10月16日 曇
今日は私の十六回目の誕生日。
振り返れば、辛いばかりの一年だった。
それでも家族や友達、そしてサクラの電話に支えられて今日を迎えられた。
来年はもっと笑顔で迎えられるように、強くなろうと思う。
☆ ★ ☆
大きく息を吸って、蝋燭を吹き消した。
「カエデ、おめでとう」
祝福の言葉と共に拍手が起こる。
電気が点った。
薄暗い小さな部屋。十人近い人数には、かなり狭い。
部屋には不自然なくらい大型のテレビと、ソファーに囲まれた小さなテーブルが置かれている。
これがカラオケボックスなんだ。
壁のあちこちに貼られた広告やメニューを見てると、異次元に迷い込んだ気分になる。
みんなの視線が私に集まっていた。なんとなく照れくさくなって下を向いてしまう。
「えっと、あの、ありがとう」
辛うじて感謝を口にできた。
「あはは、柄にもなく照れてるよ」
「そ、そんなことない」
有紀の言葉についつい反応する自分が、子供っぽいなと思う。
「さ、ケーキ食べようよ。ケーキケーキ」
テーブルの上のケーキは有紀達が用意してくれた物だ。
このカラオケボックスは有紀達が良く利用するお店らしい。禁止のはずの持ち込みが、あっさり許されたのもそういう理由からだ。
ケーキが丁寧に切り分けられて、紙皿に乗ってそれぞれの前に置かれる。
キラキラ輝く純白の生クリーム。可愛いイチゴ。柔らかそうなスポンジ。
美味しそう。
ふと隣を見ると、有紀が大口を開けてケーキを押し込むところだった。それも手掴みで。
あまりの行儀の悪さに閉口してしまう。
「解ってないなぁ」
私の言葉に有紀が小さく肩を竦める。
「ケーキってのは頬張って食べるのが、いっちばん美味しいんだよ」
どこかで聞いたような台詞。
「カエデもやってみなよ」
やっぱり。言うと思った。
小さく頷いて、フォークを置く。ケーキを手にして、ゆっくりと近づける。
口を大きく開けて、ピタリと止めた。
「そんな食べ方するわけないでしょ」
小さく舌を出してみる。
「こりゃ有紀の負けだね」
「誕生日だから、花を持たせてあげたのさ」
そう言いつつも、悔しそうな有紀に皆が声を上げる。
ケーキを皿に戻して、指についた生クリームをぺロリと舐める。
すっごく甘かった。
「私は先生になるのが夢なんだ」
「お姉ちゃんなら絶対になれるよ」
ささやかなパーティの後、切り分けられたケーキを口に運ぶ。
爽やかなフルーツの味と、あっさりとしたスポンジの甘さが広がった。
「じゃあ、私もね私もね。先生になる」
「モミジはホントにお姉ちゃん子だな」
パパのいつもの感想に、ママが小さく苦笑する。
「じゃあ、もっともっと勉強しないとね。今から見てあげよっか」
「え、えっと、その、明日から! 明日から頑張るよ」
私の意地悪な提案に、モミジが慌てて首を振る。
「何にせよ。夢を持って生きるのは良い事だ。うん」
「まあ、偉そうに。で、パパの夢ってどんなだったの?」
「え、僕の夢? う〜ん、そうだな」
「あ、私も聞きたい聞きたい」
「素敵な奥さんを見つけて、暖かい家庭を持つのが、夢だったかな」
そう言って、えへへと笑うパパは可愛いなと思う。
「何バカ言ってんの」
うわ。ママ、ばっさりだよ。
「パパはね。アニメ作る仕事につきたかったのよ」
「そそそそれは学生の頃の話じゃないか」
どこまでが冗談か解らないけど、パパの夢は嘘じゃない。
だってこうして過ごしてる時のパパはすっごく幸せそうだから。
「ね、ママの夢はどんなだった?」
「ん、そうね」
私の疑問に小さく首を傾げて、思考を巡らす。
「色々あったけど、結局はお嫁さんだったかな。素敵な旦那を見つけて、可愛い子供を育てる」
「じゃあ、ママは夢を叶えたんだね」
「そうかしら」
ちらりとパパを見る。そして、私とモミジ、視線を順に移動させた。
「半分くらいね。可愛い子供には恵まれたけど、素敵な旦那さんには出会えなかったな」
大袈裟に溜息をつくママ。
そんな事を言ってても、パパとママはいつも仲良さそうに見える。
ちょっとパパが可愛そうになる時もあるけど。
受話器の向こうから聞こえてくるハッピバースディの歌は、少しリズムがずれてて、音程も微妙に狂っていた。
サクラは本当に音痴だったんだ。
「おめでとう! カエデ!」
「ありがとう。サクラ」
震えそうになる声を、溢れそうになる涙をぐっと我慢する。
サクラの祝福。今年は、これからは永遠に貰えないと思っていた。
「あたしもケーキ食べたかったな」
残念そうなサクラの声。
「今日は二回もケーキ食べちゃったから、明日はちょっと食べるの控えないと」
「カエデは十分細いじゃん」
「ダメ。そういう油断が直ぐお肉になるんだから」
「良い事教えてあげるよ。オバケはいくら食べても太らないんだよ」
