第1話:過積載な人生にブレーキは無い
## 第1話:過積載な人生にブレーキは無い
「う、おおおぉおっ!? 止まれ! 止まれよぉおおおっ!」
10トン大型トラックの広い運転席に、武田剛(39歳)の引きつった叫びが空しく響き渡っていた。
高速道路のインターチェンジを降りる長い下りスロープ。赤信号の手前で、剛は慣れた足つきでフットブレーキを踏み込んだ。 ――スカッ。 手ごたえ(足ごたえ)がない。まるでスカスカのスポンジを踏み抜いたかのように、ペダルが何の抵抗もなく床板まで沈み込んでいく。
「な……ッ!? 嘘だろおい! エアが……エアが抜けてやがる!?」
キャビン内に甲高い警告音が鳴り響く。何度も何度も、狂ったようにペダルを連打するが、油圧と空気圧の応答は一切ない。完全にブレーキ系統が死んでいた。
「止まれ! 頼むから止まってくれよぉっ!」
破れかぶれで手元のサイドブレーキを引き絞るが、総重量20トンを超える鉄の巨躯に制動がかかる気配すらない。それどころか、下り坂の強烈な重力に引きずられ、トラックは恐ろしい勢いで車体を揺らしながら加速を開始した。
本来、日本の大型トラックには法律で\*\*『時速90キロのスピードリミッター』\*\*の装着が義務付けられている。どれほどアクセルを踏み込もうが、エンジン制御によって時速90キロ以上は出ない仕組みだ。
だが――フットブレーキを完全に失い、重力に背中を押された20トンの鉄塊の前には、リミッターなど何の意味もなさなかった。
『95km/h……105km/h……115km/h……』
デジタルスピードメーターの数値が、狂ったように跳ね上がっていく。 視界の先には、高速出口の交差点。赤信号で行き交う乗用車と歩行者たち。そしてその道路の正面には、ガラス張りで大勢の客で賑わう大型商業テナントがドシリと鎮座していた。
「どけぇぇぇーっ! ぶつかる! 死んじまうぞぉおおっ!」
クラクションを鳴らし続けるが、時速120キロを超えた暴走トラックは、もはや制御不能の『鉄の怪獣』だった。
死線へのカウントダウンが刻まれる中、剛の視界がぐにゃりと歪み、脳裏には走馬灯のように己の哀しくも愚かな39年間の半生が駆け巡り始めていた。
――武田剛、39歳。自称・元天下無双のガキ大将。 だがその実態は、気の弱い同級生を力で脅して従わせ、自分がヒーローだと本気で勘違いしていただけの『空気の読めない迷惑男』だった。
中学時代、真夏の校庭に全校生徒を集めて強行し、猛暑の中で熱唱して15名もの救急搬送者を出した伝説の『熱傷リサイタル』。 大人になってからも「俺の才能を理解できない奴らが悪い」と不遜な態度を貫き、オーディションは全落ち。仕事も人間関係も空回りばかりで職を転々とし、気づけば三十路を過ぎて無職寸前まで落ちぶれていた。
そんな負け組人生の底底で、剛が血の滲むような思いをして手に入れた最後の希望。 それが――『大型自動車免許』だった。
(せっかく……せっかく今日から心機一転、大型運送のドライバーとして真面目に働いて、人生やり直すはずだったのに……! なんで初日の配送でブレーキが故障してんだよ畜生ぉぉぉおおっ!!)
やり直したかった。まともな人間として、誰かに認められる人生を歩みたかった。 だが、運命はどこまでも武田剛に惨酷だった。
「避けてくれぇぇぇーーーッ!!」
**ガシャアァァァァァンッ!!!!!**
破滅の瞬間は、一瞬だった。
交差点のガードレールを薙ぎ払い、商業テナントの強化ガラスを粉砕。時速120キロの20トンの質量は、店舗の鉄骨とコンクリート柱をまるで紙粘土のように容易くへし折り、内部へと深々と突き刺さった。
キャビネットが吹き飛び、商品棚が粉々に砕け散る。 鼓膜を切り裂く悲鳴と地鳴りのような破壊音。ひっくり返る視界の中で、つぶれた燃料タンクから漏れ出したガソリンが引火し、猛烈な大爆発を起こした。
**ズドォォォォンッ!!**
激しい炎と黒煙が車体を呑み込む。 ひしゃげた運転席でシートベルトに締め付けられたまま、剛の全身を激痛と猛烈な熱が襲った。
(ああ……俺の人生……最後の最後まで……大迷惑散らかしっぱなしで終わりかよ……)
猛烈な後悔と無念。そして自分が引き起こしてしまった惨状への恐怖の中で、武田剛の意識は急速に冷たい暗闇の中へと沈んでいった。
◇
……。
(……痛くない? 俺……どうなったんだ?)
どれほどの時間が経ったのだろうか。 ふと気づくと、全身を苛んでいた灼熱と劇痛が嘘のように消え去っていた。 そこは上下左右も定かではない、ぽっかりと宙に漂うような漆黒の空間だった。
「――まったく。相変わらず、期待を裏切らない派手なやらかしぶりですね、武田剛さん」
闇の底から、呆れたような、しかしどこか機械的で淡々とした声が響いた。
「え……? 誰だ……? 俺は……確か、トラックで事故って……」
「ええ。あなたは死にました。それも、周辺の建造物を巻き込み、前代未聞レベルの大惨事を引き起こしてね。あなたの犯した罪、そして『業』は、もはや言い逃れのできないレベルにまで膨れ上がっています」
「罪……? 業……? なんだよそれ……! 俺はただ、真面目にやり直そうとしただけで――」
「理由がどうあれ、結果がすべてです」
暗闇の奥で、ぼんやりと蒼白い謎の発光体が浮かび上がった。
「ですが……安心してください。我が機関では、あなたのような『深刻な業を抱えて死んだ魂』のために、特別なプログラムをご用意しています」
「プログラム……?」
「はい。異世界での贖罪計画――通称『リデンプション』。あなたが向かう新たな世界で、その過剰すぎる業を清算していただきます」
声がそう告げた瞬間、剛の身体が目もくらむような強い光に包まれ始めた。
「待て! 贖罪って何をするんだよ!? おい――!」
「幸運を祈りますよ、武田剛さん。……いいえ、これからは『アルデバラン』とお呼びすべきですね」
剛の叫びも虚しく、その意識は眩い光の渦の中へと呑み込まれていったのだった。




