14.揺れる心
※ 文章の終わりにイメージイラストがあります。
徐々に日が差し込み始める石造りの廊下に、控えめな軍靴の音が足早に響く。それが二階奥の廊下に差し掛かると、のんびりとした声がそれに混ざった。
「よ、ルイス。遅かったね、寝坊でもした?」
「遅くなって悪い。団長に捕まった」
「いいって、気にしてないし」
挨拶もそこそこに開口一番に謝罪をしたルイスに、欠伸をしながら返したのはリック、もう一人の護衛騎士だ。彼は微かに息を乱しながら目の前まで急ぎやってきたルイスを、からかうような笑みで迎えながら言った。
「いつも注意する側のお前が遅刻って滅多にないから、ちょっと新鮮だけどね」
「できたらお前の遅刻癖はどうにかしてほしいところだけど?」
「仕方ないじゃん。オレにだっていろいろやることはあるんだからさ」
悪びれた様子のない笑顔でいう彼の言葉に、思わずルイスは大きなため息をついた。
「ったく……。お前のいろいろは大抵、溜め込んだ仕事の片付けか、街に行くことだろ?」
「ま、そうともいうかもしれないし、違うかも?」
「何にせよ、だ。とりあえず、手伝えるものは多少片付けておいたけど、頼むからあの机の惨状はいい加減どうにかしてくれ」
「え、お前、自分のだけじゃなくオレのもやってたの!? 何してんだよ……」
ルイスの言葉に、リックは驚きで目を瞠ったあと、額に手を当てて不満げな声をあげた。そんな彼にルイスは不思議そうに首を傾げた。
「何って、仕事だろ?」
「そうじゃなくて。何のために団長が神官長に直談判して、オレが交代要員として名乗り上げたと思ってるんだって話だよ」
「それは助かっているし、有効活用させてもらってるぞ? 普段出来ない訓練もできるし、書類も溜めずに済んでるし、あと睡眠も取れる」
「いやいや、なんで睡眠が一番最後なわけ? むしろ、そこが一番大事でしょ。オレはお前を休ませるために副官名乗り出たんだけど? なのに、当の本人が休みにまで仕事してどーすんの、全く……」
そう言ってリックは呆れ顔で呻いた。
「オレはお前が食事とか用事で外すときと休みのときだけだけど、お前は基本的に数日昼夜ぶっ続けなんだから、ちゃんと休みなよ。七日に一日だった最初よりも交代頻度を増やした意味ないじゃん」
「寝てはいるし、ちゃんと意味はあるぞ?」
「たった数時間の睡眠で、仮眠ありとはいえ不眠不休数日分の疲れが取れるわけないだろ。バカでもわかるわ!」
まだ夜が明けて間もないため、会話は互いに全て小声を貫きながら、そんなツッコミを入れられれば、ルイスは苦笑した。
「体調管理には気をつけてるし、鍛えてもいるから何とかなるだろ」
「お前なー……、そんなこと言ってると、いざってときにもたないよ?」
「善処はする。が、それならお前も仕事溜め込むなよな」
「それは……一応検討しておくよ」
と、言いつつ、視線が明後日の方向に泳ぐ碧い瞳に、ルイスはまた次の休みに入るときも机の山は減っていないのだろうなと確信し、苦笑を深めたのだった。
「で、引き継ぎだが。昨日の昼間のあれは一体何だったんだ?」
「あ、やっぱり気付いてた?」
「わからいでか。だからお前だって後ろに隠れたんだろ? そもそも考え無しにあれだけ露骨な視線を二つも感じたら嫌でも気付くに決まってるだろ。団長を誤魔化すの大変だったんだぞ?」
「あはは、だよねー」
諦め顔でから笑いしながら同意するリックに、ルイスは呆れ顔で息をついて、先を促すようにじっと見つめた。
「ま、結論言えば、からかったお詫びにリオンのお願いに付き合って、あそこから三人で人間観察してたんだよ」
両手を上に向けて両肩を竦めながら言ったリックの言葉に、ルイスは目を瞬かせて彼を見つめた。すると、それに気付いたリックは、不思議そうに首を傾げた。
「どうかした?」
「あ、いや、お前もついに名前で呼ぶようになったんだな、と少し驚いた」
「ああ。まぁ、事故に巻き込まれたというか、何というか……最終的に共犯になってくれって頼まれちゃったからね」
「事故? 共犯? 何の話だ?」
「エマの名誉のためにもそこは言えないなー」
「ああ、ならいい。何となく察した」
呆れを滲ませながらあっさりとルイスが引き下がると、リックは当てが外れたのか、じと目で彼を見つめた。
