夢
みなさん、六興九十九です。
やっとの次話の投稿です。
遅くなり申し訳ないです。
それでは、本編をお楽しみください。
――昨日、昔の夢を見た。
――ずっと、ずっと、昔の夢。
鉛を張ったような曇り空からは、桜の花びらのような大粒の雪が絶え間なく降っていた。
「ねぇ、ほんとに行っちゃうの……?」
「うん。僕は、世界が見たい。この町よりも何倍も、何十倍も大きな世界をこの目で見たい。」
アンソニーは窓辺に立ち振り返らずに答えた。
「ミラ、心配しないで。僕は帰ってくる。いろんな事を知ってミラの所へ帰ってくるから」
彼の声が降り続く雪の中へ放たれ吸い込まれて消えていく。
「絶対? 約束だよ?」
「約束する」
彼が振り返り、ミランダに微笑みかける。
それと同時に、ミランダがアンソニーに駆け寄り、きつく抱きしめる。きつく、きつく、壊れそうな程に、きつく、強く。それに答えるようにアンソニーもミランダを抱きしめる。
「大丈夫、大丈夫。僕はミラを一人にはしないから。離れててもずっと一緒だよ」
「それ、なんだかプロポーズみたい」
ミランダが笑う。
「……一応、そのつもりなんだけどな……」
「え?」
「いや、何でも無い」
「……私はずっと待ってるよ」
その翌日、彼はから外の世界へと旅立った。
三年前の冬の事だ……。
――彼は憶えているだろうか……。
――忘れずにいてくれているだろうか……。
暗転。暗転。暗転……。
――閑話休題――
――夢を見た。
――忘れたい過去の夢。
――消してしまいたい過去の夢。
僕がサーカス団に入団した翌年の春の事だ。
彼女が新たな仲間として入団した。
彼女の名前はレナ=トンプソンといった。ミラと同じ年齢の活発な女の子だ。
年齢が近かったこと、そして僕自身も入団してから日が浅かったことから僕らはすぐに親しくなった。
そんなある日のことだ。
「ねぇアン兄。お話があるんだけどいいかな?」
稽古を終えた僕にレナが話しかけてきた。
「ん? まぁ、別に構わないけど」
「場所を変えよ? ここだと話しにくいし……」
そういうと彼女は人のあまり来ることのない稽古場の裏へと僕の手を引いていった。
「あのね、アン兄。私、アン兄のこと好きになっちゃったみたい。だから、その……」
彼女が頬を赤らめ、俯く。
そして、一呼吸の間。
再び顔を上げる。
「私と付き合ってください……!」
「……」
「アン兄と話してるとすごい落ち着くんだよ。笑顔を見てると胸が苦しいの」
――いいよ。
そう言おうとしたとき、ミラの顔が頭に思い浮かんだ。
「……少し、考えさせてくれないか?」
「…………わかった。待ってる」
彼女は少し悲しげな顔をし、「それじゃあ、また夕飯の時にね……」というと稽古場の裏を去って行った。
夕飯の場にレナは現れなかった。
「アン、レナの様子を見てきなさい」
食後、団長が僕にそう言う。
「はい、わかりました」
テントの外へ出ると春の夜風が頬をなでる。
草の香りと混じり合い少し青臭い。
夜露に濡れる草を一歩一歩踏みしめレナのテントへと向かう。レナへの返事を考えながら。
レナのテントを確認すると明かりはついていた。どうやらレナは中にいるみたいだった。
「レナ……?」
返事がない。
「レナ? いるんだろ?」
まだ、返事がない。
「夕方の返事を言いに来たんだけど……」
それでも、返事がない。
「レナ? 入るぞ?」
ゆっくりとテントをめくる。中が少しずつ見えてくる。
――――嫌な予感がした。
この先を見てはいけないような。脳が見るなと訴えている。
それでも、腕は止まることなくテントの入り口を開いていく。
「レナ……?」
いない。気配がしない。生きている人の気配がしない。
臭い。血のような生臭い匂いがテント内に充満している。クサイ。クサイ。クサイ。
一歩。そしてまた一歩。テントの中へと足を踏み入れていく。
荒らされたテント内。
そして――
血だまりの中に倒れるレナ。
「レ……ナ……?」
頭が、脳がこの状況を理解した。
「…………い」
かすかにレナの声が聞こえた。まだ生きている。
服が汚れることを躊躇せず、血だまりへと足を踏み入れレナを抱きかかえる。
「今すぐ人を呼んでくるから……!」
「…………待って……行か……ないで……」
彼女が弱々しく僕の袖を掴む。
「……たぶん……もう助からない……から。お願い……そばに……いて……?」
レナの瞳から涙がこぼれ、顔に筋を残す。
「私ね……アン兄と会えて……私、幸せだったよ……」
「まだ、大丈夫だから……最後なんて言うんじゃない!! 助かるから……」
――僕が、笑顔を見せたから……。
――僕が、優しさを見せたから……。
――僕と、出会ってしまったから……。
心の奥、暗く深い部分から何かが崩れ、壊れていく音がした。
彼女は……レナは、そのまま僕の腕の中で静かに息を引き取った。
そして、僕の中にある、心のパズルから笑顔のピースが静かに、ひっそりと姿を消した。
その穴には影が身を収めるようになった。
――このころの僕はまだ、そのことに気づいていなかった。
暗転。暗転。暗転……。