嘲りの夢(1)
毎日更新していきます。
すでに書き上げているのでエタることはありません。
シリアスミステリーですがよろしくお願いします。
1
草臥れたアパートの一室。揺蕩う草葉のような微睡みの中、紫煙を吹かせば現実から逃れる事ができた。煙に巻かれることなく背後へ迫る今日も、夢の中までは追ってこない。瞼の裏に映るのは、海を泳がず空を飛ぶ人鳥。太陽を見ることのなく地を這う青い天道虫。波に攫われず、独りでに踊る夜光虫。どれもが夢を見ている青年に寄り添うことなく自分の生を全うしている。
何処からか汽笛が鳴れば影たちが音も立てずに踊り出す。持ち主から離れ、一つ個として手を横に、足を前に、音に合わせて狂っていた。
俯瞰的に全てを見渡せる青年はその夢を明晰夢だと認識することができる。現実には起こり得ない不可解な現象により、脳が警笛を鳴らしていた。いくら目覚めようとしても、夢から逃れることはできない。厭世により夢の世界へ逃げ込めば夢から逃れようと現実に戻ろうとする。どこにも青年の居場所はないのだ。
「覚めねえ。瞼の裏に染み付いた夜が幻を見せてくる。光が目を閉じても、目を開いていても俺を寝させないように、現実に戻させないように輝いている。やめてくれ」
話し始めればスポットライトが当たるように青年が照らされていた。悲劇の主人公か喜劇の悪役か。誰の夢かも分からない劇場が嘲り笑うように青年を主役の座へと引き込んでいく。彼は歩けばライトは先を照らし、彼が止まればライトも静止する。照らしているのは月明かり。隠れる場所もなく、逃げることはできなかった。
「助けてくれ。俺は何もしていない。何をしたと言うんだ。仕事をこなしただけで――」
「お前が殺したんだ。俺を、殺した。お前が殺している。最後の姿はお前が見たんだ。お前が、お前が――」
地を這う芋虫や雨のように降る魚が口を揃えて青年を罵倒していた。上を見上げても空はなく、地面を見下ろしても踏みしめるための大地はなかった。何もない空間に青年は一人佇む。低俗なオーケストラのように様々な音が奏でられ、青年の耳を刺激した。全ての音は青年への怨嗟の声。覚めろと願っても叶うことのない夢の中。
一度瞬きをすれば、周囲で罵倒をしていた生物たちは息絶え、死骸の山が積み重なる。何者かの玉座のように山となった死骸の目は全てが青年を見つめていた。
「お前が殺した。だから俺はお前が死ぬまで苦しませ続けるぞ」
青年の背後から声がした。仄暗い闇の底から響く怨嗟の声。その声を聞いても青年は振り返ることをしない。夢の世界では体の自由はなく、意識は夢の自分に入っているのに身体は傀儡のように動いて行く。
死に向かって歩き始める自分の体を止めることは出来ない。只管に死骸の山に向かって歩いていく。近付けば異臭を覚える感覚。鼻腔に届くことはないが、感覚として異臭を感じるのだ。スプラッタ映画を見れば、鉄の匂いを幻臭してしまうようなもので、鼻をつまんでも逃げることはできない。
「俺は殺していない。彼奴はすでに死んでいた。俺は何もしていない。仕事をしただけだ。俺は――」
「お前が殺した。俺はお前を呪い続けるぞ。お前が居なければ俺は死ななかった」
体を壊れたラジオに変えながら殺してないと流し続ける。気がつけば青年の体は人間ではなく無機質な鉄の箱になっていた。継ぎ目のない完璧な箱。その中に閉じ込められるでもなく、箱自体になった青年は物言わぬ我楽多になったことで安心をしていた。
――思考もなくなってしまえばいいのに。
既に眼球はないのに、鉄の箱を見下ろす無機質な目と目が合った。その目は何個もあり、同じ顔がいくつも並んでいる。箱を囲むように立っている男は――。
「お前が殺した男の顔を忘れるな。苦しんで苦しんで死んでくれ」