「察し良すぎてからかう隙もないのはどうなの?」
「引き継ぎ中に人をからかうな。内容をちゃんと説明しないお前が悪い」
「別にいいだろ、そのくらい。お前だってリオンって呼んでること黙ってた訳だし?」
「それはオレから言う話じゃなく、リオン本人からする話だと判断しただけだ」
「ホントに?」
「それ以外何があるって言うんだ」
何やらニヤニヤとした笑みを浮かべるリックに、ルイスが呆れつつぴしゃりと言えば、リックは笑みを深めて言った。
「とか何とか言って、オレを含めた他の男にリオンって呼ばせたくなかったんでしょ?」
「……は?」
「とぼけたって無駄無駄。屯所行ったときのお前の行動と態度に合わせて、誰より先に名前を呼んだって話まで聞いたら、ねぇ?」
「ねぇと言われても、一体何の話だ?」
「何って、まだとぼけるの? リオンのこと、好きなんでしょ?」
「好きか嫌いかで言われたら、まぁ、好きな方だけど。でもそれは別にお前やエマだってそうだろ?」
何を言っているんだと言わんばかりの顔で返したルイスの様子に、いつの間にかリックは笑みを消して唖然としていた。そして、しばしの沈黙の後、彼は真顔で問いかけた。
「ちょっと待て。お前、まさかとは思うけど、この後に及んで無自覚?」
「だから、何がだ」
「……嘘でしょ。あれだけ独占欲むき出しだったのに無自覚ってありなのか……」
「独占欲?」
「しかも二十超えてるのに純粋か!?」
頭を抱えて天を仰ぐリックの様子に、ルイスは?マークを飛ばしながら首を傾げた。そんな彼に、リックは盛大なため息をついて言った。
「お前さー、普段察しも良ければ、他人の感情の機微にもそれなりに聡い癖に、自分の色恋になった途端に鈍感になるってどういうこと?」
「オレの色恋……?」
「わー……これ、本気だ。本気で言ってるよ、この人。思った以上に鈍感過ぎていっそ清々しさすら覚えるわ、オレ」
目をパチパチと瞬かせていたルイスだったが、リックの小馬鹿にしたような言葉には、さすがに眉間に皺を寄せて不快感を示して言った。
「さっきから何なんだ、一体」
「え、お前の恋について?」
「はぁ? 騎士団に入ってからほとんど女性と縁がない上に、生まれてこの方そんなものした覚えないぞ」
「なるほど、初恋だから無自覚……ってどんだけだよ! あーもうまどろっこしい。もう直球で言っていい?」
「むしろ、最初からそうしてくれ」
両肩を竦めて呆れ顔でそういうルイスに、これ幸いと言わんばかりに畳みかけるようにリックは言った。
「言質取ったからね? あとで文句は聞かないからね?」
「わかったわかった。で、何なんだ?」
「お前の言うそのほとんどに該当しなかったリオンのことを、異性として好きなんでしょ?って話だよ」
「は? リオンのことを、異性として好き? オレが? え?」
半ば自棄糞気味に告げられたリックの言葉にルイスが戸惑ったように反芻し、理解するまでしばし沈黙が降りた。しかし、その後、ぶわっとルイスの顔は耳まで真っ赤に染め上がった。そんな彼に、リックは苦笑しながら言った。
「そういうこと」
「い、いやいやいやいや。あり得ないだろ!」
真っ赤な顔と前に出した両手を勢いよく左右に振って否定したルイスに、リックは呆れたように息をついて言った。
「そんな顔で言われても説得力ないけど……。というか、声大きくなってる」
「あ、悪い……。起こしては……いなさそうだな」
リックの言葉に思わず口に手を当てて、扉向こうの気配を探ったルイスは、起きた気配のない様子に安堵したように息を吐いた。そんな彼にリックは笑みも呆れも浮かべず、真剣な顔で問いかけた。
「一応聞いておきたいんだけど、なんであり得ないわけ?」
「リオンは月巫女で、オレはそれを守る騎士だ。それ以外に何かあっていい訳ないだろ」
「月巫女も、騎士も、元を正せばどっちもただの一人の人間なのに?」
「それは……。だが、お前だってわかってるだろ……」
視線を落とすルイスの言わんとすることに対し、リックは一つ頷いたあと、静かに言った。
「そりゃ、オレも護衛騎士の一人だし、お前が言わんとすることはわかってるよ。けど、オレは正直、あんな身勝手なモノなんてどうでもいい」
「どうでもいいって……」
