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07月10日 晴

 一番好きな風景を描く。それが美術の課題だった。

 サクラの居ない世界に一番はない。 

 全てが灰色。つまらない沈んだ景色。

 だから私は想い出の場所を描く事に決めた。

 

 

                    ☆  ★  ☆

 

 

 好きな風景を描く。

 どこを描くのか、どう描くのか。センスが問われる。

 曖昧だが良く出来た課題だと思う。

 提出日は夏休み明け。

 有り体に言えば、夏休みの宿題だ。

「有紀はどこ描くの?」

「夏休みさ、おばあちゃんの家に行く予定なんだ」

「へえ、いいな」

「田舎だからさ。それっぽい場所くらいあると思うしさ」

 土曜の四時限後の教室は賑やかだ。休日前のテンションで必要以上に騒がしい有紀とその周りの連中をなんとなく眺める。

 来週の月曜からは期末テスト。家に帰れば嫌でも机に向かう羽目になる。しばらくの苦痛の前に思いっきり羽根を伸ばしておきたいという気分は解らなくもない。 

 ホンの少しだけ、好意的な解釈をしている自分に驚いた。

「カエデはどうすんの?」

 私の視線に気づいたらしい。少し声のボリュームを上げて、私に質問を投げてくる。

 一瞬、取り巻きが言葉を止めた。奇妙な緊張感。

「考えてない」

「そっか」

 最小限の答えに頷いて、周囲との会話に戻る。

 緊張が溶け、弛緩した空気に変わった。

 保健室でのやり取り以来、私と有紀は微妙な距離を保っている。

 私の気持ちが解ったせいか、必要以上に絡んできたりはしない。

 たまにこうして会話をする程度。これがお互い最良の関係だと思う。

 鞄を手に席を立つ。

 あんまり時間を無駄にはできない。

 焦る必要はないが、来週のテストに備えて少し復習しておかないと。

 それなりの結果を出さないとサクラに軽蔑されるかも知れないから。

「カエデ、バイバイ」

 教室のドアに手を掛けた所で、有紀の声が届いた。

 背を向けたまま、小さく手を上げて返事の代わりにする。

「あ」

 教室を出て階段に差し掛かった所で、名前で呼ばれていた事に気が付いた。

 まったく。馴れ馴れしい。図々しい。

 しかし、以前ほど不快に思わなくなった。有紀はそういうタイプなのだと、諦めというか、変に納得してしまう。

 

 

「そっか、来週からテストなんだ」

 寝る前にベッド転がりながら、サクラと電話で話す。一日の中で一番の時間。

「うん。みんな結構バタバタしてるよ」

「あはは、その気持ち解るな。あたしもテスト前はいつも泣きそうになるからさ」

「普段からちょっとずつ積み重ねていれば大丈夫だよ」

「それが、物理的に不可能なんだよね」

「その表現、なんかおかしい」

「あはは。ま、でも、こういう時は死んでる自分を感謝しちゃうね」

 サクラはいつも前向き。くよくよ悩まないタイプ。それは死んでも変わらないらしい。

「良いこと教えてあげるよ」

「なに」

「あのね、オバケはさ、試験も学校もないんだよ」

「へえ、そうなんだ」

「イベントって言えば、夜に墓場で運動会するくらいかな」

「それは凄そうだね」

 オバケが集まって運動会。

 どんな競技があるのか。参加者はどのくらいいるのか。選手宣誓みたいなのもあるんだろうか。

 色々な疑問が次々と湧いてくる。

「カエデって、あんまりテレビ見ない?」

「そんな事ないよ。毎日ニュースとか見てるし。でも、どうして?」

「ううん。こっちの話。じゃあ、モミィもテスト勉強に追われてるんだろうね」

 サクラはモミジをモミィと呼ぶ。モミジにとっては好みでないあだ名らしく、呼ばれる度にほっぺを二倍くらいに膨らまして怒るのだ。

 その表情が凄く可愛いとサクラはいつも喜んでいた。

「中学のテストはちょっと早くて先週に終わったよ」

「を、結果はどうだった」

「まあまあだったかな。少なくともサクラが中一の頃よりは良かったよ」

「流石、カエデの妹だね。っていうか、その言い方酷くない?」

「冗談冗談」

「モミィにもよろしく伝え……るのは、ちょいアレかな」

 サクラからの電話については誰にも話していない。誰も信じてくれないからというのもある。

 しかし、それ以上にサクラと秘密を共有しているという思いが大きい。それだけでドキドキしてしまうのだ。

「あ、もう時間か」

「ホント、楽しい時間はあっという間だね」

 必ず訪れる瞬間。どうしても声のトーンが低くなる。

 サクラに心配掛けたくない。明るくさよならを言えればいいのに。

「明日も電話するね」

「うん」

 胸が痛い。もっともっと話していたい。ずっとずっと話していたい。十分なんて短すぎるよ。

 溢れそうになる感情をぐっと押さえ込む。声が震えないように。精一杯で。

「楽しみに待ってるから」

 ようやくの一言を搾り出す。

「うん。じゃあ、またね」

 ぷつりと携帯が切れる。

 温まった心が、あっという間に冷えていく。暗い世界に放り出されたような気分。

 身体を起こし、小さく伸びをする。

 夢から現実に戻る為のささやかなセレモニー。

 デスクに座り、教科書とノートを開いた。

 とりあえずは来週のテスト。サクラは結果を聞くだろうし、もし私の成績が落ちたらきっと心配するだろう。

 サクラの為に頑張らないと。

 黙々とシャーペンを走らせる。無機質な記号の羅列を機械的に取り込んでいく。

 二時間くらいかけて、テスト範囲を見直した。

 誰かと競う訳でもないし、満点を目指す訳でもない。それなりの成績であればいい。これで十分だろう。

 教科書を本棚に戻し、欠伸を一つ。

 日記をつけたら寝よう。

 今日のページを開き、一日の出来事を振り返る。

 美術の課題が出てたっけ。

「一番好きな風景を描く……か」

 酷な課題だと思う。

 サクラが消えた世界は、どこも空虚にしか感じられない。

 適当な景色を描いても構わないかも知れないが、自分の一番がそれと思われるのが悔しい。

 私にとっての一番はサクラの居る場所。サクラの笑顔があれば、そこは世界で最高の場所なのだ。

 でも、サクラはもう居ない。一番はもうどこにもない。

 有るとすれば、それは私の記憶の中だけだ。

 天啓がひらめいた。

 本棚の隅、アルバムに手を伸ばす。

 ずっしりと分厚く重い。

 小学校からずっと撮りためたそれは、サクラとの思い出が詰まったアルバム。

 サクラが消えてから、辛くて見れなかったアルバム。

 数ヶ月ぶりにページを開く。

 サクラは笑っていた。どんな時も。陰りのない明るい表情で。

 永遠に失われた大切な大切な笑顔。

 ぼやける視界を何度も拭って、震える指先でページをめくる。

 あった。

 隣の市との境にある山から、夕日の差し込む藤見野市を撮った写真。強い逆光で街はくっきり写ってないし、手ぶれで少しボヤけている。決して良い写真とは言えない。

 それは私にとって、いや、私とサクラにとって最初の一枚。

 決めた。ここを描こう。

 明日は日曜だし、天気予報も晴れらしい。スケッチには丁度良い日になるだろう。

 


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