【心理学】感情を利用する脳 "慣れ"という呪縛
人は理性的に考えているようで、やっぱり心に振り回されているものです。
アナタは『酸っぱいブドウ』の逸話をご存知ですか? イソップ寓話のひとつで、狐がブドウを食べようと試行錯誤したものの、最後は食べられずに「あれは酸っぱいブドウだから、食べなくて正解だったのさ!」と吐き捨て諦める物語です。これを転じて、酸っぱいブドウという言葉に『負け惜しみ』とか、そういうニュアンスの意味を含めることもありますね。
バカだ、かわいそうだ、工夫すればいいじゃない――感想はそれぞれだと思いますが、このお話は心理学的にとっても含蓄に富んだストーリーなんですよ。
心理学と言えば『ジークムント・フロイト』氏が有名ですね。まあ彼は心理学者じゃないんですけどそれは別の話。彼の理論のひとつに『防衛機制』ってのがあります。
防衛機制ってのは『不安を覚えた時、その不安を軽減するため無意識化で働く心理的な仕組み』を指します。上記きつねちゃんの場合、ブドウをゲッチュできないという『受け入れがたい状況』に対し心が揺らぎ、その葛藤を抑えるため「あのブドウは酸っぱい」という理屈をでっちあげ、心の平安を得ようとします。
これは、防衛機制のうち『合理化』と呼ばれるものです。あ、合理化つっても、実際はぜんぜん合理化できてないのでご注意ください。身近な例としてはぁ、そうですねぇ……とりあえず『学力テスト』にしてみましょう。
テストで思った以上に悪い点数だった場合、アナタの近くで「いや~勉強する時間なかったからなぁ」なんて口にしちゃう方、いらっしゃいませんか? ――もしかしたら、低い点数でショックを覚えたものの、その不安をなんとか和らげようとして、『いや、勉強する時間が少なかったから、テストで悪い成績だったとしてもしょうがない』と合理化を図っているのかもしれません。
ちなみに、社会心理学においては『認知的不協和』の例としても重宝されます。認知的不協和は『自分の認知と矛盾する認知を抱えた状態 & その時に覚える不快感、対応など』です。きつねちゃんは『おいしいブドウを食べる』モードに入っていますが、実際の狐は『ブドウが食べられない』状況です。この状況をどうクリアするか? ――そうだ、ブドウが美味しくなければいいんだ! っというわけのわからん理屈です。ワケワカメな理屈ですが、人間は得てしてこういった心理に取り憑かれちゃうものです。
ダイエットしようと頑張っていたのに、なかなか痩せられず「まあ、本気でダイエットしようと思ってたわけじゃないから……」なんてセリフを口にした経験、アナタにもあったりしませんか? 人間の心は、いつだって『今、都合が良い選択』をするのです。
今回は心が抱える矛盾について、いかに『感情』が利用されているのか紹介していきましょう。
上記で紹介した例は、ことごとく『感情』を変更して心の不安を解決してきました。おいしい! 食べたい! という感情にかられた狐は、しかし獲物をゲットできないことを悟ると、途端にブドウに対する感情を変更させ「あれは酸っぱい、いらね」という結論に達しました。
上記の例はイソップさんが作った物語でしかありませんが、人間に対する実験で、実際にこの心理が証明されています。4歳児に対する実験を紹介してみましょう。イェール大学の『イーガン・ルイーザ(Egan-Louisa C)』氏を中心としたグループの実験です。残念ながら元の論文は有料につき概要しか読めませんでしたが、これに関する情報は、脳の可塑性に関する研究でおなじみ『池谷裕二』氏著作『脳には妙なクセがある』内に記されていました。
オモチャで遊ぶ4歳児に対し、次のような声掛けでやめさせてみました。
A「そのオモチャで遊ばないでね」
B「そのオモチャで遊んでは絶対にダメ」
言葉のニュアンスは、4歳児ですから理解できます。子どもは素直ですから、言われたとおりにオモチャ遊びをやめてくれました。心理学的な観察はここからです。
その後の子どもたちに対し、『オモチャに対する好感度』を測ってみました。すると、同じオモチャであっても優しく諌められた方が、好きな度合いが減っていたということが判明しました……これはどういうことでしょう?
優しく言われた方が、厳しく言われた時より『自分の判断で遊びをやめる』という自由な要素が残ります。つまり、こういうことです。
「自分から遊ぶのをやめたのだから、そのオモチャは大して面白くないんだ」
オモチャで遊ぶのが楽しい! という認知と、オモチャ遊びを自らやめた、という認知の間で矛盾が起き、それを『オモチャ遊びは面白くない』という認知で上書き。あまりおもしろくないなという感情を覚え、オモチャに対する好感度が減った、というわけですね。ちなみに、サルに関する実験においても、認知的不協和に関する有用なデータが得られました。
この心理は、もしかしたら知性が高めな哺乳類全般に存在する心理なのかもしれません。もし、上記の論文に興味があるのでしたら以下のサイトまでアクセスしてみてください。
APA PsycNet
ttps://psycnet.apa.org/record/2007-15783-010
感情と理性は、脳では別の箇所で働いています。で、脳はそのどちらも利用して決定するので、アナタ自身が「考えて決めた」と思っていても、実は感情的な部分がふかーく関係していたりします。
アナタがいつも通っているスーパーを思い出してください。そこを選んだ『理由』はなんでしょう? 近くだったから? 便利だから? 安いから? ――理由はいくらでも見つかると思います。では、たとえば『家から近い』が主な理由だとして、本当にアナタの家から近いのでしょうか?
実は、数年前あたらしいスーパーができて、それは最も家から近かったりしませんか? でも、なぜかアナタは、いつも通っていたスーパーを引き続き利用している。スーパーに限らず、そんな例が多々あるはずです。
もはや常連となったレストラン、薬を買うついでにショッピングできる薬局、日用品を買うためのホームセンター。ちょっと思い出してみてください。なぜ『もっと良い選択肢があるのに、わざわざそっちを選ぶ』のでしょうか?
と、そんなことを考えていると、またイロイロな『考え』が浮かんでくると思います。でも実は、その考え自体も矛盾していたりする。ああ、もちろん上記のような例がまったくなく、すべて合理的に選択している方だって存在します。しかし、多くの人間が、『慣れた選択肢』に対し矛盾を覚えることなく、なんとなく通い続ける選択をしていたりするのです。
それを悪いことだとは思いません。むしろ、人間の心理的には当たり前とさえ言えます。人は安心材料に理由を与え、安心できる環境を選択し続ける傾向があります。
それはそれで余計なストレスを抱えずに済みますが、ずっとソレってのもアレですよね(語彙力)。っということで、たまには冒険していつもと違うスーパーに通ってみるとか、ちょっとお高めの外食にしてみるとか、どことなーく『変化』を与えてみてはいかがでしょうか?
脳は様々な情報を『収集』し、それを『利用』して生活しています。上記の状態は、まさに収集した情報を利用しているのですね。情報の収集には相応のリスクが存在するため、脳は利用を選択したがるわけです。
情報収集には相応のリスクがつきまといます。それはしゃーないよね。新しい世界に触れるってことは、既存の『自分』に大きな変化をもたらすかもしれないってことだもん。だけど、新しい情報を収集しないと、脳は次第に取り残されていきます。常に新たな収集を得て、アナタの脳に『価値観のアップデート』を起こしていきましょう。そうすれば、脳の老化も防げるはずです。
アナタの人生に、面白いイベントが目白押しでありますように。
やってしまった『行動』を変えることはできない。しかし、今の『感情』を変えることはできる。
そして、感情は未来の『思考』に大きな影響を与えるのです。




