えいあい!
自動運転をはじめとして、世の中にはたくさんの人工知能がありますね。ところで人工知能ってなんでしょうか?
前回まで自動運転の自動車について書いてきました。自動運転にはレベルが設定されて、レベル5まで到達したときこそ人類の新境地だって内容ですね。まあそこまで達するにはまだまだ課題が多いようですが、人類の技術革命が進めばさらにたくさんの自動運転技術が増えていくかもしれません。現場の方々の研究に乞うご期待。最近ではレベル3の車が試作段階というか、もう実践レベルになっているんでしたっけ? しかしアレはもう、車にあらかじめ地図データを入れておいてゴニョゴニョするしかないのではないかと思うけど……ってことはやっぱり人工知能のパワーが必要だよなぁとしみじみ。
そこで、というわけではありませんが、今回は人工知能についてのお話をしてみようかなと思います。以前は将棋ソフトなどのAI技術の進歩によって、もはや将棋はAIに勝てないみたいな結論に達しているとかなんとかいう話がありましたが、はたして現代ではどうなんでしょうね? 人類と違ってAIは疲れ知らずで処理能力も速いので、例えば1試合を数秒で終わらせることもその気になればできるのです。
ディープラーニングの技術では、まずある問題に対して「これが答えだよ」的な指標を示した後はずっとコンピューターにやらせて、人間はそれを逐一管理して正解をちゃんと選んでいるか見とけば良いわけです。普通のAIというかコンピューターの処理では、数ある選択肢を端から端まで試してみて、そのなかで最も効果を上げた結果を評価してどんどん進めていくっていうやり方なんですが、ディープラーニングではそれを幾つもの層にわけで深い段階までやり続けることで、AIにある程度の『見切り』をさせることに成功しているんですよね。ボードゲームなどは『定石』みたいなパターンがあります。これは人間が長い年月をかけて見切りをつけたからこそ出来た形であって、AIはそういったある種の"答え"を提示してもらえば後は自分で数やって評価してどんどん頭脳明晰になっていきます。
っというか、最近のAIはもはやそんなことはやっていません。最近の最強将棋AIは、事前になんの答えを与えることもされず、ただ基本的なルールと基本的な定石を示されただけであとは寝る間も惜しんでAI同士で戦わせ、勝利を評価してどのような手段を用いれば勝利できるのか? をひたすら研磨していった挙げ句できあがったものです。すっさまじい計算量と時間が必要ですが、そんなの機械には関係ありませんからね、ええ。
ルールが決まっているボードゲームなどは、もはや人間はAIに勝利できないのでしょうねぇ。
さて、ここでひとつ面白いお話があります。アメリカの哲学者『ジョン・バークレー・サール』という方が提唱した『強いAI・弱いAI』という概念です。
人工知能は人間の認知や思考を完全に再現できるか? という疑問の思考実験のひとつとして生まれたこの概念は、強いAIとはいったいなんなのか? という疑問に直結しています。
AIに求める強さとはなにか? 強いAIとはなにか? ――研究者の間では『意識をもって意味を理解するのが強いAI。人間の意識を表面的にマネているだけのものは弱いAI』と位置づけられているようですが、はたして意識をもって意味を理解するというレベルにまでAIは実現できるのでしょうか?
