07月16日 晴
今日でテストも終了。
自己採点の結果はまあまあ。悪くはない。
明日からは長い休みに入る。
何をして時間を潰そうか、少し憂鬱になる。
☆ ★ ☆
「私は八月の中くらいから、おばあちゃん家で過ごすつもり」
黒板を拭いていた手を止めて、有紀が振り返った。
「小学生まではあっちに住んでたんだ。その頃のトモダチにも会えるしさ。田舎で遊ぶ場所とかないんだけどね」
「ふうん、そう」
小さく返事をして、日誌に視線を戻す。
今日、私は日直当番だった。
大袈裟な物じゃなく、放課後の片付けと学級日誌への記入があるくらい。
一人で困るほどの作業でもないのだが、有紀が強引に手伝ってくれた。本人にとってはテスト前に勉強を見てもらったお礼のつもりらしい。
「ってリアクションそれだけかよ」
「興味ないし」
「アンタから聞いてきたのに」
大袈裟に肩をすくめる。
「で、そっちは予定あんの」
「特に無い」
授業内容について書き終えた。後は一日の所感だけ。
「ホント、愛想ないよね」
「好きでもない人にそんなの必要ない」
「う〜ん、それもそうか」
妙に納得した顔で頷き、
「ま、でも良い傾向なんだろうね」
ぶつぶつと呟く。
「なにそれ?」
「沈んでぶすっとしてるよりは、無愛想でも話しかけてくるだけマシになったって話」
別に話しかけたいワケじゃない。
浮かんだ言葉を呑み込んだ。
確かに有紀は嫌いなタイプ。仲良く一緒にお友達なんて、とても考えられない。
でも、会話を交わしているのが苦痛という程でもない。
それどころか、少し楽しく感じる瞬間がある。ほんのほんの少しだけど。
「カエデは部活とかしてたっけ」
また呼び捨て。相変わらず馴れ馴れしい。
「興味ない」
「中学ん時はやってたよね。何部だったかな」
腕組みをして、小さく首を捻る。
こんな無意味な会話を続けるのは、時間の無駄だ。そう思って口を開こうとした私を、有紀が右手で制する。
「ちょっと待って。一発で当てて見せるからさ」
仕方ない。言葉を溜息に置き換えて、有紀の答えを待つ事にした。
「確か……」
珍しく真剣な表情。クイズの回答者気取り。
どうせ正解なんてしないだろうに。まったくバカバカしい。
「文芸部」
ほら、外れた。
「じゃあ、手芸部」
何がじゃあなんだか。
「漫画、いや写真部」
一発で当てるという目的は、何処に行ったのだろう。
「演劇部。将棋部。アニメ研究部」
「全然違う」
「くっそぉ。惜しいトコまでいってるんだけどなあ」
思いつくまま列挙してるだけのクセに。
しかし、しつこくリトライする粘りだけは評価できなくもない気がする。
「ね、ヒントヒント」
くだらない。こんな遊びにいつまでも付き合ってられない。
「運動部」
口から出た言葉に自分でも驚いた。
「へ?」
面食らった、有紀風の表現だと鳩が豆を食べたみたいな顔になった。
「運動部。私が入ってたらおかしい?」
「いやそうじゃなくて、マジ乗ってくるとは思わなかった。くだらないってバッサリかなって」
自分でもそのつもりだったのに。
「ま、でもそこまで狭まれば、もう勝ったも同然だよ。一発で当てちゃうからね」
いつの間に勝負になったんだろう。それに一発って。
「ずばり! 卓球部でしょ!」
「違う」
「解った。ピンポン部」
「卓球と一緒じゃない」
「じゃあ、カバティ部」
「カバ……なにそれ?」
「知らないのカバティ」
バカにしたような口ぶりにムッとする。
「あはは。ちょっと怒ってる」
「怒ってない」
「まあ、そうしておくよ。カバティってのはね。こうやって」
両手を軽く広げて腰を少し落とし、
「カバティカバティって言いながら踊るの」
左右にステップをしてみせる。
