論破ってなんだ?
華麗に論破しみんなの称賛を得る。いいと思います。でもまって! 議論ってそもそも相手を論破するのが正義ってわけじゃないの! ――っていう内容ではなく、議論をする上でのテクニック的なアレをご紹介します。
今回は知識系の話題というよりも、個人的に「おもしろい」と感じた本の紹介のようなものになるかもしれません。専門書ではなく、ビジネスや自伝的なジャンルになるのでしょうが、本日はあの『2ちゃんねる』の解説者であり、現在は英語圏では最大級の掲示板『4chan』の管理人をしております『西村博之』氏著作の『論破力』と『1%の努力』から、わたしがピックアップした内容を書いていきます。個人的な解釈や受け取り方をしていることがあり、わたしの理解力のせいで著者のメッセージが正確に伝わっていない可能性も拭えませんので、もし気になる方は書店にてお買い求めいただければなと思います。
あ、あと真偽の程は定かではないのですが、著者である西村博之氏自身が「私が書いたわけでなく、私が話した内容を他人がいい感じにまとめてくれた」的な趣旨のお話をしていましたね。だからどうしたってことでもないのですけど。
さて、西村博之氏といえば「ひろゆき」の愛称で親しまれて(?)いますね。テレビ番組やTwitter、Youtubeなどでもコメントを投稿したり動画をアップしたりライブしたりとイロイロな事をしてるようです。そんな彼の代名詞は『論破力』。議論の場において整然と理論を並べていくスタイルはインターネット上でものすごく話題になっていますね。そんな彼のテクニック集が著書に記されているので、そのなかでわたしがチョイスした、これが要点だなと思われるものを挙げていきましょう。
根本的な話題になるのですが、議論というのは意見を論じて主張しあい最終的な"答え"に到達することです。その趣旨は相手を否定することではなく『互いの主義主張や理論を理解しひとつの結論や合意を得る』ことですのでお気をつけください。まあひとつとは限りませんが……。
まあでも、たとえば『ディベート(討論)』という議論の一種のなかには競技として行われるものもあって、ある主題に対して対立する意見をもつ者同士で競い合い、オーディエンスに投票してもらうという形で勝敗をつけるタイプもあるようです。
で、なにやら『日本人は議論ができない』ともっぱらの評判(?)だそうです。彼の著書を読んでいる上でなんとなくその理由を考えてみて「議論する準備ができてないってことか?」と思いました。あと結論ありきというか、そもそも議論する必要ない問題を議論する、みたいな……うまく言葉が作れない。
まあ、よくある『討論番組』などをなんとなく眺めているだけでもわかるかなと思います。まず議論のなかで相手が説明している途中遮って口を出すことは議論としてあり得ないことですし、相手のターンを与えず延々と喋り続けることだってノーですわね。
著書では『討論番組はエンターテイメント』としてバッサリ斬っています。そもそもテレビの構成として討論をメインにしているのではなく、基本的にはそんな議論自体は無駄だということですね。まあ、ガチのマジで討論するならばちょっとしたデータだけじゃなくて複数の論文や研究機関の実験結果などをズラッと並べて「こういうデータがあるから今のことは〇〇だよ」みたいなことすればオッケーなわけです。だけどそれをやっちゃうとほとんどの討論番組が10分と持たずに終了しちゃうので、後は延々とCMを流し続けることになってしまう。まあテレビはCMを見させるためのものですからそれでも構わないのでしょうがそれだと視聴率の問題があるからね?
