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26.罰と空回る想い

※ 文章の終わりにイメージイラストがあります。

 それは波乱の祝祭から約半月が経ち、溶けかけた雪の合間から、福寿草の黄色い花がチラホラと顔を覗かせるようになった頃のこと。


「リック、これもお願いできますか?」


 そう言って、本棚から取り出した分厚いハードカバーの本を、両手で持って差し出したのはリオン。そんな彼女の目の前にいるのは、既に五冊以上の分厚い本を抱え込んでいるリック。彼は本を受け取ると、余裕の笑みを浮かべていった。


「もちろんです。あと四、五冊ほどでしたら特に問題はありません」

「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて、これと……あと、これも」


 リックの言葉を受けたリオンは、ところ狭しと並ぶ本棚に収められている大量の蔵書の中から、ひょいひょいと本を選び取り出しては、リックへと渡していく。許容冊数を超え兼ねない勢いで積み重ねられていくそれに、リックは微かに口元を引き攣らせつつ、自分たちの周囲を横目でチラリと見た。


 周囲には、二人と同様に本を持っている神官や巫女の姿、そして、巡回中と思しき月の腕章を身につけた騎士の姿がある。そんな彼らは、普段であればこの場所――神殿図書館に立ち寄ることなどほとんどない月巫女の存在に、落ち着かない様子でチラチラと二人の様子を窺っている。その視線に滲み出ているのはそこはかとない好奇心。それを裏付けるかのように、こそこそと噂話をしている声も、微かながら彼の耳朶を打っていた。


「……の不興を買ったとか……」

「……は解任されたとか……」


 そんな一部の者達の根拠のない言葉の数々に、リックの端正な眉が微かに寄せられたそのときだった。


「今日はこのくらいにして、貸し出し許可をいただいたら、部屋へ戻りましょう」


 有無を言わせぬ声音でそう告げたのは、にっこりと微笑んだリオン。一見、穏やかな笑みを浮かべてはいるものの、本を握りしめている彼女の手は爪が白くなるほど力がこめられていた。そんな彼女の様子にリックが目を瞬かせていると、彼女は彼の返事を待たずにくるりと踵を返し、ローヒールの靴音を響かせながら、中央に向けて歩き出した。足音にも微かに力が籠もっているリオンの様子に、リックは困ったように笑みを浮かべると、慌てて彼女の後を追い、中央――司書がいるカウンターへと向かったのだった。



「みんなして好き勝手言いたい放題言って、何なのもう!」


 リックがリオンの私室のドアを内側から閉めるや否や、リオンの口から漏れたのは怒気の篭もった荒い言葉。今にも地団駄を踏み出しかねない様子の彼女に、リックは苦笑しながら言った。


「まぁまぁ。ルイスが今護衛騎士を外されてる表向きの理由は、療養ってことになってるけど、祝祭でアイツがリオンの名を呼んだことは周知の事実だから、噂が勝手に一人歩きしてるんだよ」

「だからって、私の不興を買ったから外されただの何だの、誰も私に確認もしてないのに、どうしてあんな好き勝手言えるの?! ルイスが居なかったら私死んでたかもしれないのに、その上で何を不満に思えって言うの!」

「それはまぁ、本来ならオレやエマも含め、リオンの名を呼べる立場じゃないからなぁ。気位の高い貴族様だったら、不敬だって言ってもおかしくはないかな。むしろ、あんな大勢の前で名前呼ぶなんて大失態が、一月(ひとつき)の謹慎で済んだことも含め、かなり安い方だよ」

「ていうか、そもそも、それが一番納得行かないんだけど!」

「そうは言っても、ねぇ……」


 リックに噛みつかんばかりのリオンの様子に、彼は運んできた本の山をテーブルの上に置きつつ、七日ほど前の記憶へと思いを馳せた。


***


それは、リオンが公務の合間を縫って、リックと共にルイスを見舞っていた際のことだった。


「クリフェード殿に面会したいのだが、よろしいですかな?」


 そう言って、医務室に入ってきたのは、ロマンスグレーの髪を持つ中老の神官。医務室に入ってきた神官は、ルイスの傍に座るリオンを見て微かに眉根を寄せた。が、二人のそばに近付くと、そんなものはまるでなかったかのように、微笑みを貼り付けると、ルイスを真っ直ぐ見つめて問いかけた。


