《十二章 裏切リ》
魔薬、それは摂取したものの魔力を引き出し、増幅させるアイテムだ。しかし、自我を失う危険性や、粗悪品を使ったことによってダメージを受ける場合もある。
しかし、この追い詰められた状況で使うには申し分なかった。
シレンテから淀んだオーラが溢れ出し、濁っていく。
「【貫ナル裁キ】」
カーラが間合いに入るや否や、シレンテは無理やり起き上がり、カーラの心臓の真上に手を重ね、魔法を行使する。
超至近距離からの直接攻撃、左胸の心臓へ放たれた一撃は体を貫通した。
「いくら強くても、心臓を破壊されれば終わりです」
十字架が消滅するとともに、カーラは大量の血液を流して倒れ落ちた。他に残っているのは、身動きの取れないルナ────それと、凄まじい殺気を放っている男だけだった。
「────終わりなのはお前だぞ、シレンテ」
行き止まりであるこの場所で、ルナの唯一の逃げ道だった方向から現れたのは、他でもないアデルだった。
「アデルディア……どうしてここに?」
アデルは今まで、ポーラから引き受けた依頼により、シレンテの働く教会を調査していた。その結果、ウロボロスと繋がっている証拠を見つけたのだった。これまでルナを襲っていた男達もみな、ウロボロスの人間であり、シレンテが孤児院での一件でルナが聖女だと気づいたことが原因であることの裏取りも済ませていた。
そのせいでルナが窮地に陥ったことに対し、シレンテと、そして自分自身の無力さにアデルは怒りを抱いていた。
「遅かったじゃない、アデル」
「何故生きている!?」
確実に心臓を貫いたはずのカーラが生きていることにシレンテは驚いた。
「私の心臓はここじゃなくて、こっちなの。またの機会がもしあるのなら気をつけなさい?でも、きっとそれはないでしょうけど」
カーラは自身の右胸をこんこんと指さした。
二対一ではあるが、カーラが既に戦える状況にないことをシレンテは理解している。傷の修復に力を注がなければ、いくら心臓が貫かれていなかったからといって危機的状況にあるのは他ならなかったからだ。
そして、敵対しているアデルの力は未知数ではあるが、この吸血鬼より強いとは考えられなかったからだ。カーラは吸血鬼であり、それも上位の存在であることを理解していた。それ故、今更人間などに後れを取るとは考えられなかった。
「シレンテ、お前はルナに手を出したな?」
「……?」
「お前は禁忌を犯した。それは決して許されることじゃない」
「何を言っているのですか?」
「約束を果たせなくて悪いな、『ルナ』。でも、ルナを守るためだ。赦しは請わない。だが、お前は必ず守ってみせる。たとえ俺が俺でなくなっても」
そう言って、アデルはこれまで使うことを避けてきた銀のナイフを取り出した。
「カーラ、隠しておけよ」
アデルの指示に従い、カーラは自身の羽根と手でルナの目を覆い、視界を奪う。
「いくら貴方が強くとも、私は神の代行者なのです!私が負けるはずが────」
シレンテの言葉、叫びにアデルは聞く耳も持たなかった。ただ単純に、これまでの仕事で慣れた動作を繰り返すだけ。
「【幻ノ迷イ人】」
唯一違うのは、カーラに【幻ノ時間】を攻略されたことをきっかけに新しく開発した魔法を使っただけである。
「────え?」
【幻ノ迷イ人】、その効果は時間の断絶である。当初、身体能力と認知機能を強化する魔法であったが、その本質は時間操作である。
今まで行われていたのは強化ではなく加速であり、神経伝達や筋肉の伸縮にかかる時間を圧縮することで限界以上の力を引き出していた。
そして、これまで擬似的に自身の時の流れを加速するかのような効果を持っていただけであったが、新たに発現した【幻ノ迷イ人】は実際に相手の時間を操作する力を持っていた。
「何で、何で体が動かないの!!!」
「体と意識の時間間隔をずらした。もう何もできない」
不死の誓い、それは『ルナ』との約束だ。
だが、彼女は俺が殺した。もういない。
だから、全て捨てる。
俺も、過去を、誓いを、『君』を忘れる。
だから、俺はお前を守ろう。
そのために、
「死ね」
俺はいくらでも汚れるから、もう二度とお前が傷つかないでいいようにするから、全部俺が背負ってみせるから、”ルナ”は幸せになってくれ。
ナイフが無抵抗な聖女の身体に大きな一筋を刻む。その一撃は、神をも堕とすのだった。
「カーラ、ルナの記憶を頼む」
