第20話 どれだけ時間が経っても罪は消えない【side希美】
罪を犯した女は、いつ許されたと思って良いのだろうか。
手ひどい裏切りをしてしまった者は、どうしたら罪を清算したと言えるのだろうか。
愛する人と歩んでいくと誓った道に、自らの手で泥水を撒き散らして汚してしまった罪深い女は、その罪を拭うためにどんな生き方をするべきだろうか。
そう、それはごくごく簡単な話。
慰謝料を払って、彼の前から消えて居なくなればいい。
泥を塗ってしまったその人の人生から、二度と関わらないと誓って姿を消すのが一番健全な筈なのだ。
私は罪を犯した。どうしようもなく許されない、絶対に許されてはいけない大きな罪を犯してしまった。
本来なら消えるべきだ。いや、人知れず自ら地獄に落ちて、苦しんで苦しんで苦しんで、彼にしてしまった醜い裏切りを懺悔しながら惨たらしく死んでしまうのが一番だろう。
それが一番いい。彼の溜飲もさぞかし下がるだろうと、そう思い込んでいた。
それはきっと正しい答えであり、同時に絶対に選んではいけない間違いでもある。
愛する人を裏切ったものが、今でものうのうとその人と共にいる。
何故?
それは彼がそう望んだから。それが私の贖罪だから。
そばに居て一生涯を掛けて罪を精算するのが、私に課せられた咎を拭い去る唯一の方法だと、彼に首輪を填められた。
心地よくて温かい、世界で一番幸せな鎖と首輪を付けられた私は、犯してしまった罪の重さを決して忘れず、しかしてそれを引きずらないように幸せにならなけらばならない。
それがあの日、私の罪を許してくれた彼が私に課した罪の精算の仕方なのだから。
◇◇◇
あの罪を告白した日の前日、私は手首を切ろうと思った。
それまでの二ヶ月間の裏切りで、もうどうすることも出来なくなっていたほど追い詰められていた私は、もう死ぬしかないと思考停止していた。
自分が悪い癖に責任を別の対象にすり替えて、自らの被害者意識に酔いしれながら悲劇のヒロインぶっていた。
いつもボディ処理に使っているカミソリを手首に当て、力を込めようとするたびに、昭久君の顔がちらついて出来なかった。
いや、そんな美談めいた話じゃない。単に死ぬことが怖かっただけだ。
昭久君の記憶に残らない、単なる過去になることが何より恐ろしかった。
自分は裏切ったくせに、彼との思い出は無くしたくない。無くしてほしくない。
浅ましい自分がどうしようもなく嫌いで、汚いと思った。
二ヶ月もの間あの男からの呼び出しにも逆らえず、裏切っていることの罪悪感を、快楽に染まることで見ないようにしていた。
仕方がないんだと。逆らえないからだと。
従順にならないと昭久君に迷惑が掛かるからと。
全部全部言い訳だった。本当はただ快楽に溺れて一番大事な人を裏切っていただけなのに。
だけど、目が覚めた。
あのたった一言で目が覚めた。
『希美、結婚しよう』
差し出された指輪の輝きが、あまりにも眩しすぎて、罪の重さを曝け出されているような気がして、もう逃げられないと思った。
いや、違う。逃げたくないと思ったんだ。
罪の告白をしないまま、有耶無耶にして終わらせる事ができないと思ったんだ。
気がつけば滑り落ちるように手を突き、頭を床に打ち付けていた。
許されないと分かっていても、許されてはいけないと分かっていても、自分の犯した罪を告白せずにはいられなかった。
黙ったまま、彼のプロポーズを受けることも、そのまま死ぬこともできないと思った。
苦しみも、悔しさも、私に対する憎悪も全部飲み込んで、愛してると言ってくれた昭久君の思いに報いるためにも、私は変わらなければいけない。
死んだって何のお詫びにもならないと、彼に教えてもらったから。
◇◇◇
あの日、私は昭久君に自分の犯した許されざる罪を告白した。
『ごめんなさい……私、浮気、してました……』
浮気。
いや、そんなありきたりな言葉で片付けることはできないもっともっと汚らわしい裏切り行為。
私は自分をレイプした卑劣な男に、身も心も売り渡してしまった。
あの男からもたらされる快楽を受け入れ、あろうことか楽しみにしてしまっていた。
言葉でいくら否定しても、体は快楽に従順になって呼び出しに応じてしまう。
体が勝手に動いていた、なんて言い訳にもならない。
それを選んだのは、選択したのは自分自身の意志の弱さなのだから。
私はいつの間にか心までも売り渡していた。
言葉で泣き叫んでも、心が慟哭の悲鳴を上げていても、子宮の奥を極太の長い肉棒で突き上げられると全部忘れて屈服してしまう。
罪悪感と暴力的な快楽がグチャグチャに混ざり合った背徳的な興奮に身をやつしている自分がいたのだ。
快楽に染まっている間は罪深い自分から目を背けられたから。
汚い。
私は、あまりにも汚い。
初めて犯された日、私はそのまま命を終わらせようと思った。
取り残されたホテルの浴室でカミソリを手に取り、手首に押しつけたところで、彼からの帰りが遅いことを心配するメールで我に返った。
それで思いとどまるものの、私の心はズタズタに切り裂かれて疲弊していた。
膣内に残った悍ましい粘液の存在に気がついて友達の家に泊まると嘘をつき、そのままホテルでシャワーを浴びた。
会社を休んでその足で病院に行き、薬を処方してもらい、ネットカフェで個室を取って、また泣いた。
保険証を見られて自宅の住所も知られてしまっている。だから自分のマンションに帰ることもできなかった。
泣きはらして心を整え、いつもの私を作り上げて昭久君の家に戻る。
腫れぼったいまぶたをメイクでごまかし、気付かれないように。
それでも彼は気がついてくれた。腫れ上がった涙袋を見て、何があったのか心配してくれた。
仕事で大きな失敗をしてしまったとごまかしたけれど、いつ発覚するかビクビクしていた。
『そうか……あの時の涙がそうだったのか。なんで気がついてあげられなかったんだろうな、俺』
全てが終わった後、落ち着いた頃に事の経緯を話した時にそう言っていた。
彼は自分を責めた。あの告白の日以降、彼は決して日常で私を責める言葉を使うことはしなくなった。
むしろそのことで私が気に病まないように、言葉の一つ一つに気を遣ってくれている。
私にとっては、その方がずっと辛かった。
だけどそれは、私が自らの行動と意志で罪を清算する誓いを強固にしてくれた。
それからの私は、本当に毎日のように救われ続けている。
大きな大きな幸せが、今日も私を満たしてくれた。
大好きな人と体を一つにする。
この世界で最高の幸福。
私は、自分自身でそれを穢してしまった。
私は希美。今わたしを抱いている男性、佐久間昭久君の妻だ。
私たちが結婚したのはつい先日のこと。
あれから数年の月日が経っている。
ここに至るまでの昭久君の苦悩は、生半可なものではなかったはずなんだ。
私はあの日救われた。本当に本当に救われた。
昭久君の心の強さに、これ以上ないほどに救われた。
昭久君の大きな愛に、救ってもらえた。
それとは反対に、彼の苦しみはあの日からが本番だったのだ。
次のエピソードは18:00です。