三日月のように口角を上げて鉄の箱に語りかけていた。
2
超常現象研究家兼探偵である殺人結果の家にはボサボサの髪と目の下に色付いた濃い隈が特徴の男性が訪れていた。築百年以上は経っていそうなボロボロの建物。屋内はリノベーションをしているため綺麗なのだが、外観は野晒しにされた外套のように見窄らしい。
訪れた男は何度もチャイムを鳴らすと、出てきた家の者に「おせーんだよ」と舌打ちをした。人に会う状況で適してはしない首元が縒れたTシャツに長年履き続けているからか裾の糸が出ているジーンズ。無精髭も生やしており、清潔感の欠片も感じられない。
依頼人ということで家のなかに迎え入れ、応接間に通す。応接間に向かう最中も家の外観について暴言を吐いたり、来るのが遅いと悪態をついたりと人間性を疑う行動を繰り返していた。
「えっと、依頼って事でいいんだよね」
結果が男に声をかけると光のない目で睨みつけられる。威圧的な態度にひじ掛けの上で休んでいた手にも力が入る。
「あの――」
男は訝しげな目線を向けたかと思えば、背もたれに体を預けたまま見下すような態度をとっていた。質問をしても返答がないことに戸惑い次の言葉を発しようとした時、結果の言葉へ被せるように男は喋りだした。
「なんだこいつ。わざわざこんなところに来たのによ。こっちは本気で困ってんのに詐欺かよ。警察に通報するぞ、クソが」
十六歳である結果は外に出ることが少なく、発育が年齢に追いついていない。中学生、酷い時には小学生と間違われてしまう体躯をしていた。
怒鳴り散らかすように叫ぶ男の口からは唾が飛沫し、座っているソファの前にある机が汚れていく。依頼者を目の前に不機嫌を表すことはないが、不快に感じていた。
人を見た目で判断し、横柄な態度をとる姿。依頼者として来た以上、依頼を受けてもらえると確信しているような行動。今も足を組んで机の上に乗せている。
「わ、私が超常現象研究家兼探偵の殺人結果。後ろにいるのが助手の白沢四季。貴方の名前を聞いてもいいかな」
威圧的な態度に怯む結果だったが、後ろには四季が居たため持ちこたえることができた。
結果の紹介に後ろで控えていた四季が一歩前に出て会釈をした。
本日の装いはインターネット通販で取り寄せた和装の着物。墨流しで作られた――ように見える量産品の着物。着付けの方法なども調べて自分で行ったようで重苦しさを感じさせず着こなせていた。特徴的な白髪は簪で結われており、仕草からも気品を感じられる。
四季の正体はこの家に住み続けている座敷わらしである。名を持たぬ妖怪の端くれだったが、結果がこの家に住むとき、先住していた四季に名前を与えたのだ。座敷わらしの文字を組み替えて白沢四季。始めは結果が住むことに否定的だった四季も、インターネットという文明の利器に触れたことで、今では結果の助手兼お世話係として働くようになってしまった。
座敷童子ゆえに、四季は家を守っており敷地内から出ることが出来ない。結果が外で仕事をする時には信頼の出来る人間を側に付けて守ってもらっていた。結果の事を可愛がり世話を焼くことを楽しいとも思っているのだが、居なくなってしまえばインターネットの回線も止まってしまう。娯楽を知ってしまった四季は、それがなくなってしまう事を恐れているのだ。
その所作から優雅さが感じられるが、蟀谷は男に対する怒りからか筋肉が細かく動いており、すぐにでも掴みかかりそうなほど嫌悪の感情が溢れていた。
依頼を受けている家自体が四季の持ち物であり、四季が守っているもの。四季の懐とも呼べる空間に入ってきた男は、礼節も弁えずに横柄な態度を崩さない。飛ばされた唾の掃除なども四季が行うため、汚すだけの存在は汚物と同価値にしか見えていないのだ。
