第5話 最果ての少女
からころと小気味良く回る車輪のリズムに身を委ねるうちに、カイルは眠りに落ちていた。
風が穏やかに吹いている。
それに乗せられて少し青臭い草木の匂いが鼻腔をくすぐる。
帝都では嗅いだことのない新緑の香りがカイルを更なる安らぎへと誘う。
カイルが深い眠りから目覚めた時、目線の先には海に沈んでいく夕日があった。
「綺麗だなあ」
寝ぼけ眼を擦りながら、ぽつりと呟く。
オレンジに染まる景色を視界に収め、これまでに見た夕日と無意識に比べてみる。
どの記憶よりも美しい光景に、カイルは決して今日の景色を忘れることはないのだと思った。
自分には忘れるという概念自体、存在しないことを忘れて。
そのまましばらく惚けていると、馬車がゆっくりと止まった。
沈みきってしまった夕日の影を惜しみながら視線を前方へ向けると、いくつかの家が篝火に照らされているのが見える。
(ああ、俺はこれからここで生きるのか)
照らされた小さな集落が鳥籠のように思えて項垂れる。
パチパチと音を立てて燃える炎の赤は先程見た夕焼けよりも眩しく、思わず涙が溢れそうだった。
馬車を降りると1人の女性が迎えてくれた。
暗がりではっきりとはわからないが、均整の取れた顔立ちに見受けられる。
「お待ちしてましたよ、カイルさん」
女性はカイルに呼びかけると、優しく微笑んだ。
「よろしくお願いします」
まだ多くを語る気持ちになれなかったカイルは最低限の挨拶をすると、額の汗を払うふりして目尻を拭った。
「それでは行きましょう」
女性はカイルとの間にしばし流れた沈黙を気に止めることなく、灯りの方向へと歩き始めた。
「はい」
最低限の返事をすると、荷物を背負って追いかける。
小さなカバン一つだけと、最低限の私物を持ってここへやってきていた。
城への未練を断ち切るためか、ここを新たな定住の地としないためか、あるいはそのどちらもか。
陽が落ちて夜が深まるにつれて気温も下がっていく。
海が近いこともあり、海岸から吹き付ける風は実際の温度以上に体温を奪う。
体が冷えるに従って、昂っていた感情が落ち着きを取り戻していくのをカイルは実感した。
「すみません、まだ名前を聞いてませんでした。なんと呼べばいいですか?」
沈黙が心地悪かったわけではない、ただ、自分の名前が既に知られていたこともあり、カイルもこの女性の名前を知らなくてはならないと思ったのだ。
「私はアリスと言います。これから長いおつきあいになると思うので、仲良くしてくださいね」
身を翻してカイルへ微笑みかけた顔は、最初の印象よりも幾分幼く見えた。
「カイルさんは13歳なんですよね。私は16歳で、こんなに歳が近い人って今までいなかったから、ちょっと緊張しちゃいます」
無邪気なアリスの笑顔が眩しく、思わず顔を背けてしまう。
「俺の名前とか歳とか、なんで知ってるんですか?」
気恥ずかしさからつい、乱暴な言い方になってしまう。
同年代の女性と関わったことがないわけではない。
しかしアリスの持つ柔らかさはカイルが初めて触れるものだった。
「新しくいらっしゃる方のお名前とか持ってる力とかは事前に共有されるんです。どんな人がやってきても驚かないように、って。本当はこちらが知ってることを知られない方がいいんですけど……すみません、私ったらはしゃいじゃってつい話してしまいました」
両手を胸の前で合わせてモジモジと指を絡めながら、申し訳なさ半分、恥じらい半分でアリスが頭を下げる。
「いや、謝らなくても大丈夫ですよ。別に俺は嫌ってわけじゃないですし」
実際、アリスに対してマイナスな感情は全く抱かなかった。
名前を呼んでもらえたことや、共通点を見出して話題をくれたことはカイルの孤独を少なからず埋めてくれた。
それに事前に相手を知っておくこと、特に『祝福』に関して知ることは合理的だと思えた。
人知を超えた力を持つのであれば、いきなり目の当たりにして下手なことを言ってしまう可能性もある。
生まれながらに望まず得たものを理由に、奇異の目で見られることが辛いことだというのは想像に難くない。
「でもそれって、俺も知ってたほうがいいんじゃないですか?正直、『祝福』とか最近知ったばかりでみんなに嫌な思いさせちゃうかも」
「そこは、ほら、あれですよ、みんなかつては通った道ということで、笑って許してくれますよ」
そうは言っても他人を不快に思わせることをカイルは良しとしなかった。
半ば強引にでも平静を装うことを決意し、何となく拳を握り込んでしまう。
「あっ、それと『祝福』って言葉は使わないようにお願いします」
「なんでですか?」
「えっと、この国って公には存在しないという立場を取ってるわけじゃないですか?だから、能力とかそんな感じでぼやかして言うように決まってるんです」
このことを皇帝は知っているのだろうか。
ふとカイルは疑問に思った。
しかし疑問はすぐ解決する。
知らないわけがないのだ。
この集落の存在を知っていて、帝国を治めていて、この事実を知らないわけがない。
存在するものを隠すように言葉遊びしていることにも、それを良しとしている父に対しても苛立ちを覚える。
「すみません、気に触ること言っちゃいましたか?」
アリスに言われてカイルは感情が顔にまで漏れ出ていたことに気がつき、努めて表情を崩す。
「ただ、こればかりはルールなので申し訳ないですが受け入れてもらうしかないんです」
しゅんと落ち込んだ様子でアリスが呟く。
「別に、今まで知らなかった言葉ですし、全然こだわりとかないんで大丈夫ですよ」
受け入れるしかない、というアリスの言葉がひっかかりながらもカイルは笑って答えた。




