が映った。
炎に照らされ、大きく映った人影は、箱のような物に乗っているように見える。
その人影には、腕が三本あった。
「サイラスだ! 上に逃げたんだ!」
「助けてあげなきゃ!」
トビーとフィンが大きな声で叫ぶ。
しかし三本腕の影が乗る木箱は大きく揺れ、今にも崩れそうだ。
「サイラス!」
痩せぎすの男性が叫んだのと、木箱が大きく傾き人影ごと崩れたのは、ほぼ同時だった。
「なんてこと……」
思わず口元を手で覆う。
遠くから消防団の馬が蒸気消防車を引く音が聞こえてきた。
暗い夜空を炎が真紅に染め上げ、もはや星はその姿をどこにも見つけられなかった。