ダンスの一種みたいだが、かなり奇妙な動き。
広いグランドで数十人が一列に並び、踊る姿を想像する。
ありえない光景だ。
「あ」
有紀が小さく漏らした。
さっきよりも驚いた顔だった。私の顔をじっと見ている。
「な、なに」
「いや、その、なんていうのかな。カエデも笑うんだなって思ってさ」
無意識に表情が緩んでいたのだろうか。全部、有紀が悪い。有紀が奇妙な踊りを踊ったから。
「マジ可愛くてびっくりした」
「ば、バカ言わないで」
頬が熱くなる。それが見られたくなくて、急いで顔を背ける。
「照れてるよ。キャラに合ってね〜」
「もう、黒板消すのにいつまで掛かってるの」
「あはは。あんまり苛めるのもアレだから勘弁してあげる」
有紀の嬉しそうな顔。ちょっと腹が立つ。
錆び付いたドアを開け、屋上に出た。
特に理由とか用事があった訳じゃない。
有紀と別れた後、良く解らないもやもやした気分だった。気が付けばなんとなく足が向いていた。それだけだ。
ギラギラと強い太陽。ゆったりとした夏風が髪を揺らす。
誰も居なかった。
テスト最終日の放課後。明日から休みだというのに、こんな所で時間を潰す生徒はまず居ない。
ちょっとした貸しきり気分。
焼けたコンクリートの熱を感じながら、屋上を囲むフェンスのすぐ近くまで歩く。
校庭が一望できる。ジャージ姿の生徒達がちらほら。運動部の練習はテストも夏休みも関係なさそうだ。
中学の頃、私はソフトボール部のマネージャーだった。
理由はやっぱりサクラ。サクラがソフトボール部に入ったから。少しでも一緒に居たくて。少しでもサクラの為に何かしたくて。
もし、サクラが生きていたら、ここでもソフトボール部に入っただろうか。ノック練習を見ながら、そんな事を考える。
見上げた。高く青い空。
この遥か向こうに天国があって、サクラがそこに居る。
安っぽい空想だが、そこはきっと綺麗で穏やかな場所に違いない。
手を、精一杯、身体を伸ばす。
やっぱり届かなかった。
解りきっていた結果なのに溜息が漏れた。
サクラは屋上が好きだった。立入禁止だったのに、時々こっそり二人で屋上に出た。
晴れ渡った空。赤い夕焼け。透き通った夜空。
色んな空を二人で見上げた。
サクラが一番好きだったのは、この青空。迷いのない澄んだ澄み切った、ただ純粋に高い高過ぎる青。
「ね、カエデ」
光の中にサクラの姿が浮かぶ。
紺色の地味なセーラー。中学の制服。記憶が作るサクラの虚像だ。
「こうやって」
天を仰ぎ、両手を口元にそえてメガホンを作る。息を大きく吸って、声を上げた。
言葉にならない叫びを、肺が空っぽになるまで。
「ふぅぅ、こうやって大声出すと、すっごい気持ち良いんだよ」
唖然とする私に、
「ね、カエデもやってみよ」
にっこり笑う。
「恥ずかしい? じゃあさ、手を繋ごっか。それなら平気だよ」
ほっそりとした右手を差し出す。
ちょっとした事ですぐに落ち込む私を、サクラはいつもそうして励ましてくれた。不器用で暖かいサクラの優しさ。
胸元に手を当てる。小さく拳を作った。もう私が握る手はこの世にない。
だから……。
きゅっと力を込めた。
大きく息を吸い込んで、ただ声を上げる。胸の空気を全部出す。
視界がぼやける。頬が熱い。いつの間にか涙が流れていた。
乱暴に拭いて、また息を吸う。胸が一杯になると、大きく口を開けて声と共に吐き出す。
何度も繰り返した。声が枯れるまで、涙が止まるまで、ひたすらに繰り返した。
どのくらい経っただろう。
乱れた息。ペタリと座り込んで整える。
「どう? すっきりしたでしょ?」
私だけに聞こえる声に頷く。
少しだけ、心が軽くなった。




