覚悟を決めたら 2
「それで? なぜ、きみは、私の屋敷の、私の製作小屋の、私のイスに、腰かけているのかね?」
「大公、俺は、どうしてしまったのであろうな」
彼は、目を、すうっと細める。
ユージーンは、物憂げに、製作用の机に肘を置き、頬杖なんかをついていた。
そう、とても物憂げに、壁に視線を向けている。
心は、どこか遠くに行っているようだ。
そして、人の話を聞いていない。
相変わらずだった。
ユージーンは、だいたい、こんな調子なのだ。
己を中心に物事を考えるくせに、肝心な「己の心」には無関心でいる。
ユージーンの考えかたは「自分が、なにを成すべきか」であって「自分が、どう思っているか」ではない。
良くも悪くも。
なにを成すべきか、ということに付随した物事に、ユージーンは、すみやかに、手をつけていく。
ローエルハイドの勤め人を始めたのも、そのひとつだった。
宰相になる、とユージーンは決め、宰相になるためには、民を知る必要があり、民を知るには勤め人となって働くのが最短の手、勤め人として働くのなら、たとえ王族でも、手心を加えないローエルハイドが良い。
こんなふうに、ユージーンの思考が働いた結果だ。
一事が万事、こんな具合であり、そのうえ、ユージーンは、猪のように前に進むことしか考えない。
字引き編纂という「成すべきこと」のため、彼の妻やサリー、グレイを手当たり次第つかまえて、納得するまで「聞き取り」続けたり、する。
相手に迷惑がかかろうが、嫌な顔をされようが、おかまいなし。
ユージーンは、そういう意味で、自己中心的なのだ。
にもかかわらず「嫌われては」いない。
はなはだ面倒で厄介な男ではあるけれども。
(彼は、彼のためだけに動いているのではないからなぁ)
ユージーンの思考が、己に寄与するものでしかなければ、誰も相手にしなかったはずだ。
けれど、その思考は、自己中心的でありながらも、まったくと言っていいほど、ユージーン自身には寄与しない。
字引きの編纂だって、国の言葉を豊かにしたいがため。
つまるところ、国のため、民のためであり、個人的な趣味ではない。
宰相になると決めたのだって、この国を、より良いものにしたいがため。
結局、行きつく先は同じ。
ユージーンは、どこまでも王なのだ。
だから、王としての判断をする。
(そのせいで、自分を顧みないわけだがね)
そして、いざ自分のためだけに、なにかをしようとすると、戸惑うのだろう。
本当にこれをしてもいいのか、これは正しいのかと迷いが生じるに違いない。
なにせ、やり慣れていないから。
自分のためだけに、動く。
そんな至極あたり前のことができない男なのだ、ユージーン・ガルベリーは。
「本当に、きみは世話が焼けるねえ。だが、私が、きみの世話を焼かなければならない理由など、なにひとつないのだよ?」
「……俺は、こんな調子で、国を治めてゆけるのであろうか」
まったく、と溜め息をついた。
が、それもユージーンは気にしていない。
彼は、ユージーンの側近であった男を思い出す。
優秀な魔術師で、だが、せっかちで神経質な男だった。
その男も、さぞやユージーンに手を焼いたことだろう。
身につまされたくもないのに。
(彼が“こう”なってしまっては、いたしかたない。レティも心配するだろうし)
屋敷のほうに来なかっただけでも、上出来としなければならない。
ローエルハイドの敷地内には、屋敷のほかに、勤め人たちの住まいや、彼が創作に使う小屋がある。
もし、屋敷に来て、こんな調子だったら、大騒ぎになっていた。
ユージーンが「ぺっちゃんこ」になっているだなんて。
さりとて、彼にとっては、彼の妻が「心配する」ことが重大事。
彼女は本気で心配して、自ら動こうとする。
できることも、できないことも、どんな危険があっても、彼の妻は、真正面から挑んでしまうので。
彼は、ユージーンを、ちらっと見た。
くったり…となっている姿に、苛とする。
その姿を見つつ、軽く人差し指を、ちょいっと上下に動かした。
「あいたっ! なにをするっ?」
ユージーンが、頭を押さえている。
彼が魔術で「軽く」弾いた場所だ。
「いいかげんにしたまえ」
「なにをだ?」
「きみは、この国を自分1人で背負っていると、自惚れているのじゃないか?」
ユージーンが、不貞腐れた子供のように、ぷいっとする。
本気で「やれやれ」と言いたくなった。
「きみは王の器ではない」
「な……っ……? 俺は、そのために……」
「人の話は最後まで聞け、と言ったはずだ」
彼の力が、小屋全体に満ちる。
冷ややかで、とても重苦しい空気だ。
彼以外の誰も口を開くことなどできはしない。
「きみは、きみがいるから国が平和なのだ、と思っている。魔術師に魔力を与えているのは、実際、きみなのだからね。確かに、王とは国の平和と安寧のための存在だ。だが、ならば、王にとっての国とは、なにか」
ユージーンは、黙っている。
空気が重いせいではなかった。
彼は、すでに力を緩めている。
「それを、きちんと考えたまえ」
話は、ここまでだ。
あとは、ユージーン自身が考えるべきことだった。
なにからなにまで手助けをするのが、本当の意味で、相手を「助ける」ことにはならないと知っている。
(甘やかし過ぎると、あの男と同じだ。だが、私は、あの男ほど芸が細かくはないのでね)
彼は、動作なしに、点門を開いた。
彼にとって魔術を使うのは、釣り竿に「手で」毛針をつけるよりも簡単なのだ。
門の向こうには、ユージーンの私室が見えている。
元は、ザカリーの私室だった場所だ。
彼も、1度だけ行ったことがある。
「自分を愚かだと思うのなら、同じ間違いを繰り返さないことだ」
ユージーンが顔を上げ、立ち上がった。
門のほうに、ゆったりと「いつものように」歩いて来る。
「そんなひしゃげたナスのヘタみたいな顔で、たびたび来られても迷惑なのでね」
「大公」
門の前で足を止め、ユージーンが彼を見て、言った。
「俺は、おたんこなすびであったかもしれん」




