15.星に託す想い
※文章の終わりにイメージイラストがあります。
年の瀬も押し迫った寒凪の夜。一年の中で一番夜が長いその日、陽が沈まりきった中、リオンの私室では侃々諤々とした会話が繰り広げられていた。
「ダーメーだ」
「風邪引かなきゃ問題ないでしょ!」
主に言い争っているのは、両手を腰に当てて扉を塞ぐように陣取っているルイスと、両手を握り絞めて彼に言い募るリオンの二人だ。そんな二人の様子を少し離れた場所から見つめているエマは、三人分のお茶を淹れつつ苦笑いを浮かべていた。
「そういうヤツに限ってたいてい真っ先に風邪引くんだよ」
「着込めば問題ないし!」
「お前、夜の冷え込みなめてないか? だいたい、昼間ですらそこそこ着込んでも、廊下を行き来するのすら寒い寒い言ってるヤツが言っても説得力ないからな、それ」
「寒いものは寒いんだから仕方ないじゃな……あ」
しまったと言わんばかりにリオンが口を手で押さえるものの、出てしまった言葉は戻らない。案の定、ルイスは呆れたように息をついて追い打ちをかけた。
「ま、そういうことだ。だから、今夜の聖湖への外出はなし」
「ええー……」
「時期的にも、これからどんどん寒くなって雪だって降ってくるんだ。桜が咲く時期までは自粛した方がいいくらいだとオレは思う」
「だけど……」
目に見えてしょんぼりと落ち込むリオンの様子に、ルイスは気まずそうに頭を掻いた。そこへ、エマがそっと近づいて言った。
「ルイス様がリオンの体を心配してるのもわかるつもりだし、概ね同意なんだけど。でも、リオンが久々に行けるって楽しみにしてたのもわかってもらえないかしら?」
「それはまぁ、ここ最近の頑張りを見ていたらわからないでもないが……」
「なら、私から提案なんだけど、いつもは一刻くらい過ごしてるのを、半刻くらいにしたらどうかしら? もちろん、暖かい格好で、温石も持って行ってもらったり、対策はばっちりした上で、だけど」
「エマ……!」
エマが提案した助け船に、リオンの目がキラキラと輝き出す。そして勝ち気な色を帯びたその目はそのままルイスへと向けられ、期待と共にじっと訴えかけた。その視線を受け止めたルイスは、半歩ほど後ろに下がりたじろいだ。が、その分リオンも半歩進んで詰め寄る。それを何度か繰り返すうちに、ルイスの背中は扉にぶつかり、なおも前進しようと近づいてくる彼女の肩を押し留めて見つめ合うこと数秒。彼は大きくため息をつくと白旗を揚げたのだった。
それから半刻後。星明かりが煌めく寒空の下、リオンとルイスは聖湖のほとりにいた。敷物に並んで座り、二人の間にある手持ちランプだけが辺りを仄かに照らす。その明かりを頼りにゴソゴソと鞄を漁っているルイスの隣で、リオンはハーッと両手に息を吹きかけた。
「夜の寒さって思ってたよりも冷えるんだね」
「水場のすぐ傍だから尚更な。だから言っただろ。何なら今からでも部屋に戻るか?」
銀製のカップを取り出しつつ、その手を止めて真顔で振り返るルイスに、リオンは首を全力で左右に振った。両手を摩りながらも暖炉のある暖かい部屋へ戻る選択をしない彼女に、ルイスは肩を竦めつつ、取り出した水筒の中身を注いだカップを差し出した。湯気と共に微かに漂うのはほんのり甘いハーブの香り。
「ほら、エマが準備してくれたお茶でも飲めば少しは違うだろ」
「ありがと。……はぁ、あったかい……」
暖かい物を摂ったことで、ほっと息をついた彼女の様子に、ルイスは苦笑するように微笑んだ。が、不意に彼は彼女をじっと見つめた。そんな彼の視線に気付くと、リオンは微かに身じろぎをし、頬を赤く染めて問いかけた。
「な、何?」
「あ、いや……。着替えるって言って時間をかけた割に、外套以外増えたように見えないから、何か変わったのかと思って」
「え?」
キョトンと首を傾げる彼女が今身に纏っているのは、ファーがついたクリーム色の外套と葡萄色のベルベット生地のドレス。その裾からは焦茶色のブーツが見え隠れしている。そんな彼女は、外套を捲りつつ言った。
「これでも全部で五枚くらい増えたよ? あと、温石もお腹のところに入れてあるし」