まだ視界を奪われているルナは、起こった惨劇を目の当たりにしていないものの、理解はしていた。
聖女────シレンテをアデルが殺したということを。
「アデルディアさん?いったい何を!?」
「いいの?あまり気分のいい行いじゃないわよ?」
「ルナには俺の”殺し”を知られたくない」
「それもそうね」
一人状況を飲み込めていないルナを余所に、カーラとアデルの話は進んでいく。
「ねぇ、待って!何の話をしてるの!お願いだから、何の話をしているか教えてよ、二人とも!!」
魔法を行使していた聖女が潰えたことで、ルナの拘束は解かれていた。必死の言葉をいくら投げかけても、二人は自分を置き去りにしていく。それがルナの心を締め付けた。
どれだけどれだけ近づこうとも、二人が私から遠ざかっていくのを肌で感じた。
「それと、こいつは好きにしていいぞ」
鼓動の止まった”ソレ”に、心底興味のない声で吐き捨てた。
「後始末はこっちでうまくやっておくわね」
カーラも淡々と受け答えする。まるで一人の死など気にもとめていない、いや現に動揺なども一切なく受け止めていた。
────そして、これから行われることにも一切の躊躇はなかった。
「ねぇ、やだ!カーラ!!来ないで、お願いだから説明して!」
これまで友好的な関係を築いていたはずの相手から笑みが消えていた。それがルナにとって恐ろしく、そして認めたくないものであった。
「ごめんな、ルナ。俺はお前にこれしかしてあげられない」
ルナの視線の先で、カーラの後ろに佇んでいるアデルがそう言った。だが、優しかった彼もまた消えていた。
「アデルディアさん!アデルディアさんってば!!ねぇ、カーラさん!カーラさんってば!」
ルナの必死の叫びは誰にも届くことなく霧散した。
「カーラ、ルナの記憶を────消せ」
「了解」
血とともに記憶を取り込む吸血鬼は、奪うことも可能であった。しかしそれには、直接対象の肌から吸血する必要がある。
何をされるのか不明であったものの、危害を加えようとする相手に対し、ルナは捧げられた真名をもって命令でそれを拒もうとした。
「そっちがその気なら……【命令よ、****】今す────」
シレンテとの戦いで既に満身創痍のカーラは、治療中の身体で過剰な負荷はかけられない。二メートルの距離を縮めるのは、今の状態ではそうも速くないと、そう考えていたルナ。
「【魅了】」
初見かつ未知の技を前に、彼女は対処することができなかった。もし吸血鬼に対しての知識があれば、決して視線を合わせることも、呼吸も最小限に抑えるだろう。しかし、ルナはそれを知らない。
「なん────」
なんで、という言葉は発されることなく、肺に残った。
全てはルナの記憶に残ることなく片付いたのだった。
***
ポーラはルナの記憶を処理し終え、最後の"後始末"を行なっていた。
「起きなさい、シレンテ」
「……私、死んだはずじゃ?」
一度鼓動が止まったはずの聖女は、すべての傷が治り、血液の循環が復活していた。
「そんな簡単に死ねるはずがないでしょう?私の眷属にしたの。これで私の命令には絶対従うしかないわよ?たとえ、死にたいと思っても、私はそれを許さない」
「私、このままずっと痛め続けられるのですか?」
「そうしようと思っていたけれど、少しだけ貴方の記憶を見たわ。完全に悪い人間じゃないのは分かったし、貴方の事情に共感もした。だから、私の条件を呑むなら痛めつけたりはしないし、ある程度自由を約束してあげる」
「何をすれば?」
「私……いや、ルナに絶対の忠誠を誓いなさい。そして命に代えても彼女を守る。そうすれば、あの男については何とかしてあげるけど、どうする?」
「────この身が尽きるまで全身全霊で働かせて頂きます」
「よろしくね、私の眷属ちゃん」
***
ルナの記憶が消し去られてから、数日後のことだった。孤児院での仕事が終わり、ルナが家に帰ってくると、扉の前に二人の男が立っているのが見えた。
「どちら様でしょうか?」
背後からのルナの質問に、振り返った二人。
「ルナさん、で、お間違いないでしょうか?突然お邪魔してしまい、申し訳ございません。俺は紅城と言います」
「私は神威。彼の友人だ」
礼儀正しい二人の態度に、ルナは少し緊張を解いた。
「お二人はどうしてこちらに?」
この質問が、ルナを新たな騒動に巻き込んで行くのだった。
「────ここにアデルという男はいませんか?」




