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冤罪令嬢、罪人都市の領主になる  作者: 野塩いぜ


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第7話 罪人の裁き

 検問は、ロゼリアの予想より厳しいものだった。


「ルカ・フィッツ、入ります。納品です」


 ルカがいつもの調子で名乗ると、門番の衛兵が二人とも顔を上げた。ルカの名前を聞いた瞬間、露骨に表情が変わる。


「荷を開けろ。全部だ」

「昨日も開けたばかりなんですがね」

「文句があるなら入るな」


 ルカは肩をすくめ、荷を地面に下ろした。ロゼリアも黙って従う。帽子を目深に被り、視線を落としたまま、荷の紐を解く。手が震えないよう意識した。


 衛兵が荷の中身を一つずつ検めていく。塩の袋を持ち上げ、穀物の袋を揺すり、油の瓶を光に透かす。時間をかけているのは確認のためではない。嫌がらせだ。


「おい、ルカ」


 年嵩の衛兵が、品物を調べながら言った。


「お前さん、ルーディック様に随分と可愛がられてたそうじゃないか」


 ルカの手が、荷紐を結び直す途中で一瞬だけ止まった。ほんの僅かな間。ロゼリアが隣にいなければ気づかなかっただろう。


「そうですね。良くしていただきました」

「それで死んだらもう次の客か。商人ってのは逞しいもんだな」

「仕事ですから。いつまでも喪に服しているわけにもいきません」


 声は軽やかだ。飄々とした、商人の声。だがロゼリアには聞こえた。「良くしていただきました」と言ったときだけ、ほんのわずかに声が重くなったことを。


 衛兵は鼻で笑う。


「まあ、今は領主代行のご機嫌取りか。前の領主が死んだのはお前のせいだなんて噂もあるが、そのあたりはどうなんだ」


 ロゼリアの指先が、荷の上で強張る。


 ルカは笑みを崩さなかった。


「噂で商売が潰れるなら、この都市に来る商人は一人もいませんよ。……ところで、検めはもうお済みですか。朝の納品は早い方が助かるんですが」


 衛兵はルカの顔をしばらく見つめ、それから面倒くさそうに手を振った。


「行け」


 荷を担ぎ直し、門をくぐる。ルカが先を歩き、ロゼリアが半歩後ろについて。衛兵たちの視線が背中に刺さっているのを感じながら、二人とも振り返らなかった。


 門を離れてしばらく歩いたところで、ルカが小さく息を吐いた。


「……まあ、あんなもんです。商人の朝は愛想笑いから始まる」


 あっさりとした言い方だった。だがロゼリアは、あの一瞬の声の重さを忘れない。ルーディックの名前が出た時。良くしていただきました、と言った時。あの声は、商人の愛想ではなかった。


