仮面と欠陥
ミランダがアンソニーを抱き締めてから数分がたった。
「えーと、ミラ? そろそろ、回りの視線が痛いんだけれども……」
アンソニーが周りを気にしながら言う。
それもそのはず。
通りを歩く人々の視線はほとんどが彼らに向けられているからだ。中には嫉妬の入り交じった視線もあった。
「あ、ごめん」
ミランダが彼から離れる。そして、少し顔を赤らめはにかみながらアンソニーを見つめる。
「久しぶりに会えて嬉しくて……寒いよね? 中入って」
アンソニーの手を引き、室内へと連れ込む。
ーバタンー
扉が閉まり、大通りは何事もなかったかのようにいつも通りの静けさが帰ってきた。
「同居人を紹介するね」
「ど、同居人!?」
アンソニーの頭のなかをカーティスという男の名が駆け回る。
ミランダは足にじゃれつく猫を抱き抱えた。
「彼が、同居人のミューズ。可愛いでしょ?」
「にゃー」
自己紹介をするかのようにミューズが声を出す。
「同居人って猫のことか……」
「ん? なにかいった?」
「いや。よろしく、ミューズ」
アンソニーがミューズの頭を数回撫でると、ミューズは気持ち良さそうに目を細め喉を鳴らした。
「気に入ってもらえたみたいね」
ミランダが笑う。
「夕飯作ったとこなの。食べる?」
「うん。いただくよ」
二人は二階へと上がる。
テーブルの上には昼間、ミランダが買ったものが丁寧に調理され並んでいた。
「すごいじゃないか。どれも美味しそうだよ」
「今日、ヘンリエッタさんのところで買ったの。葡萄酒もくれたわ。さ、早く食べましょ?」
二人は椅子に腰掛け、豪勢な料理を食べ始める。
「そういえば、叔父さんと叔母さんは元気なのかい?」
アンソニーが沈黙を破り話し出す。
「……お父さんとお母さんは、アンがこの街を出た翌年に死んでしまったわ。家が火事になったのよ。中に取り残されたお母さんを助けるために中に入っていったの。その時、家が崩れた。今は建て直してアルバートさんの家族が住んでるわ」
「そうだったのか、僕がいない間にそんな事が……。ミラ、ごめん。一番辛いときに傍にいてあげられなくて。助けてあげられなくてごめん……」
「大丈夫。私は元気だし、もう辛くないよ?」
「…………」
言葉が喉で引っ掛かり紡ぎ出せない。もしも、言ってしまったら彼女を壊してしまうのではないだろうか。
アンソニーは脳を全力で使い、考える。考える。考える。考えて、考えて、考えた。
そして、アンソニーは言葉を絞り出した。
「……なら、なんで泣いてるいの?」
ミランダの顔は笑顔のまま。双方茶色い瞳からはぽたぽたと雨粒のような大粒の涙が零れ落ちている。
それはまるで『笑顔』の仮面を付けているかのようだった。
「……え? 泣いてる?」
ミランダが頬を触る。流れ落ちる涙が手の甲を伝いテーブルの上へと小さな水溜まりを作った。
「ほんとだ……なんで……?」
約三年ぶりに再会した幼馴染みは壊れていた。『笑顔』という仮面を付け、その奥で泣いていた。誰にも気がつかれないように、三年間もの間、たった一人で。長い時間が少しずつ、確実に壊していった。ミランダは両親を失ってからずっと『笑顔』を身にまとい、自分の心に誰も立ち入らせる事もなく、自分にすら本心を隠していた。
彼女の涙が止まるまであまり長くはかからなかった。
ミランダの涙が止まるまで、ほんの少し時が過ぎる。
「少しは落ち着いた?」
「うん……ありがとう」
涙で震えていた声には再び落ち着きが戻った。
「とにかく、そういう理由で私は一人になっちゃったんだよ」
アンソニーはまた彼女が涙を流すのではと少しひやひやしていたが、その心配は徒労に終わった。
「アンはこの三年間どうだったの?」
「僕? 僕は、団長の元でずっと修行だよ。最近は道化師として出演する機会が多いけどね」
「辛くないの?」
ミランダが心配そうな声で聞く。
「辛い、かな。練習とかは大変だし、うまくいかないこともたくさんあるから。でも、団員のみんながすごく親切だし仲良くしてもらってるから楽しいよ」
「それならよかった」
ミランダが満面の笑みで頷く。
「さ、残りを食べ終えてしまいましょ? 残ったら困るんだから」
二人は残った料理を食べ終え、一階の暖炉の前にあるソファーへと腰かけた。
しばらく沈黙が続き、パチパチと薪の弾ける音と二つの呼吸の音だけが室内を満たす。
その沈黙を破ったのはアンソニーだった。
「そういえば、僕の両親はどうしてる?」
ミランダへ質問を投げ掛ける。
「アンの両親はもうこの町にいないよ。邪魔な息子がいなくなったって、すぐにどこか行っちゃった。たぶん、今は他の町で暮らしてるよ」
「そっか。もういないか……あの人達らしい選択だよ」
アンソニーと両親は血が繋がっていない。彼を養子として迎え入れたのだ。しかし、迎え入れてから十年程がたった時、血の繋がっていない彼の事が疎ましくなり邪魔になった。そして、彼がいなくなったことで姿を消した。二度と戻ってくることができないように。
「……僕のなにがいけなかったんだろうな……」
「え……?」
「いや、なんでもないよ。それより、僕はもう宿舎に帰るよ。あまり遅くなると他の団員に迷惑がかかるからね」
「わかった。明日も来れる? 来れるなら夕飯の準備しておくから」
「明日か……公演の後なら来れるはずだよ」
「わかった。じゃあ、アンの分も準備しておくね」
「ありがとう。楽しみにしておくよ」
アンソニーがコートをはおり、扉の方へと向かう。
「それじゃあ、また明日。あ、そうだ。これ」
振り返ったアンソニーからチケットを渡される。
「良かったら見においで」
そう言ってアンソニーが部屋を出た。
ーバタンー
扉の閉まる音。
部屋に一人になったミランダは異変に気付いていた。
彼が、アンソニーがおかしいということに。
感情表現が豊かだった彼が笑わないのだ。口元は笑顔を作っていた。でも。目は笑っていなかった。彼の瞳を覗いたミランダにはそこに不安と恐怖の色が見えていた。その理由はミランダにはわからない。
この三年間、彼は大道芸を習得する代わりに『笑顔』という表情を何処かに落としてきていたのだろうか。ひとつだけピースの足りないパズルのように、笑顔だけが綺麗に消えているのだ。
彼もまた、約三年間という時を過ごしどこかが壊れて何かを失ってしまっていたのだった。




