✤霊峰市房山から見下ろす田園風景✤
「あぁ、本当に面白かった……」
『……』
腰を抜かした侍女をそのままに、玖月善女さまは僕を抱いて表へと出た。
季節はもう、春から夏へと移り変わろうとしていた。
「……」
さわさわと、湿気を含んだ風が吹き、夏の気配を帯びた真っ青な空がどこまでも続いていた。
この時、玖月善女さまを追い掛けて来る人は、誰もいなかった。
だって怖いもんね? あんなに騒いだんだもん。
……まあ、この状況に陥った主を一人にさせる……と言うのもどうなんだろうと思うけど、玖月善女さまにとってそれは、好都合だったに違いない。
だけどいくら演技にしても、芸が細やか過ぎるし迫真の演技だった。現に玖月善女さまの指はひどい事になっていた。
未だぽたぽたと血が滴り落ちている。
けれど玖月善女さまは、痛がりもせず、気に止めるでもなく、ただ微笑んでいた。
「玉垂。不思議ね」
玖月善女さまは呟いた。
『にゃう?』
意味がわからず、僕は首を傾げる。
すると玖月善女さまは、ふふふと笑う。
「人は死に近づくと、色んなものが見えるのよ」
『?』
僕は意味がわからず首を傾げると、玖月善女さまはそれを見て、面白そうに微笑んだ。
「玉垂は、本当に可愛い……」
そう言って坂道を歩いた。
坂道はすごく急で、そして長かった。
玖月善女さまは、どこに行っているのかって?
それはきっと、市房神社なのだと僕は思った。
霊峰市房山にある市房神社。
今でこそ、参拝しやすいように……と山の下の方に社があるけれど、この当時はもっと山の上の方にその社はあって、参拝するのには少し骨が折れた。
その神社は、険しい山にある神社で、湯山家が代々護ってきた神社でもある。
盛誉のいた普門寺は、この市房神社の別当寺(神社を守護する寺)にあたり、繋がりは深い。
玖月善女さまが『冤罪が晴れますように』と願ったのも、それが理由のひとつでもある。
……だけど願いは、聞き届けられなかったけれど。
そしてこの境内には、今が盛りと美しい藤の花が咲き誇っている。
元々は野生の藤だったのかも知れない。
花好きの神主さんが丹精込めて育てたその藤は、まるで夢物語のように神社を彩っていた。
「季節はもう、すっかり春……いいえ、夏になろうとしているわね。私は季節の移り変わりを感じるのが辛い……」
『みゃあ?』
「だって、……盛誉を、あのまだ寒い夜の寺に遺したままだもの……」
『……』
玖月善女さまは、はぁ……と溜め息をつく。
「ねぇ、玉垂……」
『にゃあ?』
「私はね、もう疲れたの」
『……』
「このまま生き長らえても、盛誉の命を奪った あの相良の者の家臣として生きるだけ。
そんなの耐えられるはずもない……」
息も絶え絶え、険しい道を歩きながら玖月善女さまは、言う。
「どうしようもなかったと言えば、確かにそう。私も、盛誉を助けられなかったもの」
それは自分が盛誉に宛てた手紙のことを言っているのだと思った。『逃げよ』と玖月善女さまは伝えたけれど、盛誉は逃げなかった。
自分は無実だからと言って……。
『……』
玖月善女さまは、自分を恨んでいるのだろうか?
だけどそれは違う。盛誉は ああ見えて頑固だもの。誰の言うことも聞かないし。
『ニャゴニャゴニャゴ』
僕が愚痴を言うと玖月善女さまは、笑った。
「本当に、しょうのない子。私の言葉も、全く耳を貸さないのだから……」
僕は少し驚く。
僕の言葉が玖月善女さまに通じたように思えたから。
「玉垂……」
玖月善女さまは言った。
「私の子どもは、なにも盛誉だけではない。
確かに盛誉の死を悼みはしたけれど、宗昌はまだ生きている……」
『……』
宗昌さまは冤罪が認められたのち、既に湯山の領地に帰って来ていた。
けれどその表情は、以前の【あっけらかん】とした明るさはなかった。眉間に皺を寄せ、ひどく思い詰めた様子だった。
「……私は心配なの。宗昌までも奪われるのではと──」
『にゃあ! にゃあ!』
「ふふ。『そんな事はない』って?
……いいえ、それはどうかしら」
そう言って玖月善女さまは、近くにあった岩に腰掛ける。
見晴らしが凄くいい。
少し……怖いくらいに……。
山に囲まれはしているけれど、湯山の土地のほとんどは平野部だ。山から見下ろすと全部が一望できた。
田んぼには稲が植えてある。
まだ少し短いその稲の隙間から覗く水田の水が、なんだか涼やかで、心和ませる。
あの稲が大きくなって、刈り取りの時期になるとまた、僕は盛誉を思って悲しくなるのだろうか?
盛誉と一緒に見て回ったあの田園風景が、今もまだ瞼の裏に残っている。
『……』
「私はね、盛誉を殺した者たちが許せない。
宗昌が日向の国へと逃げるような事になったその事実が許せない。
そして何よりも、こんなにも盛誉の近くにいて、なにも救えなかった自分自身が許せないの……っ!」
『……』
玖月善女さまは、声を殺して泣いた。
「もう二度と、こんな思いをするのは嫌。
だから玉垂。私はみんなを呪う事にしたの」
……?
言っている意味が分からない。
でも、何がとてつもなく、
とんでもない事を計画している事だけは分かった。
× × × つづく× × ×
┈┈••✤••┈┈┈┈••✤ あとがき ✤••┈┈┈┈••✤••┈┈
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