 何も訊かなかった。変装している以上、口を開くこと自体が危険だから。だがそれだけが理由ではないことを、ロゼリアは自覚していた。


***


 物資庫は、衛兵の詰所に隣接した石造りの建物だった。


 重い木の扉に錠前がかかっている。納品の手続きは扉の前で行うのが通常で、商人が中に入ることは本来ない。だがルカは荷を降ろしながら、ごく自然に詰所の脇へ目をやった。


 そこに、一人の若い衛兵が立っていた。


「ヨナス」


 ルカが名前を呼んだ。気安い調子だったが、声量は抑えている。


 ヨナスと呼ばれた衛兵には見覚えがあった。――先日、アンデッドが起き上がった現場に遅れてやってきた衛兵のひとりだ。


 ヨナスはルカを見、それからルカの後ろに立つ帽子の人影を一瞥した。何も訊かなかった。ただ腰の鍵束から一本を抜き、物資庫の錠前に差し込んだ。


「交代まで長くない。急げ」


 それだけ言って、ヨナスは詰所の方へ戻っていった。


 ルカが扉を開ける。重い木の軋みが、朝の空気に響いた。


「どうぞ、助手殿」


 小さな声でそう言って、ルカが中へ先に入った。ロゼリアが続く。扉が閉まると、薄暗い空間が広がった。


 物資庫の中は、思ったより広かった。


 石の壁に沿って木の棚が並び、品目ごとに区分けされている。天井近くの小さな窓から差し込む朝の光が、埃の粒を浮かび上がらせていた。


 ルカが壁を指さした。入荷の記録板。木の板に品目と数量、日付が書き込まれている。ロゼリアはそれを確認し、頭の中の帳簿の数字と照合し始めた。


 穀物。記録板の数字は帳簿とほぼ一致する。ルカの納品量は正しい。


 油。これも記録板の数字は帳簿と合っている。入荷の時点では数が揃っている。


 問題はここからだった。


 塩の棚を見る。記録板には「在庫あり」と記されている。だが棚の上には、塩の袋はわずか二つしか置かれていなかった。記録の三分の一にも満たない。


 そして――その隣の棚。本来は油が並ぶはずの場所に、見慣れないものが置かれていた。


 酒瓶だ。


 濃い色の硝子瓶が、整然と並んでいる。安物ではない。ロゼリアが王都の宴席で見たことのある、上等の蒸留酒に似た瓶だった。その隣には布に包まれた小さな箱がいくつか。開けなくても、形と匂いで察しがつく。煙草葉だ。


 住民の塩を抜いて、衛兵の酒を置いている。


 ロゼリアの胸の奥で、冷たいものが固まった。怒りだ。だがそれを顔には出さない。ルカとの約束だ。何が見えても反応しない、と。


 視線だけを動かし、棚の配置を頭に刻んでいく。どの棚に何があり、何がないか。記録板の数字と実態のズレ。その全てを、一つ残らず記憶する。


 ルカは少し離れた場所に立ち、黙ってロゼリアの作業を見守っていた。自分が納品したものがどこへ消えたか。その答えが目の前に並んでいる。ルカの顔は見えなかったが、その沈黙には重さがあった。