「え、そうなの」
「多分、そうだと思う」
そう言って二人で笑う。
話題は誕生日から始まって、先週のテストに移り、意外に上手な有紀の歌になった。
「あたしだって、歌は得意なつもりなんだけどな」
「それは微妙……だと思うよ」
「でもさ、歌は心っていうじゃない。気合入れて歌うから」
「気合と心は違うんじゃないかな」
ちらりと時計を目にした。十分が過ぎようとしていた。今日の時間は終わりだ。
「実は、カエデにプレゼントがあるんだよ」
「え、なに」
「じゃーん! 予備のバッテリーを用意しておいたんだ」
「それって」
「だから、今日はゆっくりお喋りできるよ」
驚いた。嬉しかった。感情がオーバーヒートしたみたい。頭の中が真っ白になって、何も言えなくなった。
「あ、迷惑だったかな。カエデの都合もあるよね」
「そ、そんなことない。そんなことない。そんなことない」
慌ててそれだけ繰り返す。
「良かった。バッテリーは一杯あるから、朝までだって大丈夫だよ」
「嬉しい。嬉しいよ。すごくすっごく嬉しい」
体育祭と文化祭の話。モミジのテスト結果と黒焦げになったお菓子について。
小学校や中学校の時に流行ったテレビ番組。
話題は尽きなかった。全てが他愛ない内容だった。
どうでもいいような話をしてサクラと笑う。
平凡で何よりも大切だった時間。
失われた数ヶ月を取り戻すくらいの勢いで喋り続けた。
気が付けば、暗い夜の空が白く輝き始めていた。
幸せに満ちた数時間も、過ぎればあっという間。
「もう、夜明けだね」
サクラが呟いた。
「時間なの?」
「うん。そろそろバッテリー切れちゃうから」
「でも、予備のバッテリーがあるなら、またゆっくりお話できるよね」
返事はなかった。重苦しい沈黙だけ。心の隅に不安が生まれる。
「どうしたの?」
「カエデ、砂時計はどのくらい残ってる?」
「えっとね」
やや沈んだサクラの様子を気にしつつも、ベッドから身体を起こす。
昨日から随分と笑った。思ったよりも砂が落ちてるんじゃないだろうか。
デスクの上に置いた。砂時計を手に取る。
ガラス製の小さな砂時計。水の中でキラキラと七色の砂が踊った。
砂は……。
「ほとんど落ちてる」
ホンのわずかしか残ってなかった。
「やったね。カエデ」
「うん。ありがとう」
「ね、もし砂が全部落ちたら……」
「カエデ、一つお願いがあるんだけど」
サクラが遮った。珍しい。
「なに?」
「…………」
少し間があった。不安がちょっと大きくなる。
「カエデ、笑って」
「どうして」
「ね、お願い。笑ってよ」
「う……ん」
サクラの笑顔を思い浮かべる。心を暖めてくれる太陽みたい。
微笑んだ。
太陽に照らされて輝く月のような。小さな笑み。
「あ」
砂が。最後の砂が。全部落ちた。
「砂が……」
「うん。良かった」
寂しそうな声だった。
「サクラ、あのね」
「私はカエデの笑顔が大好きだよ。カエデが微笑んでくれると、すっごく心が暖かくなるんだ」
「ありがとう。嬉しいよ」
えへへと笑うサクラ。くすぐったい気分になる。
「さて、そろそろ時間だ。今日は喋り過ぎて疲れちゃったよ」
「うん。私も……かな」
やっぱりいつものサクラだ。
「じゃあ、また明日、楽しみに待ってるから」
「…………」
「サクラ?」
「明日は、電話できない」
「そうなんだ。じゃあ、明後日」
「明後日も……ダメ」
「じゃあ……」
「こうやって話せるのは、今日で最後なんだ」
「なにそれ、何の冗談? ヤだな。全然笑えないよ」
「冗談じゃない。今日で終わり」
「何言ってるの?」
意味が解らなかった。理解できないのに、
「そんなの! そんなの聞いてない! 意味が解らないよ!」
感情だけが、先に言葉になった。
「カエデ、落ち着いて」
「だって! そんなの! ずっと! ずっと一緒だって!」
「私は死んだんだよ。もう、どこにも居ないの」
「だって! サクラは! サクラは!」
こうして電話の向こうに居る!
「カエデなら、もう大丈夫だよ」
「そんなことない! サクラが一緒じゃないと私、私!」
「ちょっとの間だけど、また話せて嬉しかった」
サクラの声が遠く霞んでいく。
「約束したじゃない! ずっと一緒だって!」
「カエデ、泣かないで。笑って」
声が少しずつ薄れていく。だんだんと離れていくのを感じる。
「待ってサクラ!」
消えそうになる声を繋ぎとめようと、懸命に叫んだ。
「ずっと微笑んでいて」
待って!
「あたしは笑顔のカエデが大好きだよ」
私を一人にしないで!
「だから、ずっとずっと微笑んでいて」
辛うじて聞き取れたのは、それが最後だった。
何度も何度も、喉が枯れるまで叫んでも、サクラの声は返ってこなかった。