「クリフェード殿、その後、お身体の具合はいかがかな?」

「まだ熱は続いていますが、それを除けば毒の後遺症はないそうです。しかし、怪我そのものの関係で、通常の生活に戻るまで最低半月ほどかかるとのことです」

「そうか……。クリフェード卿、このようなときに申すのは少々心苦しいのだが、貴殿が式典の際に取った言動について、神殿からの沙汰を申させていただく。よろしいかな?」

「……はい」


 ルイスは唇を引き締めて背筋を伸ばすと、温もりを一切感じさせない藍鼠色の瞳を、静かに真っ直ぐ見つめ返した。そんな彼の顔に浮かぶのは、不安でもなく、驚きでもなく、すでに何かを悟っているかのような諦観だった。


 落ち着いた様子のルイスが意外だったのか、神官は微かに目を瞬かせつつ、片眼鏡を持ち上げて、一つ咳払いをして言った。


「貴殿が月巫女に対し、名を呼ぶという無礼を働いた件についてだが、これは不敬罪に値するものと考える。よって、神殿はクリフェード殿を一月の謹慎処分とすることに決定した」


 静かに告げられたルイスの処罰内容に、それまで和気藹々としていた医務室の空気は、一瞬にしてシンと静まり返った。そんな中、最初に声を発したのはルイスだった。


「謹慎処分、ですか?」


 彼が戸惑いに目を瞬かせてオウム返しすれば、神官は冷ややかに目を細めて言った。


「何か異論でも?」

「いえ、ございません」

「ちょっと待ってください、副神官長様! そんな決定、私は聞いてません!」

「ですから、この場をお借りして申し上げたのでございます。今までもそうだったかと存じますが、何か問題でも?」


 言い訳をするでもなく、素直に処分を受け入れる姿勢を示したルイスとは対照的に、目尻をつり上げて強く抗議をしたのはリオンだった。中老の神官――副神官長はさして動じた様子もなく淡々と返し、呆れを滲ませた目で彼女を真っ直ぐ見つめ返した。そんな彼の様子に、リオンの眉尻がさらに上がる。


「そもそも私自身が不快に思ってすらいないことを、何故無礼だと決めつけてかかるのですか?」

「民への示しがつかないからでございます。あなたは最高位の巫女であり、同時に公爵家の令嬢でもあるのですから。そんな貴女の名を下級貴族が呼ぶという行為は明らかに不敬罪にあたります。よって何らかの処罰は必要なのです」

「神殿では貴族の出など関係なく平等のはずですよね?」

「それを除いたとしても、月巫女という王と並ぶ立場が揺らぐことは、ひいては神殿の威厳にも繋がるが故、到底許されるものではございません」

「威厳って、そんなことのためだけに……?」


 淡々とした副神官長の言葉に、リオンは愕然とした様子で瑠璃色の瞳を大きく見開いた。そんな彼女に彼は尚も平坦な口調で告げた。


「この国の秩序を保つためには必要なことでございます」

「だからと言って……」

「月巫女様!」


 両手の拳をきつく握りしめて、声を荒げかけたリオンの言葉を遮り、強めの声で呼びかけたのはルイスだった。諫める響きを宿した呼び声に、リオンが悔しげに振り返れば、ルイスは柔らかく目を細めて言った。


「お気持ちだけで十分です。解任を命じられてもおかしくなかったことは、私自身が一番承知しておりますので、むしろ寛大な措置かと……。ですよね、ロウ副神官長様?」

「ええ。本来であれば、即刻クリフェード卿の護衛騎士の任を解くところです。しかし、非常事態であったこと、そして月巫女様をお守りした功績を鑑みた結果の措置です」


 それでも何かまだあるかと問いたげに、ロウ副神官長は片眼鏡を押し上げながらリオンを見やった。そんな彼の言葉に、リオンは唇を噛みしめつつ、微かに視線を落としたものの、一度目を閉じて深呼吸をすると、再度彼を真っ直ぐ見返して言った。


