影の薄い美女
影の薄い女っていうと、なんか野暮ったいよな。でも、影の薄い美女っていうと、どうだ?俄然、興味がわかないか?ま、ちょっと付き合えよ。
【クラスメイトの証言1】
白いワンピースに、白い日傘、白い手袋、光を恐れるように。それでいて、彼女がいると場が明るくなるんだから不思議だよ。うん、陰気なわけじゃないんだな。
茶華道 夜凪子さん、それが彼女の名前だよ。
茶華道さんは高校入学当初からそうだったわけじゃないんだ。1年生のときまでは陸上部でね、活躍していたんだよ。髪の毛をポニーテールにして、颯爽と走っていてね、肌も日に焼けて健康的な感じだったさ。
だけど、2年の夏休みのあとからかな、突然陸上部を退部して、日傘にワンピースに手袋、走らず、声を上げて笑わず、影に影にってね。もちろん、話題になったさ、彼女は男子生徒の人気者だったからね。
男の影響か、とか色々噂があったけど結局誰もわからなかった。女友だちにも話していなかったんだから相当さ。
でもね、僕は、その理由を知ってしまったんだ。偶然だけどね。
体育中だったかな、僕はその日は遅刻したんだ。教室に行ったら茶華道さんが一人で体育祭で使う玉入れの玉のほつれを直していたんだ。茶華道さんが外で行うときだけ体育を休むのは恒例だったからね。
僕は今更、授業に行くのも嫌だったし、それを手伝うことにしたんだ。茶華道さんも玉の多さにうんざりしていたのか、僕の申し出を快諾して、隣の席を勧めてくれたよ。
「体育祭、嫌です、ね」
つい緊張して、敬語になってしまった僕をくすっと茶華道さんは笑った。笑われたけど嫌な感じはしないんだなぁ。
「そうですか?私は参加したいですわ」
「え?そうなの?」
以外だったね、僕はてっきり、茶華道さんは明るいところに出るのが嫌いだと思っていたから。現に去年の体育祭は欠席していたしね。
「えぇ、でも、…無理ですの。残念だわ」
ポツリ、そう手を止めて呟く茶華道さんは悲しそうだった。
「どうして」
「…」
やめときゃいいのにさ、聞いちゃったんだよ。茶華道さんは少しためらったあとに、上目遣いに僕を見た。
「皆さんには秘密にしてくださる?」
「もちろん」
僕の鼻息が、荒かったからかな、彼女はまた、くすっと笑った。そして、立ち上がり、教室のカーテンを開けた。4時間目だったからね、カーテンで遮られていた日光が教室に降りそそいだ。その中に彼女は立っていた。
「見てくださいまし」
僕が彼女に見惚れていたからかな、彼女はコンコンと上履きで床を叩いた。
「あ…」
言葉を失ったよ。比喩でも何でもなく、彼女の影は薄かった。
【茶華道 夜凪子の証言】
不思議なものです、あるときは意識もしないのに、なければ怖くてたまらなくなる。あなたは影にそんなことを思ったことがごさいまして?