 記録板の確認を終え、ロゼリアはルカに小さく頷いた。必要なものは全て頭に入った。


 ルカが扉に手をかけた。


 ――そのとき、外から声が聞こえた。


「おい、ルカの助手ってのはどこに行った」


 衛兵の声。一人ではない。複数の足音が近づいてくる。


「あの助手、いつから雇ったんだ。見ない顔だったぞ」

「検問で顔を確認したのか」

「帽子を被ってて――」


 ルカが扉の前で足を止めた。振り返り、ロゼリアを見る。その目は「ここにいろ」と言っていた。


 ルカは一人で扉の外に出た。


「おや、何か御用ですか」


 扉越しに、ルカの声が聞こえる。いつもの軽い調子。だがその裏で、外の空気が明らかに張り詰めている。


「お前の助手だ。どこにいる」

「荷を先に降ろしてもらってます。すぐ戻りますよ」

「呼べ。顔を見せろ」

「それは困りますね。助手は人見知りなんで」


 笑いを含んだ声だったが、衛兵は笑わなかった。


「ふざけるな。今朝の検問で報告が上がってる。お前の助手、妙に姿勢が良かったと」


 ロゼリアの心臓が跳ねた。姿勢に、歩き方。ルカがあれほど注意したのに、それでも見る人間は見ていた。


「ルカ・フィッツ。物資庫に誰を入れた」


 声が低くなった。複数の衛兵がルカを囲んでいるのが、気配で分かる。


「入れてませんよ。助手を連れて荷を降ろしただけです。物資庫には俺しか入ってない」

「嘘をつくな。まだ鍵が開いてる」

「今から閉める予定でした」


 ルカの声は変わらない。窮地にあっても崩れない。商人としての場持ちの力。だが相手も引かなかった。


「いいだろう。なら物資庫の中を確認させてもらう」


 足音が扉に向かってくる。


 ロゼリアは、帽子に手をかけた。


 もう十分だった。記録板の数字は全て頭に入っている。棚の中身も見た。これ以上隠れている理由はない。


 ルカが外で時間を稼いでいる間に、自分は中で全てを見終えた。役割は果たした。ならば次は、自分の仕事だ。


 扉が外から開かれるより先に、ロゼリアは自分で扉を押し開けた。


 朝の光が目を刺す。その光の中に踏み出しながら、帽子を取った。折り込んでいた金髪がこぼれ落ちる。


 衛兵たちの動きが止まった。


 ルカを囲んでいた四人の衛兵が、一斉にロゼリアを見た。帽子を取った瞬間に広がった金の髪。白い肌。そして、彼らが知っているあの目――夫の棺を開けさせ、臓腑から目を逸らさなかった女の、紫色の瞳。


「領主代行のロゼリア・グランツフェルトです」


 声は静かだった。


「物資庫を確認させていただきました」


 沈黙が落ちた。凍りついたような間。それから、衛兵の一人が我に返った。


「――何をしている。何の権限があって」

「領主代行の権限です。都市の物資管理は領主の職務に含まれます」


 ロゼリアはまっすぐに立っていた。商人の助手を演じた猫背はもうどこにもない。背筋が伸び、視線が据わっている。物資庫から出てきた瞬間に、歩き方も立ち方も貴族のそれに戻っていた。


「配給用の塩は記録の三分の一しか残っていません。油も同様です。代わりに、衛兵が個人で消費するための酒と煙草葉が棚を占めている」


 衛兵たちの顔色が変わった。


「入荷の記録板と屋敷の帳簿を照合すれば、品目ごとにどれだけの物資が消えているか明らかになります。商人の納品量は記録と一致しています。物が消えているのは、物資庫に入った後です」


 一人の衛兵が、腰の剣に手を伸ばした。殺気とまでは言えない。だが、明確な威嚇だった。ここで黙らせれば済む。そういう計算が、衛兵の目に浮かんでいた。


 ロゼリアは動じなかった。


「私が昼までに屋敷に戻らなければ、家令のテオドアが帳簿の写しを軍事都市アーロットに送る手はずになっています」


 衛兵の手が止まった。


「私を消しても、帳簿は消えません。アーロットの調査が入れば、横流しの実態は全て明るみに出る。……ここで私を害しても、あなたたちの立場が悪くなるだけです」


 剣に伸ばした手が、ゆっくりと下ろされる。


 だが殺気は消えていなかった。消えたのではなく、行き場を失っただけだ。衛兵たちの目が、互いを見、それからロゼリアを見、そしてルカを見た。ルカは壁際に立ち、腕を組んでいた。その顔からは笑みが消え、静かにロゼリアの横顔を見つめていた。


「物資の横流しを主導した者の名前は、帳簿と記録板の照合で特定できます。ですが、まず自分から名乗り出るのであれば、処分の際に考慮します」


 沈黙。誰も口を開かない。衛兵たちは互いの顔を窺い、視線が一人の男に集まった。年嵩の衛兵。検問でルカに嫌味を言い、この場を仕切っているらしい男。他の衛兵たちの視線が、暗黙のうちにその男を指していた。


 男はそれに気づいていた。仲間の目が自分に集中していることを。そしてその目が言っていることも。――お前が、責任を取れ。


「……ふん」


 男は腕を組んだまま、ロゼリアを見据える。そこには、追い詰められた人間の反発があった。


「好きにしろ。だがな、領主代行殿」


 吐き捨てるように、男は言った。


「罪人に俺たちが裁けるのか」


 その言葉が、朝の空気に落ちる。


 今まで即座に返してきたロゼリアが、一拍、間を取った。その沈黙に周囲の空気が変わる。衛兵たちの目がロゼリアに集まる。


 ロゼリアの唇が、わずかに震えた。


 ……それは、怒りだ。冷静さの下にずっと沈めていたものが、この一言で表に滲んだ。


「塩が足りずに死者が歩いた夜、あなたはどこにいましたか?」


 静かだが、確かな熱のある声。男の表情が固まった。


「弔いの塩が足りなかったのは、この物資庫で酒に化けていたからです。その結果、住民は死者の前で為す術もなく逃げ惑った。あの夜、私は地面に術式を刻みました。シグベル様は一人で三体のアンデッドと対峙しました。衛兵が現場に来たのは、全てが終わった後です」