そんな時著者はいろいろな実験をするようです。質問をしてみて相手の答えを予測し、結果予想通りだったか。予想通りだったりありきたりな答えだったりすれば「あーはいはい」で終わるのですが、たまに予想外の答えが返ってくることもある。"くだらない会議"において主張をする必要はなく、とりあえず質問をしてみてその人がどのような人間なのか観察してみる。ある種"本を読む感覚"に近いと著書に記されていますね。
討論番組などで設定されたテーマを"あえて覆す"という手段をとることもあるそうです。『殺人は悪か?』といった主題に対し「そもそも人殺しをテーマにすることが良くないと思う」とか『新作ゲームのパッケージデザイン』に対し「そもそもそのゲーム売れるの?」とか――まあ、ちゃぶ台返しですね。
これは個人的に『選択を迫られる議論』に有効かな? と思いました。他の選択肢があるはずなのに、あえて「黒か白か」なんて2択を迫られてしまう。これ心理的に選ばされやすいんですよ。人間ってなぜか選択肢を提示されると選択したくなっちゃう生き物なんです。これを利用した『松竹梅商法』ってのがありまして(ネーミングは今考えました)、グレードが高い、中くらい、低いの商品を3つ並べると、必ず真ん中の商品の売上が伸びるんです。真ん中の商品の売上を伸ばすデコイとして高いのと安いのがあるわけですね。で、「お客さん、どれにしますか? アナタが自由に選べるんですよ?」的な体でやるとあら不思議、人間はなぜか「選ばなきゃ」という使命感にかられて選択してしまったりするのです。
なので、選択を迫られた時にあえてそれらすべてをふっとばすってのは非常によろしいかと思います。場合によっては『アナタがそれを選択したんですよね?』みたいな流れになって後もどりできなくなってしまう可能性もありますから……。
で、実際に意義のある議論の場で使えそうな方法ですが、著書でまず言われることは『論理』と『事実』で勝負しましょうということです。文系の人はいざしらず、理系の人はあっさり風味で議論が終了するようです。なぜなら『意見、主義主張、気持ち』を言わないからですね。議論ってのは論じることです、熱い想いをもっているのはよろしいですが、だからといって『赤? それは黒だろ!!』と理屈を曲げていいわけがありません。
こういったことを鑑みて、アナタは『ゼッタイ』という言葉を多用しないようにしましょう。世の中って思っているよりも『ゼッタイ』の数は少ないんです。あとゼッタイという言葉はある意味で主観的な言葉となります。だからおなじみのあの「それあなたの感想ですよね?」という返しを貰ってしまうかもしれません。
科学的根拠と事実に基づいた理論立てをする。これはまず議論をするに対して基本となる構造です。そのテーマに沿った正しい知識を身に着けているか否かによってアナタの基礎力は上昇していると思って良いでしょう。しかし、それを的確に説明できたとしても「そんなことない! お前はなにもわかってない!」みたいな感じでひたすら否定をされる方もいるでしょう。そういった状況になると得てして『敵認定』からの『人格否定』に繋がって、さらにその後の人間関係に影響してし合う。議論の場において本来そういうことはあってはいけないんですよ。だからこそ日本人は以下略って言われるんかなぁ?
まあ、そんな状況にならないように対策しましょうか。そのためにはかならず『ジャッジマン』が近くにいるようにしてください。個人対個人で議論するのは極めてキケンです。理屈が通じない人であればなおさら『主張だけを通して相手の主張は聞かない』に繋がってしまうのでなんとしても避けてください。
議論の場にはかならず"ジャッジ係"がいるようにしましょう。議論というのは、どちらかというと相手よりもジャッジ係に対する『説得力』のほうが重要です。そもそも相手は自分とは異なる意見をもっているわけで、建設的な議論を重ねることで理解し合える関係にはなるでしょうが、基本的には異なる立場の方です。それよりも、アナタの意見を聞いて「なるほど!」と思ってくれるようなトーキングを心がけましょう。
議論をする際、相手の態度や議論の流れなどをあらかじめ『想定』しておくこともオススメです。著書では『塩をスイカかけると甘くなる』という"ウソ"の主張をしてくる人に対して『詰め将棋』的なテクニックを用いています。ウソだと指摘すると「でも、スイカが甘くなるからこっちのほうがおいしい」と帰ってくることが想定されます。「スイカ以外の果物にも塩をかけてるの?」と尋ねれば、その時点でほとんどの人が口をつぐんでしまうでしょう。そういった詰将棋指揮の質問攻めで有効的なテクニックとして『YESかNOか』的な2択をせまるというものがあります。先程書いた心理学のテクニックですね。これは相手に"立場をはっきりさせる"という効果があり、自分で言ってしまった以上は後からくつがえせないという心理的な縛りを加えることができます。仕掛けられた時の対策としては「YESのときとNOのときがあるよね」と相手にしなだれかかってみたり、ちゃぶ台返しをしてみたりがあります。
理論重視で主観を避ける、1対1の状況をつくらない、ジャッジ係がいる場所で説得力ある言葉をつかう、議論の場の流れを想定する。これらの要点を駆使すれば、アナタはだいたいの議論の場をくぐりぬけることができるでしょう。こんなこと言うのもなんですが、アナタが経験する"議論"のなかで重要になる議論なんてそんなにないと思います。アナタが「重要だ!」と思う議論に出会うまでに重要じゃない議論の場でこれらのテクニックを練習し、いざ本番の時に最高のパフォーマンスを発揮できるように練習してみましょう。
ひろゆき氏の論破力がアナタの心に養われることを祈ります。
ここまでの話は「これってあなたの感想ですよね?」と問われたら「はい、そうです」と言わざるを得ない内容となっております。