私が自分の影が薄い事に気がついたのは、夏休みのある日のことですわ。図書館に行こうと家を出たとき、黒いはずの影が何だか薄く見えました。もちろん、気のせいだと思いましたわ。でも、気づいてからは何だか違和感がありますの、ひどく身体が、軽い気がして。
その日はひどく疲れて、早く休むことにしました。電気を消して、ベッドに横になり、目を閉じる。すると、不思議と見たこともない部屋の光景が見えました。驚いて目を開ければ自分の部屋、不安に目を閉じれば先程の部屋。私は怖くなり、とても寝ることができませんでした。それはその日から毎日続きましたわ。
ある時間になると、目を閉じても、部屋が見えないことがありますの。そして、その部屋の持ち主もわかりましたわ。
部屋の持ち主、それは隣の家の少年。そして、その部屋の電気が消えると、私が目を閉じても部屋は見えなくなるのです。
おかしいな女だと、お思いでしょう。
でも、目を閉じたときに見える部屋で、少年の姿を見たのです。少年はニコニコして私を眺めておりましたわ。
それに、私、調べましたの、影は少年の部屋から遠ざかるほど薄くなるようでした。
何だか不気味でしたけど、少年と家の前であった時にお聞きしましたのよ。
「私の影がおかしいのですけれど、あなたは何か知っていまして?」
私のほうがおかしいと思われそうですわね、でも、少年は笑いもためらいも、戸惑いもなく、私の手に目を落としました。
「手、痛い?」
「え?」
何を言われたかわからず、私は自身の手を見ました。何ともありませんでしたわ。顔をあげると、少年の姿はありませんでした。
よくわからないけれど、あまりいい感じはしません。私はその日も早く休むことにしました。目を閉じれば少年の部屋が見えてしまうでしょう。まだ、彼の部屋は電気がついていますもの。
でも、私はその日、目を閉じてみたのです。
夏休みの終わりが近かったこともあります、私はその時まで、この問題は解決できる、そんな風に考えていたのです。
目を閉じると、少年の部屋でした。少年は私をニコニコ眺めていますが、しばらくすると、立ち上がり、私の手を取り、壁の前に立たせました。
私は、そうしなければならないと思い、両手を頭の上に上げました。少年はイスを持ってきて、上げた私の手に、杭を打込みました。
「いやぁぁぁ!!」
私は飛び起きましたわ。もちろん、私の部屋でした。手も打ちつけられてはいません。
落ち着こうと、部屋の電気をつけました、そうしたら、そうしたら……。
【クラスメイトの証言2】
僕はその時やっと、気がついたんだ、茶華道さんがいつもしている手袋を外していることに。そりゃそうだよね、針仕事を手袋ままできないもの。その手を見られたと思ったから、彼女は僕にこの話をしたんじゃないかなぁ。
「私、大学は遠くに行きますの」
「え?」
「家族も一緒に引っ越しますの」
「そ、そうなんだ」
「遠くへ、遠くへ、行きますの」
茶華道さんは窓の向こうに見える隣の小学校を見ながら言っていた。
「そ、そうなんだ」
気の利いたことの言えない愚図なんだ、僕。
茶華道さんは、シャーっと、カーテンを閉めた。
影も、小学校も見えなくなった。そして、席に戻ってきた彼女は僕を見つめて聞いたんだ。
「ねぇ、それで、大丈夫だと思いますか?」
彼女、震えていたんだ。今、思い出しても、僕、自分が嫌になっちゃうなぁ。本当に気の利いたことの言えない愚図なんだ、僕。
茶華道さんの手?……野暮なこと聞くなよ。
高校も卒業してさ、数年たったよ。20才で成人式の後、同窓会をやることになったのさ。引っ越しても茶華道さんには連絡がいったんだろうな。でもさ、返事は欠席。みんな当日残念がったよ、彼女に久しぶりに会いたかったしさ。でも、連絡とった幹事のやつはひどく、暗い声で言うのさ。
「茶華道さん、消えちゃったんだって」
みんな、笑えなかったな。冗談にしてもタチが悪いし。
「死んだとかそういうんじゃなくて、すーって、消えたんだって」
話を聞くと、彼女が消えたのは引っ越しの途中、休憩で寄ったパーキングエリア。車から降りた時に、彼女は家族の目の前で消えてしまったらしい。見失うはずのない、光のふりそそぐ昼下りのことだそうだ。
僕、声を上げなかったさ、驚いたけどね。つまり、全然、大丈夫じゃなかったんだ。元凶から、離れれば解決すると彼女は思ったけど、影から離れちゃいけなかったんだ。
僕は自分の影を確認した。もちろん、薄くなったり、消えたりしていない。当然だよ。
もぅあと少しだから、付き合ってよ。
僕、それから街を歩いているときに、彼女にそっくりな人影を見たんだ。慌てて追いかけたけど、どこにも見当たらない。おかしいと思って見渡すと、一人の少年がいた、中学生くらいかな。
夕方だったよ、忘れられもしない、赤い光の中、少年は一人で歩いていた、手を不自然に振りながら。
自然と、地面に目が向いていた。そこに、彼女がいたんだ。
少年の影が手を繋いでいた、茶華道さんの影と…
どうよ、怖くね?あ?違う、お前、そこじゃないよ。怖いのは、本人が消えたのに、影は残っていることだよ。
…これって、つまりさ、俺達が影なんじゃね?