満ちゆく月 4
ユージーンが、目を開かない。
体を揺すっても、反応がない。
言葉をかけても、返事がない。
ひゅっと、ルーナの喉が、小さく音を立てた。
恐怖から、無意識に、息を吸い込んでいる。
ゆさゆさ。
「ジーン……ジーン……」
ユージーンは、なにも言わない。
もう1度、体を揺すった。
けれど、ユージーンは、目を開かずにいる。
「ジーン……お願い……こんなのは、嫌……」
ユージーンの体に、抱き着いた。
まだ、ほんのりと暖かい。
ものすごくささやかではあったが、鼓動が聞こえる。
「もう……我儘しない……無理も言わない……育ての子のままでも、いいから……お願い、ジーン……死なないで……」
自分のせいだ。
レオナルドと、旅行に出かけたりしなければよかった。
行き先を告げずに出たりしたから、こんなことになった。
ユージーンは、たった1人で、ここに迎えに来るはめになって、命を落としかけている。
すべては、自分のせいなのだ。
自分が愚かだったせいで、大事な者を失う。
ルーナにとって、たった1人の、誰よりも大事な人を。
大人になった、と思っていたけれど、それは勘違い。
口で言っているだけだった。
本当に、大人になったのであれば、こんな愚かなことはしなかったはずだ。
「……ジーンは、死んじゃダメな人なの……死ななきゃいけないような人じゃないの……死ぬような人じゃ……」
ユージーンは、いつも元気で、覇気があって、仕事に邁進している。
病気になったこともなかった。
こんな弱々しい姿のユージーンを、ルーナは知らない。
「ねえ……私が、泣いているのに……ねえ、ジーン……」
涙が、ぽろぽろとこぼれた。
「なんで、高い高い、してくれないの……?」
ルーナが泣けば、ユージーンが泣き止ませる。
まるで決まり事のように、それは繰り返されてきたのだ。
物心つく前から、ずっと。
赤ん坊だったはずなのに、初めて「高い高い」をしてもらった日のことを、なぜだか、覚えている。
あの日、ルーナの中に、感情が生まれたのだ。
嬉しい、悲しい、楽しい。
そして、好き。
その4つから始まり、ユージーンは、たくさんの感情を、ルーナにくれた。
いいものも悪いものも含めて、心は、ユージーンであふれている。
ユージーンだけが、ルーナの世界の中心なのだ。
きらきら。
ルーナは顔を上げ、手を伸ばして、ユージーンの髪にふれる。
もう、引っ張ったりはしない。
指で軽く梳いてみた。
「大好き……私ね、ジーンのことが大好き……ずっとずっと、大好き」
唇を、そっと重ねる。
『お前の、その口くっつけ癖は、今に始まったことではない。3歳の頃から変わらん』
ユージーンは、そう言ったけれど。
「愛してるわ、ユージーン・ガルベリー……」
ルーナにとっては、愛する人との口づけだ。
ほかの誰ともしたことのない、想いの詰まった口づけ。
またひとつ、ルーナの中に、新たな感情が生まれている。
愛情ではなく、それは確かに「愛」だった。
ぶわっ!
突然、ルーナの髪が、風に巻き上がる。
咄嗟に、ユージーンの体にしがみついて庇った。
レオナルドが、またなにかやろうとしていると思ったのだ。
けれど、声も気配もない。
ルーナ自身の体が、熱くなる。
ユージーンにしがみつき、目を閉じていたので、ルーナは気づかない。
彼女は、緑の光につつまれていた。
ぐうっと、空気が重くなる。
それでも、ユージーンから離れようとも、逃げようとも思わない。
どんなことであれ、ユージーンと一緒がよかった。
たとえ、それが「死」であっても。
ふっ、と空気が軽くなる。
体の熱さも引いて行く。
ちゃりん。
その音に、ルーナは目を開いた。
床に、イヤリングが落ちている。
もう1度、ちゃりんと音がした。
耳から外れた2つのイヤリングは、どちらも壊れている。
ブルーグリーンの緑の葉は崩れ、粉々。
大公にもらったイヤリングだった。
14歳の時から、愛用していたもので、いつも身につけている。
なにしろ、これは「ジーンのための道しるべ」なのだから。
『ユージーンは間が抜けているし、いつ、きみを見失うかわからないだろう? それをつけておけば、すぐに見つけてもらえるよ』
大公の言葉を、ルーナは信じていたのだ。
ユージーンに見つけてもらいたくて、ずっと、つけていた。
けれど、それも壊れてしまっている。
ユージーンは、もう自分を見つけられないかもしれない。
イヤリングから視線を外し、ユージーンに戻す。
目を伏せているユージーンの頬にふれてみた。
心なし、さっきより暖かい気がした。
「……ジーン? ねえ……私を、見つけられた……?」
ぴくっと、ユージーンの瞼が動く。
そして、ゆっくりと開かれた。
心臓が激しく波打つ。
涙が、ぱたぱたっと、さらに、こぼれ落ちた。
それでも、ユージーンに、言葉をかけようとしたのだけれども。
声を出せなかった。
伸びてきた手に、頭を引き寄せられていたからだ。
いや、そうではない。
ユージーンに、唇を重ねられていたからだ。