「一番大事なのは、リオンとお前自身の気持ちだろ?」
「それはそうだけど……。そもそも、オレがどう思おうが、向こうがそんな感情持つわけがな……」
「もしも持ってたらどうするの?」
静かだが、言い逃れは許さないと言わんばかりに真っ直ぐ向けられた碧眼とその言葉に、ルイスは思わず戸惑い息を呑んだ。
「お前は否定するけど、人を好きになるのは理屈じゃない。知識があるかないかの話でもない。心のありようだろ?」
「それは……」
「例えば、自分の恋心に無自覚でも、他の男がその手を取ったことに不機嫌になったり。利用するようなことをしたことに、らしくもなくイライラして不機嫌全力で爆発させて、試合にかこつけてボコボコにしてみたり。普段規則規則って口煩いくらいなのに、何故かそれを進んで破るに至ったり。思い当たる節、あるよね?」
ふいっと視線を逸らすルイスに、リックはうんうんと満足げに頷いて言った。
「そこに関しては自覚してたんだね」
「……任務に差し障りがあっただけだ」
「そんなのいつものことでしょ。予定調和な任務なんて今までにあった試しないし。普段のお前ならすまし顔で全部事もなげに終わらせてたはずだよ」
「う……」
「で? もし、リオンがお前のように、無意識に好意を寄せて、何かの弾みでそれを自覚することがあったら……、お前はどうするの?」
再度、静かに問われたその言葉に、ルイスは全身を硬直させ、しばし黙り込んだ後、絞り出すように言った。
「そんなの、もしもあったとしても応えられる訳ないだろ……」
「……それがリオンを傷つけることになっても、か?」
「それは……」
瞳を彷徨わせつつも、苦々しげな顔で唇をぎゅっと噛みしめるルイスに、リックは小さく息をついて言った。
「悪い。言い過ぎた……、とは正直思わないけど、急いたことは謝る。だけどこれだけは言っておくよ。お前は自分の気持ちに見て見ぬ振りしないでちゃんと向き合え」
「え……?」
「お前が自分ではなく、いつもある人を優先してしか考えてないのは知ってる。まぁ、その誰かは出会った頃に比べたら数人に増えたみたいだけど」
「なっ?!」
訝しげな顔を一転、驚きに目を瞠ったルイスを、リックは心底呆れた顔で見て言った。
「一体誰がお前の片腕を十年以上務めてきたと思ってるんだ? 隠してたって見てればわかる」
「……そう、なのか……」
「って、そこは落ち込むところじゃなくて、相棒の愛ある理解を素直に喜ぶところだから」
「愛ある理解、なぁ……。お前相手だとむしろ弱み握られた感しかないんだけど」
「人が心配してるのに、言うに事欠いてそれ!? オレでもさすがに傷つくよ!?」
そんな軽口の応酬を繰り返す中、普段通りに近い雰囲気に戻ってきたところで、ルイスは苦笑しなが言った。
「冗談だ。……ありがとな」
「まぁ、調子戻ったならいいけどさ。けど、本当に真面目な話、ちゃんと自分の気持ちに向き合いなよ?」
「わかったって」
軽い調子で返すルイスに、リックは不満げな顔をしつつも、小さく息をつくと首から提げていたペンダントを外しながら言った。
「オレがこれ以上とやかく言ったところでどうにもならないのもわかってはいるけど。でもさ、認めなきゃ見えてこないものもあるし、後で後悔しても手遅れになったらどうすることもできないんだから。そこんとこ忘れないでよ」
そう言って、月と剣を模したペンダントを握り絞めた拳を、ルイスの胸の中心にコツンとぶつけた。裏表なく真っ直ぐ睨むように見つめてくる碧い目に、ルイスは一瞬目を見開いた。が、その碧眼を真っ直ぐ見返すと、悲しげに微笑んで言った。
「そうだな……。どんなに後悔しても時は戻らないからな」
「……わかってるならいい」
そう言うと、リックは拳の中にあるペンダントをルイスに手渡すと、全身を伸ばして言った。
「さて、体も冷えたし、普段使わない頭まで使って疲れたし、オレは帰って寝るよ。あとよろしく」
「お疲れ様。ゆっくり休めよ」
そんないつもの何気ない挨拶を交わすと、リックは右手をヒラヒラと揺らしながらその場を後にした。残されたルイスは、リックから預かったペンダントを見つめたあと、いつもどおりそれを首から提げ、いつも通りの日常が始まるまで物思いに耽ったのだった。
 




