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つれづれグサッ  作者: 犬物語
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【心理学】学校という環境に潜む"問題"【アドラー】

人間は社会を形成する動物です。ですがそれは本能的なものではなく、後天的な学習により獲得するものがほとんど。


学校というのは貴重な学習環境でもあるのです。では、学校は万能な社会なのでしょうか?

 『社会』と一言にまとめても、それには様々な姿形があります。70億すべての人間を巻き込んだ社会なのか、国という一個単位でまとめた社会なのか……ある一定のまとまりを社会と言うのであれば、友だち同士のグループだって立派な『社会』と言えます。人がこのレベルのミクロな社会を意識することはないでしょうが、たとえば『学校』というひとくくりの社会はだれもが実感できると思います。部活、勉学、学校行事、はたまた制服の種類まで――自分の学校と他の学校を比べること、たくさんありますよね?


 学校という社会はさまざまな問題を孕んでいます。心理学的なあれこれを書く都合上、たとえば『イジメ』や『学級崩壊』などのワード――つまり『子どもの問題』を取り上げガチになっちゃいそうですが、実は大人の方々――つまり『教師側の問題』に関しても深刻だったりします。教師の問題行動、過労による休職、そういえばTwitterでは『#教師のバトン』なるハッシュタグが流行ってまし、いや現在進行系で流行ってるのか? まあそういうのがありましたね。本来は厚生労働省が『時代の変化に応じた質の高い教師を確保するためには、より一層の働き方改革の推進や処遇の在り方の検討を進めることに加え、教職を目指す学生や社会人の方に、現職の教師が前向きに取り組んでいる姿を知ってもらうこと』ということで、SNSを通して教師というしごと(・・・・・・・・)の魅力を知って(・・・・・・・)もらおう(・・・・)! ってことで始まった活動なんですが……まあ、実際のツイートをみて『教師の魅力』とやらを実感していただければ幸いです。


・厚生労働省、教師のバトンプロジェクト

ttps://www.mext.go.jp/mext_01301.html


 学校は閉鎖された空間のなかで『教師・児童生徒・保護者』それぞれの思惑が渦巻く立派な『社会』です。今回はそんな『学校という社会』を犯罪心理学的観点から覗き見してみましょう。




 日本教育の歴史として、学校勉強する場所(・・・・・・)であるため、画一的な平等主義のもと、偏差値重視の教育が行われてきました。で、そうやって片っ端から平等に頭に突っ込んでもいいことないだろ! もっと個性を伸ばす教育にしようぜ! ってことで始まった『ゆとり教育』が失敗判定をもらい、再度教育を見直していこうってことだ『脱ゆとり教育』へと舵を切っていくわけですが、これがまあ迷走も迷走中でございまして、この過程で学校側がなすべき事がどんどん増えていき、家庭で教えるべきことまで教師陣にのしかかっていくことになり、現状教師陣の負担軽減が重要な課題になっているようですね。


 まあ、重要な課題と認識されてるだけで『実際改善するか?』はわからないのですが。さらに、そうした状況に学校という社会を形成する『教師・児童生徒・保護者』がそれぞれ巻き込まれ、振り回され、さまざまな弊害をもたらすようになってしまいました。


 以前の時代と比べ、現代人(何年生まれから、という細かい定義は曖昧ですが)は対人関係がうまくとれない人が増えていると言われています。教育現場では児童生徒のみならず教師陣までも人間関係を構築しにくい環境にあり、それぞれの軋轢が生じやすくなっています。とはいえ、たとえばSNSに慣れている方はSNS上でのコミュニケーションは円滑にできますし、それぞれの"文化"を理解し合えば良いのですが――言うは易く行うは難し、ですね。教師と生徒、それぞれが育った環境が異なることもあり、文化的葛藤をどうクリアするかが問題です。もちろんふつうに対面して話し合うことに苦労しない方もいるでしょうが、まえがきで書いたように社会コミュニケーション能力は学習によって獲得するスキルでもあります。互いが互いの"文化"に興味を示し、受け入れ、楽しくコミュニケーションができれば良いのですが……個人的な蛇足ではありますが、アドラー心理学では『共同体感覚』が重要だとされていますね。人が「わたしはこの"社会"と繋がってるんだ」と実感できる感覚のことですが、それを感じるためには、社会内において以下の3点がポイントでしょう。


・自己受容感

・信頼、貢献感

・所属感


 『自己受容感』――アナタは、アナタ自身を心の中で過度に罰した経験(・・・・・・・・)はありませんか? ちょっとした失敗を(こんなカンタンなことも出来ないなんて。はあ、ほんと自分はダメなヤツだ)なんて考えちゃったり。そういった『自動思考』はクセになると、余計に自分で自分の心を罰しようとしてしまいます。そういった感覚はよくないので『自分という存在を否定せず受け入れよう』という考え方です。言うていきなり「わたしはサイコー! めっちゃハッピー☆」みたいなお花畑になれってわけじゃなく、自分を罰しようとする心も認め、それらすべてを受け入れようってだけです。