例えば、近年スマートフォンでは話しかけることによって検索したり、情報を提供してくれたり、音楽を流してくれたり、はたまた会話してくれるようなAIまで組み込まれています。それを利用していくうちに、アナタは「このAIはこころをもっているようだな」と感じたとしましょう。では、そのAIはこころを持っているのでしょうか? 答えはノーです。少なくとも今は。
現在のAIはまだ統計学的な集計をしてパターンを割り出し、そのパターンのもとに答えを割り出しているに過ぎません。それに、人工知能を作成するにはプログラマーの存在が必要不可欠です。やがて自動でプログラムを作るようになったとして、では自らクリエイトする行為が意識や意志を示すかというとまだ曖昧で――人間の意識の研究ですらまだ進んでいない状況で、意識をもつのが強いAIと定義するのも難しいのかもしれません。
これらのほかにも、面白い概念として『汎用AI・特化型AI』があります。人間に可能な活動を万能的に行ってくれる汎用型と、ある限定された課題にのみ凄まじいパワーを発揮する特化型AIですね。
言うまでもなく、現状のAIはすべて特化型です。将棋AIにオセロをやらせたところでルールすらわかっていませんし、自動運転を制御するAIにおすすめの音楽を流してなんて言ってもなんのこっちゃ? って話です。
汎用AIを作るとなると、例えばボードゲームについて全体的に活躍できるAIを作るとなると、それぞれのルールを熟知し、定石をおさえ、多量の学習をする必要があります。それらをすべてメモリにぶっこんどくとなると、おそらくボードゲームひとつでもそこそこの容量を必要とするのではないでしょうか。数種類のボードゲームでプロを打倒できるAIを設計したとなると、ヘタすりゃ持ち運びがメンドウなほど機材を用意する必要になるでしょう。特化型のAIを利用するならば、たとえばA社が作ったソフトとB社が作ったソフトを一緒に組み込んで、それをさらに総合して判断できるCというAIがあって――もうわかんねぇなこれ。
結局のところ、AIにはある特化型の分野を限界まで極めてもらうことが最善手なのではないかと思う私です。AIにはどうしてもデータが必要ですから、汎用に近づけば近づくほど大規模な施設が必要なわけで、人間の脳はニューロンという柔軟な電気回路をもっているからコンパクトに収められているので問題ないですけど、AIに汎用性をもたせてしまったらどうしてもグーグルが管理してるサーバー施設並のデカさを用意しなきゃいけないんじゃないの? と考えるわたしです。
あ、ちなみにAIの進化の果てに『シンギュラリティ』があるのでは? なんてわりと心配されている方が多いのではないでしょうか? SF作品などでよく題材にあげられる要素ですね。人工頭脳の進化が特異点を突破しやがて人類を支配するようになると、個人的に夢のある話だなと思います。
シンギュラリティは直訳すると『技術的特異点』となるようです。もともとはブラックホールの中など、一般的な法則が通用しなくなる境目を表す言葉でしたが、1980年代のSF作家『ヴァーナー・ステファン・ヴィンジ』というアメリカの作家(数学者でもある)がこの概念を好んで作品に採用していたことから広まったとされています。
後にアメリカの発明家である『レイモンド・カーツワイル』が「シンギュラリティが訪れるのは2045年である」と宣言しました。
意味なくノリで宣言したわけじゃありません。詳しいことは省きますが、彼は『ムーアの法則』や『収穫加速の法則』を根拠に、だいたいこのあたりだろうと検討をつけたのです。ざっくばらんな表現をすれば、どんどん機械の数が増えていって技術も深まり、ある瞬間革命のようなレベルで技術革新が起こり、一気にシンギュラリティへと達する。その境目が2045年だ、ということです。
さんざんやり玉に挙げているシンギュラリティですが、これ別に『機械が反乱を起こして人類を支配する』とかそういう物騒なモノじゃありません。単純に『機械の知的レベルが人類を超える瞬間』というだけです。ようは人間が真の意味で理解できない思考回路を得たとか、そんな感じですわね。それだけの話なのにやれ機械が反乱を起こして人類を支配する! とか機械に管理される未来がやってくる! とか、とりあえず驚異になった相手を恐れ、理解し難い存在を怖がるというのは心理学的に正しい行動なのですが、それにしたって未来を悲観し過ぎな気がしますけど。
まあ、機械が考えた結果人類をどうする結論にたどり着くかはわかりませんけどね。
人工頭脳の進化はまだまだ続くでしょう。しかし、シンギュラリティの瞬間が訪れるのかはまだ未知数です。まずはそれに繋がる汎用性AIの開発に、そのAIをコンパクトに収納できる電気回路の登場。でもってそれらを制御できる天才プログラマーの存在が必要不可欠っぽいなぁ。
人工頭脳って夢があるでしょう? まだまだこの分野の研究は発展していきそうなので、SF作品を書く参考にするでもよし、AI開発に着手するでもよし、アナタはAIという存在に対して何を感じましたか?
わたしはsiriであそぶ。なおガラケー