「わかりました。神殿のご判断に従います」

「ご理解いただけたようで何よりです」


 ロウ副神官長が口元に弧を描けば、リオンもまたにっこり微笑んで言った。


「ですが先ほど、副神官長様は『公爵家の令嬢である』ことを挙げられておりましたので、その点についてだけは当主であるお義父様のお考えを伺う時間をいただきたいと思います」


 そんな彼女の様子に、その場にいた男性陣は全員目を瞠った様子で彼女を見つめた。そうして、しばし沈黙が降りた後、ロウ副神官長はわなわなと体を震わせなが、笑顔で取り繕うことさえも忘れて言った。


「これは公爵家当主も承知の上での決定なのですが?」

「それについて、私が直接お義父様に伺うことも、抗議することも、私の自由ですよね? 何より、どうしても覆らない理由がそこにあるのならば、お義父様に会って説明していただく方が私も納得がいくというものです」

「私共のお言葉が信用ならないと仰るのですか?」

「いいえ。ですが、人伝の言葉には齟齬が生じますので、直接お義父様の口から聞きたいのです。久しくお義父様ともお会いしておりませんから、この機にお会いしたいですし。義理とは言え、娘としてそう願うことはいけないことなのでしょうか?」


 微笑みながら穏やかに返すリオンに、副神官長は口を開いては閉じ、閉じては開いた。が、その口から彼女を論破するための言葉は出てこず、彼女の言い分を最終的には了承するに至ったのだった。


 結果として、年端もいかないリオンに口で負けた彼は、医務室を後にしようとした際に、くるりと振り返ると静かにいった。


「そうそう。肝心なことを伝え忘れておりましたが、クリフェード卿の謹慎処分は明日からとなっております(ゆえ)。その間、神殿への立ち入りはひら騎士に許される範囲のみとなります。当然、月巫女様に会うことは許可いたしかねますので、お二方ともその点お留め置かれますよう。それでは失礼」


 そんな引かれ者の小唄のような捨て台詞を残し、踵を返したロウ副神官長はその場を後にした。そうして彼の姿が見えなくなると、リオンは浮かべていた笑みを消し、両手の拳を膝の上できつく握り絞めた。無言で放たれるそんな彼女の静かな怒りに、その場はシンと静まり返ったのだった。


***


 そうして、回想を終えたリックは、未だに憤っているリオンをチラリと見つつ、頭を掻きながら言った。


「とは言え、ロウ副神官長の言葉も一理あるからなぁ……」

「リックはルイスの味方じゃないの?」


 キッと睨めつけるように見上げてくるリオンに、リックは苦笑いを浮かべながら言った。


「味方だよ。でも、味方だからこそ、相手のこともよく見て、冷静に引き際や落とし所を見据える必要はあると思うんだよね」

「どういうこと……?」


 訝しげな顔をしつつも、多少冷静さが戻った様子のリオンに、リックは小さく安堵の息を漏らしつつ、静かに言った。


「リオンが今もこうして、法に関する本や身分制度に関する本で勉強して、ルイスの罰を軽くしようとしてるのは知ってる。けど、それって個人的な感情が理由じゃないって言える?」

「え……?」

「オレ個人としては、今回リオンが感じていることも考え方も、全部が間違いだとは思わないし、好ましいと思うよ。だけど、助けたい気持ちの理由が、個人的なものじゃないって言えなきゃ、神殿も公爵様も説得するのは難しいと思う。図書館で噂話をしてた人のように、赤の他人なら尚更ね。だからあえて聞くけど、ルイスを助けたいのは、ルイスやひいては他の人のため? それともリオン自身のため?」