 一語一語が、石を置くように重かった。ロゼリアの声は震えていた。だが目は真っ直ぐだった。


「――あの夜、塩を届けなかった人間に言われる筋合いはない」


 沈黙が落ちた。


 年嵩の衛兵は、何も言い返せなかった。あの夜のことは衛兵たちも知っている。遅れて現場に来た自分たちのことを、住民が見ていたことも。


 男の腕から力が抜けた。腰の鍵を外し、地面に放る。金属が石畳を打つ硬い音が、静まった空気に響いた。降伏の合図だった。


 誰も口を開かなかった。言葉を呑んだまま、衛兵たちがロゼリアを見ている。その目にあるものは、もう嘲笑でも威嚇でもなかった。


 ロゼリアは息を整え、声を落ち着かせた。


「物資の横流しに関与した者は処分します。配給は今日中に正常化してください」


 主犯格の男が、別の衛兵に連れられ詰所の奥へ消えていく。残された衛兵たちも、一人、また一人と持ち場に戻っていった。


 静かになった物資庫の前で、ロゼリアは一つ、深く息を吐いた。指先がまだ微かに震えていた。感情を出した。ずっと抑えていたものが、ほんの少しだけ溢れた。それが正しかったのかどうか、今はまだ分からない。


 だが、帳簿の数字は合う。塩は届くべき場所に届く。それだけは、確かだ。


***


 衛兵は去り、ロゼリアとルカが残された。


 緊張が解けた後の空気は、妙に軽い。朝の日差しが石畳を白く照らし、先ほどまでの殺気が嘘のようだ。だが、嘘ではなかった。


「大した度胸ですね」


 ルカが言った。壁に背を預け、腕を組んでいる。軽い調子を取り戻そうとしている声だったが、完全には戻りきっていなかった。


「あなたが時間を稼いでくれたからです」

「稼いだってほどのことは。口が達者なだけで」


 ルカは肩をすくめた。だが、その目はまだロゼリアを見ていた。値踏みでも計算でもない。何と呼べばいいのかわからない目で。


「……しかし参りましたよ。あの帽子を取った瞬間、衛兵より先に俺の方が驚きました」

「知っていたでしょう。中にいるのが私だということは」

「知っていることと、見ることは違います」


 ルカは小さく笑った。それから視線を落とし、自分の上着――ロゼリアが今も着ている麻の上着を一瞬だけ見た。


「……服、返してもらっていいですか。流石にそのままだと俺が着るものがない」

「ああ……そうでしたね。屋敷に戻ったら」

「ええ、急ぎません」


 何でもない会話だった。何でもない会話のはずだった。


 ロゼリアは歩き出した。屋敷への道は、もう覚えている。隣にルカがいて、今度は半歩後ろではなく、並んで歩いていた。助手と商人ではなく、領主代行と行商人として。


 物資庫の一件は片付いた。配給は正常化される。塩は届くべき場所に届く。死者が歩く夜は、当面は来ない。


 隣を歩くルカの横顔を、ロゼリアはちらりと見た。


 検問で「良くしていただきました」と言ったときの声。物資庫の前で衛兵に囲まれながらも崩れなかった笑み。そして、帽子を取った瞬間にこちらを見た、あの目。


 この男は、味方なのか。


 ロゼリアの頭の片隅で、あの粒のことがまたちらついた。屋敷の引き出しの中に仕舞ったままの木の実。訊かなければならない。いつかは。


 だが今は、朝の光が白く、隣を歩く男の足音が自分のそれと重なって聞こえることが、少しだけ心地よかった。


 それが何を意味するのか、考えるのはもう少し後にした。


第一章はここまでとなります。明日から完結まで毎日一話ずつ更新します。感想などいただけるととても嬉しいです!

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