16.転ずる意志
※ 文章の終わりにイメージイラストがあります。
リオンとルイスが人気の少ない裏口を通り、中央エントランス前の階段に差し掛かったところで二人は、何かを運んでいるエマの後ろ姿を見つけて声をかけた。振り返った彼女が両手で抱えていたのは、湯を張った少し大きめの木桶だった。
エマは二人を認識すると、ルイスにちらりと視線を送り、それを受けた彼は首を微かに縦に振った。すでに夜も遅く、他の人の姿もパッと見エントランス付近にはない。が、彼のサインを見たエマは湯桶を両手で抱えたまま、小さく会釈して言った。
「月巫女様、ルイス様、お帰りなさいませ」
「ただいま戻りました」
「星読みの練習はいかがでしたか?」
「まだまだ勉強が必要そう。ところでエマ、それは?」
「足湯の準備をさせて頂いていました。お部屋も暖めてありますので、そちらで」
「ありがとう」
エマの態度と言葉から、周囲に人が居ることを把握したリオンもまた、淀みなく台詞をすらすらと言葉に乗せていく。そんな中、ルイスはリオンの手を放すと静かにエマに近付いて言った。
「エマ、それは重いでしょう? 私が運びますので、代わりにこちらをお願いします」
「これくらいは大丈夫……って、お早いですね、ルイス様」
エマが断る間もなく、ルイスはひょいっと彼女が両手で抱える桶を片手で取り上げると、持っていたランプを半ば呆けているエマへと手渡して言った。
「行き先は同じですから、どうかお気になさらず」
「ありがとうございます。それでは月巫女様、こちらへ。足下が少々暗いのでお気を付け下さいね」
「ええ、ありがとう」
そんなリオンの言葉を合図に、エマが先導となり、ルイスはリオンの手を再度取って歩き出した。湯桶を脇に抱えながらエスコートするその姿は少々シュールだったが。
そうして、未だに神殿内に残って仕事をしていた神官や巫女の視線を浴びる中、三人はリオンの私室がある二階奥の居住区へと姿を消したのだった。
リオンの私室近くまで来ると、ルイスは小さく言った。
「ここまで来ればもう私室まで人の気配もないし、小声なら肩の力抜いても平気だろう」
「はぁ……。もうなんで今日は人が詰めてるの……? いつもは居ないのに」
眉を顰めて小声でぼやくリオンの言葉に、エマはしばし考え込んで言った。
「そうね。いつもより戻りが早かったのもあるかもしれないけど……。さっき途中でヤヌス団長や他の騎士様も見かけたのよね。こんな時間なのにお見かけしたところを見ると……」
「ああ、もしかして年明けの祝祭に関する打ち合わせか?」
「恐らくね」
「あー……もうそんな時期なんだ」
げんなりとした様子を見せたリオンに、エマは苦笑し、ルイスは訝しげに首を傾げた。
「祝祭で何かあるのか?」
「何かも何も、全部だけど中でも着る衣装がね……。私が祝祭で着る衣装、見たことない?」
「うーん……、朧気に白っぽい服を着てたのは遠目に見たことがあるような?」
「たぶんそれ。あれね、コルセットで締め上げるから苦しいし、着るドレスとかは結構薄くて寒いんだよ」
「へー……」
他人事のように言うルイスに、リオンは眉をつり上げて言った。
「へーって、その状態で、しかも外でずーっと笑顔で手を振り続けるの大変なんだよ?! お義父様はいないけど、一緒にいるのは王様とか偉い人ばっかりで気が抜けないし」
「そうなのか……。ま、当日、神殿の人間として隣に立つのは神官長と団長だろうし、オレは適当に傍に控えつつ応援してるから頑張れ。ほら、部屋に着いたぞ」
「他人事だと思ってー……」
口を尖らせているリオンを無視して、ルイスは握っていた彼女の手を放し、扉を開けて女性二人に入室を促した。湯桶をルイスの手から回収して先に部屋に入ったエマに続いて、リオンが不満げな顔で部屋へと入っていく。それを見届けて彼が扉を閉めようと引いたときだった。
「他人事じゃなくなれば、そんな暢気な返事もできなくなるよね」
彼は、主の不穏な笑みと共に不吉な言葉を聞いた気がした。が、扉をパタンと閉めると、彼は微かに考え込んだ後、『聞かなかったことにしよう』と一人頷き、なかったことにした。それから彼は、エマが壁際の床に置いたランプを回収・消灯しつつ、すぐさま扉横の定位置に移動した。そして、肩から提げていた鞄を床に下ろすと、ランプをしまう傍ら水筒と未使用のカップを取り出し、少々ぬるくなったお茶で冷え込んだ体を温めたのだった。
***
「……私、エマが羨ましい」
そうぼやいたのは、夜着に着替え、その裾を膝の位置で押さえながら、ベッドの端に腰かけて湯桶に足を浸からせているリオン。そんな彼女の言葉に、湯加減を確認していたエマは、きょとんとした様子で見上げた。
「藪から棒にどうしたの?」
「ルイスから女性扱いされてるし、並んでると絵になるし。ルイスに頼られてるみたいだし。お似合いってこういうのを言うのかなって思って……」
「えーと……もしかして、さっきのエントランスでのこと?」
「うん。あと、エマが教えてくれた言葉がルイスにわかってもらえなかったのと、子供にしか見られてなさそうなことが、思いのほか堪えたんだと思う」
そう呟いたリオンの視線は、徐々に足下へと落ちていき、その顔はいつになく意気消沈していた。そんな彼女の様子に、エマは小さく息をつくと濡れた手を拭いてリオンの隣に座り、青藍色の髪を撫でながら言った。
「伝わらなかったのなら、ルイス様は知らないのかもね。巫女の間では割と知られた話だけど殿方が知っているとは限らないし。……あれ、でも今日新月よね?」