「俺の名前? 個人情報って知ってるかなお嬢ちゃん。知るわけねーか超常現象研究家なんて名乗ってる奴なんかにさ。案内してくれた女は美人でいいんだけど、お前が胡散臭い詐欺師かよ」
「詐欺師って……」
「近いからホームページを見てきたっていうのによ。詐欺師の取締りは俺の仕事じゃねーっての」
男は客に向けて出していたお茶を豪快に飲み干し、音を立てるように机に置いた。その音に驚いて体を弾ませる結果。
「うわっ。酷い言われようかも……。四季……」
目の前の男が暴力的な行動を起こしたことで、恐怖を感じた結果はすぐに四季へと助けを求めた。
下手をすれば湯飲みに傷が付きかねない行為、そして主人である結果に対しての態度。堪忍袋の緒が切れ掛けている四季は一歩踏み出して男を叱責する。
「お客様、私達も善意で動いているわけではありませんので不満がございましたらお帰りいただいても構いませんよ」
「あ? そこの詐欺師が――」
「お客様」
男の言動に怯まずに告げる四季。
「チッ。うっせーな。わかったよ」
観念したのか、舌打ちをしながら机に置いた足を組み替える。男の行動は悩みを抱え、困り果てた末に人を頼る態度ではなかった。結果の下に来る時点で、通常の困りごとではなく超常現象関連のもの。
結果としても依頼解決は仕事であり、依頼者との信頼関係が大切だった。超常現象という目に見えないものを解決するため、信頼関係がなければ何もしていないと判断されて報酬が支払われない可能性もある。
男とは信頼関係が築けるとも思えず、適当に話をしてから追い返すことにした。慈善事業のような仕事だが、決定権は結果にあるのだ。
「俺の名前は錆鉄饐」
「錆鉄さんだね。依頼内容は?」
「おいガキ。俺は二十歳超えてんだぜ?年長者には敬語を使えって習わなかったのかよ」
「ひぅ……」
錆鉄は足を下ろしたかと思えば、前のめりになり机を拳で叩いて結果を威圧する。衝撃で置かれていた湯飲みからお茶が跳ねて零れ落ちたが、その事には見向きもしない。
「それならば貴方は私に敬語を使うんですか?」
「なんだお前? ガキの連れだろ? ちゃんと大人には敬意を持って接しろよ」
「四百歳――」
「あ?」
「私の年齢は四百歳を超えています。貴方の理論ですと敬意を通り越して地に頭を付けなければ許されない存在だと思いますが」
「巫山戯たこと言ってんじゃねえぞ。そこのお前も嘘を付いて俺のことを騙そうとしてんのかよ、詐欺師たちが」
怯えて震える結果をよそに、錆鉄は四季だけを視界に入れて立ち上がる。顔面は燃えるように赤くなっており、四季の指摘によって怒り狂っていた。
「頭にきた。一発ぶん殴らなきゃ気が済まねえ」
「傷害罪になりますよ」
「お前は四百歳なんだろ? 人間じゃねえなら法律は適用されねえわ」
テーブルを乗り越え、四季の下へと向かっていく錆鉄の拳はきつく握りしめられていた。自分の都合が悪くなると暴力に出る輩は、対話という人間が持つコミュニケーションを取ることが出来ないため結果の最も苦手とする人種だった。
勢いそのままに四季へと殴りかかろうとした錆鉄だったが、近付いていくに連れ、腕の力は抜け落ち、歩く歩幅も小さくなっていた。殴ってしまえば暴行罪になってしまう――そのような事を考えていたわけではない。
「どうしたんですか? 錆鉄様――その拳、硬そうですよ」
抜け落ちた腕の先には固く握りしめられた拳。筋肉が固まってしまっているのか指は開かない。
指摘を受けた錆鉄は青褪めており、真っ赤にして怒り狂っていた姿から百面相のように変化していた。
「振るわないのですか? 私に対して暴力を振るうためだけに握られた拳の役割は何なのでしょう」
「あ、いや、何なんだお前――」
「錆鉄様。年上に対して、敬語を、忘れて、いますよ」