 自分を責める"自分"に名前をつけましょう。イラッとしたときに現れる"自分"に名前をつけましょう。で、その自分がにょっきり出てきたら「出たな? 〇〇」みたいな感じで自分を見つめ「ああ、自分はそう(・・)感じてるんだな……うん、自分にはそういう"想い"があるんだ。だいじょうぶ、自分はこのままでいいんだ」と受け入れるわけです。あ、コレ別にヤケになってるとかじゃなくて、自分を理解し、そんな自分の心を受け入れることが必要ってだけなのでご理解ください。


 『信頼、貢献感』――他者を自ら(・・)信頼し、信頼する相手に何らかの貢献をしたという感覚です。チームプレイが求められるスポーツではわりと重要なのではないでしょうか? わたしは野球が好きなので野球に例えますが、ノーアウトからランナーが出た後送りバントのサインが出た。その際いやいや行うより(よし、自分のバントがチームに貢献できるぞ!)と考えたほうがより良いですよね? あ、またまた勘違いしないでほしいのですが、これはあくまで『アナタ自身が信頼や貢献する感覚を味わう』ことが重要です。社会における貢献感は「"社会"の役に立てたぞ!」と感じた時にこそ幸福を感じるもの。人はどんなに孤独を好む性格であれ、他者に対する貢献ができたときは嬉しいものなのです。


 貢献感は自己犠牲(・・・・)ではありません(・・・・・・・)。それをくれぐれも勘違いせぬようお願いします。また他人に対して「貢献しろ!」なんて無理強いしないでください。それは貢献ではなく強制です。貢献とは『その人が自ら行うもの』なのですから。


 『所属感』――いっぴき狼ぶっても、人は共同生活を無意識で望む生き物です。人間は『社会』に対して所属したい欲求があり、その社会にうまく溶け込めているのか? を気にする生き物でもあります。ああ、そこのキミ、強がらなくてもいいから。わかってるからほんと。ツンツンしちゃうのは逆にそういう欲求を胸のうちに秘めてるからなんだぜっていうわたしの言葉、まあ信用しなくていいですよ。


 いわゆる承認欲求にも通じるかもしれませんね。所属感を言葉にすれば「ここ(・・)にいてもいいんだ!」と思えるような感覚のことです。自分はほんとうにこの『社会』のなかにいていいんだろうか? ジャマになってないか? そんな不安はネトつくように心に染み付いてしまうもの。そういう不安に苛まれてしまうと、その社会に貢献するため妙なムチャ――たとえば、大事な試合でノーヒットに終わっていて、どうしても結果がほしいばかり「相手を惑わしてやる!」という思考にハマりセーフティのふりをするとか――をしてしまう。そういった行いはたいてい失敗してしまうのでおすすめできません。じゃあどうすればいいのか?


 『課題の分離』という言葉を思い出しましょう。ヘンな説明抜きに答えだけ提示すれば『アナタはアナタができる"ベスト"を尽くすこと』です。アナタがチームの4番に座る打者なら、アナタはボールをしっかり見極め、アナタ自身の打棒を振るえば良いのです。え? 失敗したらどうするって? ――やだなぁ、バッティングなんてもともと3割打てたら天才(・・・・・・・・)じゃないッスか。ってかノーヒットで試合を終える人なんて毎試合いるし、今日はたまたま当たったってだけでしかないのよ。アナタは特別な人じゃありません。大事な試合でノーヒットに終わることもあれば、どうでもいい練習試合で3ホームランなんて打っちゃったりするんです。あなたはみんなおなじ(・・・・・・)なんですよ。


 ヘンなたとえですが、よくアメリカ産映画で『新米が"成果"をあげて、ラストシーンで先輩が"ようこそ"と言うシーン』があると思います。これ実は心理学的にとっても効果的な言葉かけで、新米くんに「おまえはこのチームの仲間だ」というメッセージを込めている、つまり『所属感』をいい感じに持たせてあげる魔法のワードだったりします。




 あれ、図らずもアドラー心理学講座になっちゃった気がする。まあいいや。えー、まあこのように? 学校にはさまざまな問題があります。たとえば、令和3年度の不登校小・中学生人数は244940人であり、2013年からどんどん増加しています。少子化してるのに不登校児が増えてるってのはどうなんだい? って話ですが、その他にもイジメや暴力、ここに書くことすらはばかられる問題まで山積みになっています。ここで紹介したような『個々でできる対応策』もそうですが、より重要なのは学校という『社会』が今後どう変化していくか? ということだと思います。


 学校は人間が経験できる貴重な『社会』です。だからこそ、より大きな『社会』がどう学校をサポートできるかが重要なのかもしれません。アナタがもし個人で悩みを抱えているのであれば、ぜひ相談できる人を見つけていただきたいです。ご両親、教師、学校にはスクールカウンセラーという心の専門家までいらっしゃいます。アナタ自身のために、アナタの心の葛藤を相談してください。


 アナタの心身の健康を祈っています。

アナタは『宇宙』という社会に属しています。

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