クフト
鮭漁が始まると、学校が休みの日にはハナも川原へ出かけた。街の人を避けているのか、以来老婆は姿を見せない。
ハナは退屈だった。木の実を見つけようと山に向かった。時折、幾重ににも折り重なった、ひときは高い岩の上からの、強い視線を感じて振り返るが、誰もいない。
沢に一人の青年を見つけた。どてらのようなゆったりとした紺色の上着を羽織ってる。
「おまえは、誰だ。」
ハナを見つけた青年は怒鳴った。青年の野太い低い声が、あたかも獣の叫び声のようだったから、そう感じただけかもしれない。
「私、ハナ。最近、村に越してきたの。」
ハナはしかられた子猫のように恐る恐る答えた。
「おまえが、婆様の言っていたやつか。」
青年はニコリともせず、つぶやいた。
「最近、おばあさんを見かけないけど、お元気?」
ハナは社交辞令とも取れる質問をした。人は、話題がない時は、天気と元気の話をするものだ。
「熱が出て家で休んでいる。街の連中と関わるとろくなことは無い。」
まるで、ハナが病気を持ち込んだかのようないいぐさだ。
「街じゃあ、流行り病で大騒ぎしているそうじゃないか。」
まるで、ばい菌のようないわれように、ただでさえ、気の強いハナはカチンときた。
「PCR検査だって受けてるんだから。」
「西洋かぶれの街の連中に、何がわかる。これ以上、おれらに関わらないでくれ。」
そういうと、青年は沢の水の入った桶を持って立ち去ろうとした。
「着いてくるな!」
青年は後ろからやってくるハナに叫んだ。
「心配なの。それに解熱剤もあるし。」
青年はそれ以上何も言わなかった。普段ならと都会育ちのハナが青年の後を追い続けることなどできなかっただろう。しかし、彼は桶の水をこぼさぬように、ゆっくりと山道を登っていた。
山の中腹に開けた土地があり、そこにさびれた小さな小屋があった。青年はその中のカメに汲んできた水を入れると、別のカメの水を手桶にひとすくいして、小屋を出て、裏にある洞窟に入った。村に来た時、川の水には寄生虫などもいることがあるのでそのままでは絶対飲んではいけないと初めに教わった。
ハナは恐る恐る中を覗き込む。浅い洞窟に誰かがよこたわっているのが見えた。
「クフトか。お前が客人をつれてくるなんてどうした風の吹き回しじゃ。」
「勝手についてきた。」
「おばあさん、私、ハナ。ご病気だって伺ったもので。やっぱり、私のせいなの?」
ハナは、いまにも泣き出しそうなか細い声で、ゆっくりと水をすする老婆に尋ねた。
「クフトが何か言ったのか。まったく口が悪くてすまんね。」
「正直なだけだ。」
クフトと呼ばれる青年は、ふてくされたようにその場に腰掛けた。