表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/27

07月11日 晴

 スケッチブックに丸く削った鉛筆。水彩絵の具と水を入れたペットボトル。

 午前中、まだ早いうちに家を出る。

 山は隣の市との境。少し距離があるが歩く事にした。

 あの日も、二人で歩いたのだから。

 

 

                    ☆  ★  ☆

 

 

 サクラと話すようになったのは、小学校二年の時。偶然、席が前後になったからだ。

 人見知りする私にとって、サクラは数少ない友人だった。

 もちろん、明朗快活なサクラには沢山の友達が居て、いつも真ん中で笑っていた。

 サクラにとっての私は、多くの中の一人に過ぎなかったんだと思う。

 季節的には夏休みの直前。ちょうど今くらい。

 その日、私は日直で教室に残って日誌を書いていた。

 一日の出来事を時系列にまとめ、事細かに記していく。 

 適当に済ませてしまえばいいのに。真面目というよりは要領が悪い。

 書き終えた時には、夕日が差し込んでいた。

 大きく息をついて伸びをする。

 いつも居場所に困る教室が、今は自分一人の為だけに存在していた。

 だから。

「秋野さんってマジメだね」

 背後からの声に思わず立ち上がってしまった。

 随分と大袈裟な顔で振り返ったのだろう。

「あ、ごめん。ビックリさせるつもりじゃ……」

 申し訳なさそうなサクラに、

「ううん。誰も居ないと思ってたから」

 慌てて言葉を返す。

「途中で声をかけるのも悪いし、終わるまで待っておこうかなって」

 素直に安心したのか、サクラがほっと息をついた。

 なんとなく暖かい気分になる表情に見とれてしまう。

「今日、ヒマ?」

「え」

「これからUFOの写真を撮りにいこうと思ってるんだ」

 ランドセルをごそごそとあさり、小さな箱を取り出す。

 緑を基調としたデザイン。

 見覚えがある。テレビのコマーシャルでやってる使い捨てカメラというやつだ。

「この前、旅行に行った時のなんだけど、まだ少し残ってるんだ。これで撮ろうと思って」

 隣の市との境にある山で空飛ぶ円盤を見た。

 最近のブームに乗って、実しやかに広がっている噂だ。

 サクラにこんなミーハーな部分があったとは。意外な発見に目を丸くする。

「あ、バカ言ってると思ってるでしょ」

「え、ううん。そんなことないよ」

 サクラの気分を損ねないように急いで否定する。

「ま、あたしも本気で信じてないけど、いたら楽しいって思わない?」

 屈託のない笑顔。ドキッとする。

 いつもあれこれと理屈をこねる私にはできない顔。

 サクラの世界と私の世界は違うのかもしれない。

 常に光の中で前を見て進むサクラ。いつも影の中で足元を見て立ち止まったままの私。

「ね、一緒に行こ」

 優しくて暖かい感触。私は差し出された手を無意識に握り返していた。

 

 