「それは……」


 リックの静かな問いかけに、リオンは思わず言葉を詰まらせ押し黙った。視線を逸らした彼女に、リックは苦笑しながら言った。


「祝祭の夜の件は団長から聞いたよ。でも、あの時は事態が事態だったし、気が動転していたから許された我が侭だったんじゃないかなってオレは思うんだよね。個人の屁理屈でルールを曲げるのは、そう何度も通るものじゃないし、ましてやそれが権力を持つ人なら冷静さや自制が必要なんじゃないかな?」

「でも、それが私の持てる力で、それで守れるなら私は……」

「……ルイス自身がそれを望んでなくても?」


 そんな彼の言葉に、リオンは眉を寄せて口を結ぶと、両手を握りしめて俯いた。


「ルイスがあのときリオンを止めた理由、何となくでも気付いてはいるんだよね?」

「それは……だけど!」

「だけど?」

「こんなの理不尽だし、間違ってるよ。神殿では常にみんな平等だって神官様たちはいつも言ってるのに、肝心なときに限って人を平等に扱わないなんておかしいじゃない」


 一度顔を上げたものの、徐々に視線を落としつつ、絞り出すように紡がれた言葉に、リックは目を柔らかく細め、微苦笑を浮かべた。そうして、視線を落としたままの彼女の頭をポンポンと撫でると、彼は言った。


「何だかんだ言っても、階級や身分、その他にもいろいろな面で個人差はあるから、ある程度は仕方ないよ。そもそもリオンだってそれがなかったら、ルイスのために我が侭を通そうとすること自体できないわけだし」

「それは……、そう、だけど……」

「まぁそれに、実を言うと今回の罰、リオンが思ってるほど酷くもないんだよね」

「え……?」

「よく考えてみて。一月の謹慎って言っても、そもそも最初から半月は療養が必要だったし、半月ですぐ元通り復帰できるわけでもない。仮に最短で復帰できる状態になったと仮定しても、実質的な謹慎は半月程度なんだよ」

「あ……」


 キョトンとした様子でリックを見上げていた瑠璃色の瞳が、彼の言葉に対し大きく見開かれる。


「きっと貴族の偉い人たちからすれば、一月の謹慎でも生ぬるいって言う人は結構いるんじゃないかなって思う。でも、団長から聞いた話だと、あの場に居た民からは、『身を挺して月巫女様を守った騎士に罰なんて!』って声も出てるらしいんだよね。それを踏まえると、貴族にも民衆にも配慮したのが今回の罰だったのかなって、オレは見てるよ」

「そう、だったんだ……」

「それでも、まだルイスの罰取り下げさせたい?」


 リックの問いかけに、リオンはしばし視線を彷徨わせたものの、僅かに間を置くと首を小さく左右に振って言った。


「今の状況じゃ、取り下げられたとしても、私が満足する以外いいことなさそうだもん。でも……」

「でも?」

「……ルイスにあと半月以上会えないのは、やっぱり寂しいよ」


 ポツリと零れ落ちた彼女の本音に、リックは微かに目を瞬かせると小さく笑った。その声は当然リオンの耳にも届き、彼女は顔を真っ赤に染めると両手の拳を持ち上げて言った。


「わ、笑わなくてもいいじゃない。エマやリックと違って、私は謹慎終わるまで会えないんだよ?」

「ああ、ごめん。いや、最初からそう言ってくれたら、本運びの手伝いじゃなくて、他に手はあったのにって思っただけだよ」

「え?」


 唖然とした様子で目を瞬かせたリオンに、リックは茶目っ気たっぷりな笑みを浮かべ、人さし指を口元に当てながら言った。


「いつでも、は無理だけど、会いに行こうとさえしなければいいんだよ」

「……はい?」


 ちんぷんかんぷんな言葉に対し、疑問符を大量に飛び交わせて首を傾げるリオンに、リックはただただ自信たっぷりに微笑んでみせたのだった。


挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 主役二人が甘い分、脇役が雰囲気を軽くしてくれるので緩急があって楽しく読み進められています。 [一言] 祝祭はちょっと痛みのある思い出になりそうですが、リオンとルイスはそれぞれの仕事や立場へ…
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