「月は出てなかったけど、星でもよかったはずだよね?」
「ああ、なるほど。じゃあ、今度はちゃんと月が出てる日……、そうね、満月のときにもう一度言ってみたら? それなら聞いたことくらいあるかもしれないわ。もしくは、いっそのこと真っ直ぐ言葉でぶつけるのもありかも?」
「うう……。今日だってかなり勇気出したのに、もう一回とか……次伝わらなかったらさらに落ち込みそう……」
頭を抱え込みそうな勢いで弱音を吐くリオンに、エマは苦笑しながら言った。
「たぶん、みんな好きな人のことになると、そんなものなんじゃないかしら」
「そうなの?」
「そうよ。私だって、全然気付いてもらえないから凹むことも多いし、他の巫女や貴族の令嬢と楽しそうに話してるのを見ると、不安になるし胸がモヤモヤするもの」
「そっか……。みんなも同じ、か……」
エマの言葉に、微かにリオンの口元に笑みが戻れば、エマは彼女の顔をじと目で見つめて言った。
「そ・れ・と。誤解のないように言っておくけど。ルイス様はリオンのことだってちゃんとエスコートしてくれてるし、女性扱いしてくれてるでしょう?」
「お転婆娘って言われてばかりなのに?」
「それでも、よ。行動自体はちゃんと淑女としてエスコートしてくれてるじゃない。それに頼られてるっていうのもね、そもそも、ルイス様・リック様と私はリオンの従者仲間なの。だから、必要なら相手が役目を全うするための手助けだってするわ、当たり前じゃない」
「それは……そうだけど……」
まだ納得のいっていない様子のリオンに、エマは真顔で尋ねた。
「ねぇ、リオン。エスコートの時はともかくとして、どうしてルイス様もリック様もどちらか片方の手を常にあけているかわかる?」
「え、そうなの?」
「……それ自体気付いてなかったのね」
きょとんと首を傾げたリオンに、エマはため息をつきながら額を押さえて言った。
「あのね、二人はいつでもすぐに剣を抜いてリオンを守れるように、どちらかの手はあけるようにしてるの。特に利き手である右手の方ね。エスコートしてるときなら、いくらでもかばいようがある。だけど、それ以外は両手が塞がっていたら、状況によっては即座に対応なんてできない。だからそうしてるのだそうよ」
「なるほど……。って、あれ? じゃあ、エマにランプを預けたのは、私のため……?」
「私に気を遣わせないため、というのもあっただろうけど、大半の理由はそっちだと思うわ。それが彼やリック様に与えられている役目なんだから」
「そう、だったんだ……」
「全く……。護衛っていうのは、守られる側も意識しなきゃ、守れるものも守れないのよ? 守ってもらう側としても主としても、もうちょっとしっかりなさい」
そう言うと、エマは軽くリオンの額を指弾した。額を弾かれたリオンは、痛みこそ訴えなかったものの、眉尻を下げて力なく肩と視線を落とした。そんな彼女にエマはしまったと言わんばかりの顔をしたあと、苦笑しながら言った。
「ま、まぁ、昨日気付けなかった後悔はいつでもできるんだし、今日気付けた幸運に感謝して、明日……は休みだから、また明後日から頑張ったらいいんじゃないかしら」
「今日気付けた幸運……」
「そ。気付かなきゃ得られないものはたくさんあるもの。気付いたらあとは得るための努力をすればいいけど、気付けなきゃ自然に得られる機会はなかなか来ないもの」
そんなエマの言葉に、しばしリオンが黙り込み、エマの顔にだんだん不安が色濃く浮かんできたときだった。リオンは不意に顔を上げてエマを真っ直ぐ見つめて問いかけた。
「ねぇ、エマ。私にはどうやっても、公の場ではエマのようにルイスと対等に助け合うことはできないんだよね?」
「それは……いくら何でもさすがに無理ね。まずルイス様がリオンの外聞のためにもそうさせないだろうし」
「じゃあ、主としてできることを今よりも頑張ったら? 良い主に少しでも近づけたら、それはルイスの……ううん、ルイスだけじゃない。リックやエマの助けにもなれる?」
そんなリオンの問いに、エマは天井を見上げながら答えた。
「うーん、そうね……。自分の権力も従者の力も把握した上で、考え動くことができるなら、それはこれ以上ない助けになるんじゃないかしら。少なくても、仕える側としては願ってもない話だけど……」
「それならエマ。今の私に足りない物とどうしたらそれを得られるのか、わかる範囲で全部教えて」
そう言い切ったリオンの言葉に、エマはパチパチと目を瞬かせつつ、唖然とした様子で振り返り見た。そこにあるのは、強い意志を宿し真っ直ぐに向けられた瑠璃色の瞳。それをしばし見つめ返すと、微かに目を細めて真顔で問いかけた。
「十年近く、ずーっと教えることを片っ端から聞き流された分、少なくても私は手加減も容赦もしないけど、それでもいいのかしら?」
「うっ、耳が痛い……。けど、それが今の私にできる精一杯なら望むところだよ」
少々怯みつつも、それでも決意の変わらぬリオンの言葉やその瞳に、そして垣間見える主の確かな変化に、エマは心底嬉しそうに微笑んだ。
そうして、早速ペンと紙を欲した身動きの取れない主に代わり、エマは彼女の机へと向かった。そうして、目的の物を手に取ると、苦笑ながら小さく呟いた。
「恋ってここまで人を変えるものなのね……。ちょっと悔しくて妬いちゃいそうだわ」
「エマ、どうかした?」
「ううん、何でもない」
不思議そうなリオンの声に、エマは笑顔で振り返り、彼女の傍へと駆け寄っていったのだった。