 並んで歩いた。

 山を少し上った所に、小さな神社がある。そこが目的地。

 始めていく場所だから、道を忘れないように注意して進む。

 学校からはかなりの距離。路地をくねくね曲がり、大通りを駆け抜け。いくつも信号を超える。山の麓から伸びた石段を上がり、ようやく辿り着いた。

 一時間以上かかった。小さな二人にとっては、信じられないくらいの大冒険だった。

 鳥居をくぐり中に入る。

 境内は山で夕日が遮られ薄暗かった。その上、人の気配がない。不気味な感じだった。

 宇宙人が物陰から飛び出してきて、私達をさらうのではないか。バカな妄想に背筋がぞっとする。

「あぁ」

 サクラの声が私を現実に引き戻した。

 さっきまで近くに居たはずのサクラの姿が消えていた。

 どこに。

 周囲に視線を走らせ探す。

 いない。

 心臓の音が激しく、早くなる。

 宇宙人。UFO。妖怪。心霊。

 断片的なキーワードが頭をよぎる。

 まさか。

 膝が震える。自分の身体じゃなくなったみたい。

「秋野さん。こっちこっち、すごいよ」

 声を追う。

 境内の奥にあるお堂の向こうからだ。

 ゴクリと唾を呑む。

 呼んでいるのは本当にサクラだろうか。

 得体の知れない何かが声色を真似ているのかも。いや、そもそも教室に残って居たのはサクラじゃなくて……。

 頭を振って、バカげた考えを弾き飛ばす。

 右手に視線を落とす。まだ優しい感触が残っていた。偽者のはずがない。

 心を決めた。迷いから逃げるように小走りで向かう。

 お堂を大きく迂回する。裏には何もなかった。分厚く高い壁があるだけ。

 サクラを探す。壁の隅にある小さな扉が、開いていた。

「早く早く、こっちこっち」

 導かれるままに外に出る。

 強い光。目がくらんだ。小さく声を漏らしてしまう。

 まぶしさに慣れるのを待つ。

 開けた空間。小さな公園くらいの大きさ。周囲はフェンスで囲まれている。

 山の陰から抜けた夕日が、そのスペースをオレンジに染め上げていた。

「こっちだよ」

 近くにサクラの笑顔があった。優しく腕を掴んで引っ張る。

「なに?」

「いいから、いいから」

 そのまま二人でフェンスに駆け寄った。

「ほら、すっごい綺麗でしょ」

 そこからは町が一望できた。夕日の中で輝く町並み。

「あたしの住んでるのは、あそこら辺かな」

 サクラが駅の方を指差す。

 パパと一緒に何度か言った事がある。家からはかなり離れてるはずだ。

「違うよ」

 駅と太陽の位置を確認する。この時間なら、夕日の方向になるはずだ。

 今度は私がサクラの手を引いて、フェンスに沿って少し移動する。

「あの辺になると思う」

 強い逆光に目を細めながら、指を向けた。

「うわぁ、さっきよりスゴイ綺麗」

「ホント、綺麗」

 溢れる朱色の中でキラキラと反射する光の粒は、緻密に計算されたアクセサリーのような美しさがあった。

「そうだ! 写真! 写真!」

 サクラがランドセルから使い捨てカメラを取り出した。

 数枚のフィルムなんてあっと言う間だった。

 写真を撮り終えた後も、私達はじっとその景色を見つめていた。

 手を握り合ったまま、夕日が完全に沈むまで。

 

 

「あれれ、おかしいな」

 サクラの声は不安で震えていた。

「ここで曲がったら大通りに出てくるはずだったのに」

「ね、あっちじゃないかな」

 暗くなってから、急いで山を下り帰路についた。

 夜と昼は町の雰囲気は随分と違う。その上、太陽もなくなり方向感覚も失ってしまった。

 道に迷ってしまっても無理はないと思う。

「ここ、さっき通ったかも」

「おかしいな、おかしいな」

 サクラの声は震えていた。

 真っ青な顔。潤んだ瞳からは、今にも涙が溢れそうだ。

「ごめん。あたしが誘ったりしたから。もし、このまま帰れなかったら」

「大丈夫、大丈夫だよ」

「でも……」

 消え入りそうな声。

 心の隅に生まれた不安が、どんどん大きくなって、私達を押し潰そうとする。

「大丈夫、きっと大丈夫だよ」

 虚しい言葉を繰り返すしか、出来ないのだろうか。

 何か他に少しでも。懸命に考える。

「え?」

 差し出した私の手を見つめて、サクラが目を丸くした。

「ね、手を繋ご」

 ちょっと照れた風にサクラが小さく頷く。

 手が触れた。ぎゅっと強く握る。暖かい感触と柔らかな体温。

「あのね」

「すっごく綺麗だったね」

「え、うん」

「あの場所は二人だけの秘密だね」

 微笑んだ。小さくて非力な私の精一杯。

 サクラの瞳が食い入るように私を見ていた。

 少し頬が熱くなるのを感じる。心臓がドキドキする。

「そうだね。二人だけの秘密。誰にも内緒だよ」

 サクラが笑顔を返す。

 あれほど大きかった不安が、一気に吹き飛んだ気がした。

「さ、帰ろ。パパとママが心配してる」

「そうだね。あたしもお腹空いちゃったし」

 少し軽くなった足で進んだ。

 なんとか家の近くまで来た時には、すっかり遅くなっていて、私とサクラはみっちりと怒られた。

 


 あの日から、私とサクラの距離は一気に縮まった。

 一緒に遊ぶ事が、一緒に過ごす時間が増えた。

 秋野さんと弥生さんという呼称が、秋野と弥生に変わり、気が付けばカエデとサクラになっていた。

 喧嘩して絶交して、仲直りを繰り返した。

 あの時、あの道で繋いだのは、互いの心だったのかも知れない。

 

 

 筆を置いた。思ったより掛かったが、ようやく完成。

 夕日に目を細めながら、町を眺める。

 あの日、ここからサクラと見た景色。写真に残っている景色とは随分と変わっていた。

 それに。

 今、私の隣には……。

 立ち上がって、大きく息を吐いた。

 腕を精一杯に伸ばし、仕上がった絵を眺める。

 良く描けてると思う。

 夕日の中でキラキラと輝く町。それを硬く手を繋いで眺める二人の女の子。

 今の私の一番。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