「そうなのか? パッと見そうは見えないが……。さすがというか、相変わらずエマは徹底してるな」
「『体を冷やすのは良くないけど、何より女の子は見た目も大事』、なんだって」
「前者はわかるが、見た目、なぁ。暖かいなら見た目は何でもよくないか?」
「私もそう思ったんだけどね。そう言ったら、『極端な話、寝癖付いたままの寝起き姿で祈り場に立てる?』って言われてね……。それはさすがに無理だなぁって納得しちゃった。あ、ルイスに言われたときは、半裸姿で外に出かけたいかって聞いてみなさい、だって」
「……そう言われると何でもよくはないな、うん」
数ヶ月前の出来事を思い出して頬を赤くしつつ呟いたルイスの脳裏を、ふんと鼻息荒く呆れ顔でふんぞり返るエマの幻が過る。
そんな中、リオンはカップを両手で包み込むように持ちながら空を見上げて、悲しげに呟いた。
「それにしても今日はよく晴れてるのに、月全然見えないね……」
「そりゃ、新月だし当たり前だろ」
「え?!」
リオンにつられるように空を見上げたルイスの視界に入るのは、寒空の中、より一層輝いて見える星空。それらを掠めさせる月の光は一片もない。彼の言葉に驚き落胆した後、何やら頭を抱えて唸ったリオンに、彼は訝しげな顔で問いかけた。
「えって……お前、今朝祈り場で新月の祈りの詩を歌ってたよな?」
「あはは、ルイス、よく祈りの詩の違いわかったね。ちょっとずつしか違わないのに」
「ほぼ毎日、同じ周期で半年も聞いてれば、月齢で違うことや何となくの違いくらいならわかる。って、そうじゃないだろ」
「……いや、うん。公務が終わって、明日久しぶりに一日休みだからここに来れるって思ったらつい、いろいろとね……?」
「記憶の彼方へ飛んでいったと……。……神官長がここに居なくて良かったな?」
「うう……、怖いこと言わないでよ。うっかりいつもの『月巫女たるもの~』っていう長いお説教想像しちゃったじゃない」
今にも泣き出しそうな顔でプルプルと震える彼女の様子に、ルイスは苦笑しながら『悪い』と一言謝ると、首を傾げながら言った。
「しかし、そんなに月が見たかったのか?」
「そ、そういう訳じゃないんだけど、でも出ててほしかったというか……」
「?」
「な、ないものは仕方ないし、いいの! 気にしないで!」
そう言ってリオンは頬をさらに赤くしつつ、苦笑を浮かべた。しかし、気にしないでと言われたはずのルイスは、今度は彼女の顔をじーっと見つめて言った。
「さっきからどんどん顔が赤くなっていってる気がするんだけど、お前、熱でもあるんじゃないか?」
「え?」
心配そうな顔で覗き込んでくる彼に、キョトンとしたリオンだったが、彼が何故そんなことを聞いてきたのかに思い至ったのか、慌てて言った。
「なな、何ともないよ?! お茶飲んでちょっと体がポカポカしてるだけじゃないかな」
「この寒さの中、一口二口のお茶でそこまで暖まるわけないだろ。確認するからちょっと頭貸せ」
そう言いながら、ルイスは呆れ顔で体ごとリオンの方を振り返り膝立ちでにじり寄った。彼の行動に『え?』とリオンは不思議そうにしていたが、いきなり頭を固定され、顔を近づけ始めた彼に気付くと、再度慌てだした。
「え、ちょっ! 何を……」
「すぐ済むから動くな」
「はい……」
真顔でぴしゃりと告げられた彼の言葉に、リオンが目をギュッと閉じて大人しくしていると、触れたのは額と額。それはほんの少しで離れてしまったが、そっと目を開けば、いつになく近くにある翠緑色の瞳に、リオンの肩が大きく跳ね上がってそのまま硬直する。
「熱はなさそうだな……。気分が悪いとか、寒気を感じるとかはないか?」
「うん、大丈夫……」
心配の色こそあれど、いつもどおり平然としたの彼の様子に、リオンは気持ち肩を落としながら苦笑した。そんな彼女の様子に、逆に首を傾げたルイスだったが、特に異常はなしと判断すると、押さえていた彼女の頭を放して言った。
「あんまり無理するなよ?」
「ありがと」
それから何を話すでもなく、ただ付かず離れずの距離で満天の星空を眺めていた二人の視界を、一つの帚星が微かに瞬き消えていった。