一切目を逸らさず一言一句を脳に刻むように言葉を発した。四季は人差し指を立てて口元へと持っていく。和装の麗人がする仕草として色っぽく結果の目には映っていたが、目の前にいる錆鉄からは妖艶な雰囲気ではなく悪魔的な存在感を感じていた。
「悪い――いや、すみません」
「落ち着きましたか? 人に暴力を振るうというのは取り返しが付かないことなのです。対話が出来る段階で止めておけばどうとでもなります。しかし手を挙げてしまったが最後争いは過激化します。錆鉄様も私と事を構えたくはないでしょう」
「はい……。寝不足ということもあって気が立っていました。すみません……」
「それは仕方がないことです。敬語の件は冗談です。話しやすいようにしてくださいね。錆鉄様の湯飲みが空になってしまわれていますのでお茶を注いできますね」
四季は結果に影響されて現代日本のサブカルチャーを学んでしまった座敷童子。庶民の和装を着て過ごしていた彼女が、現代のコスプレ文化を知ったことで様々な衣服を着飾るコスプレイヤーのようになっていた。
しかし人ならざる者として悠久の時を生きる妖怪。目を見て対話をするだけで、普通の人であれば威圧感から冷静さを取り戻す。錆鉄も四季の眼光を受け、目の前にいる妖怪の力に圧倒されていたのだ。人間の本能が防衛機制を働かせる程に。
怒りが霧散した錆鉄は結果に向かって「すまねえな」とひと言呟くとソファに座り直した。今度は机の上に足を置くことなく丁寧に座っている。
「えっと……大丈夫です」
蚊帳の外にされていた結果だが、四季が別室にお茶を汲みに行ったことで暴力的な男性と部屋に取り残されてしまう状況に陥っていた。何かがあれば四季が手助けしてくれる状況とは違い、無力な少女が一人で成人男性と相対すことは出来ない。内心で四季の帰りを願うも、言葉にならない思いは四季へ届かない。
錆鉄は自分の行いを恥じ、結果は空間に怯え、両者共に言葉を交わさない時間が流れる。壁掛け時計だけが音を鳴らす空間に再び音が響いたのは四季がお茶のおかわりを持って戻ってきた時だった。
「俺の依頼だよな」
一通りの配膳を無言で見終えた錆鉄は徐に話し出す。
「いいの? 依頼を私にしても」
「詐欺師って言ったことは謝る。本当に最近寝られてなくて、全てに対して反抗することでしか自分を保てないんだ」
「怪しいでしょ、私たちの事」
「それは……そうなんだが。そんなこと言っていられねえんだよ。藁にも縋る思いってやつだ」
錆鉄は不安から自分の心を守るように指を組み、俯きながら語りだす。
横柄な態度は鳴りを潜め、殊勝な態度へと切替わった錆鉄に怯えてばかりでは話が進まないと判断した結果も、正しく座り直して聞く態勢を取った。真摯に依頼をしてくれる相手には相応の対応を取らねばならない。
ただでさえ超常現象研究家などという胡散臭い肩書に、探偵というスパイスまで加わってしまえば信用を得るためのスタートを切ることすら難しい。相手に対して真摯に向き合うことで、肩書ではない『殺人結果』として信用をしてもらうしかないのだ。
「聞かせてください、あなたの依頼を。解決できるかは分かりませんが、力になれるかもしれません」
超常現象は多岐に渡る。人間の手に負えないものを研究する結果にとって、無理なものは無理と諦めるしかない。しかし、被害を受けている人を見捨てるほど人情を無くしてはいなかった。
「変な事を言うようだが――」
錆鉄は前置きをしてから、目の前に座る結果と目を合わせる。
光のない、深淵のような目。
「酷く辛い夢を見る。夢の中で俺を殺すと、何度も何度も囁かれて寝ることも出来ない。俺は彼奴に――呪われている」
探偵殺人シリーズの二作目です。
もしよろしければ一作目も読んでいただけると嬉しいです。
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