「あれ流れ星かな? 私、初めて見たかも」
「オレは子供の頃に見て以来だな」
「願い事三回唱えられたら叶うんだよね?」
「らしいな。けど、あんなのあっという間なのに、どうやって三回唱えるんだか」
「心で早口言葉なら行けるかも?」
「……心で早口、なぁ……。ま、次に流れたときに試してみたらいいんじゃないか?」
苦笑しながら返したルイスの脳裏を当時の微かな記憶と共に、彼にとって懐かしい声が響く。
「今までずっと忘れてたのに、なんでこんなときに思い出すかな……」
「ルイス?」
いつになく自嘲気味に呟かれた彼の言葉がはっきりとリオンに届くことはなかったが、様子のおかしい彼を彼女は訝しげに見つめた。そんな彼女の様子を見て、ルイスは首を左右に緩く振って言った。
「いや、何でもない。少し昔聞いた話を思い出しただけだ」
「どんな話?」
「……教えてもろくなことにならないから教えない」
「えー……また?」
不貞腐れた顔をするリオンに、ルイスは苦笑しながら、空を見上げながら言った。
「ま、大したことじゃないし、気にするな」
「そう言われるとますます気になるんだけど?」
「あ、また流れた」
「えっ、どこ?」
ルイスの言葉にリオンは慌てた様子で、手にしていたカップを横に置いて空を見上げ、どこにあるかわからない流れ星を探し始めた。そんな彼女の目の前で一つ二つと、次々に星が瞬いては流れていく。思いがけず目撃することになった流星群に、二人は言葉もなくその空の光景に釘付けになった。
その最中、ルイスが横目でちらりとリオンを見やれば、流星群に目を閉じて何かを祈りを捧げるように手を組んでいた。そんな彼女の様子にルイスはホッと小さく息をついて、彼は再び流れていく流星群をただ黙ってを見上げた。
そうして、訪れた穏やかな静寂の中、ルイスは懐かしむようにポツリと小さく呟いた。
「星が綺麗ですね、か」
「星が綺麗ですね」
ふと、ルイスがつい先ほど脳裏を過った言葉を復習うのと同時に、リオンの声が重なる。それに目を瞬かせて『え?』と振り返えれば、同様に振り返ったらしい彼女の瑠璃色の視線がぶつかる。
二人とも口にしたのはほぼ同じ言葉。だが、見合わせたそれぞれの表情は全く異なっていた。片や冷や汗をかきつつ困惑した様子で、片や顔を赤く染めて戸惑うように視線を彷徨わせている。
「リオン、突然どうした?」
「る、ルイスこそ……」
「いや、オレはさっき思い出したことがついうっかり声に出ただけだけど?」
「え、それ、どんな話?!」
「……い、いや、随分昔の話だから、実はそれしか覚えてなくてな」
勢いよく食いついたリオンに戸惑いつつ、ルイスはそう言って頭を掻きながら、『あ、あはは』と誤魔化すように苦笑いを浮かべた。そんな彼の様子にリオンは落胆したようにがっくりと肩を落とした。その顔には哀愁が漂っている。
「どうかしたのか?」
「ううん、なんでもない……。そろそろエマと約束した時間になる気がするし、戻ろっか」
苦笑しながら立ち上がった彼女の言葉に、ルイスは不思議そうに首を傾げた。が、話題から逃れられることに気付くと、これ幸いとばかりに荷物をまとめ始めた。それを終えると多少軽くなった鞄を斜めにかけ、片方の手でランプを掲げ、もう片方の手で彼女の手を取り、ゆったりとした歩調で神殿へ向けて歩き出した。
そんな中、ちらりとルイスが斜め後ろを伺えば、リオンの顔にはまだ微かな赤みが残っていた。それを見た彼の脳裏を再び過るものがあった。それは、幼い声と女性の声。
――どうして、『月が綺麗ですね』とか『星が綺麗ですね』って父様が言うと母様の顔赤くなるの?
――教えたこと父様には内緒よ? あの人照れ屋だから、好きって言葉を簡単には言えないの。その代わりに満月や星の綺麗な夜に綺麗ですねって言うのよ。
脳裏で木霊した言葉たちと、有耶無耶になった先刻の彼女の言葉に、ルイスは慌てて頭をゆるゆると左右に振った。
「……いくら何でも、まさか、な……」
ポツリと零した彼は、動転していたが故に気付かなかった。前を見据えて進む彼を斜め後ろからじっと切なげに見つめている瑠璃色の視線に……。




