第4話 兄弟の別れ
どこか恐れるような、結論を先延ばしにするような、そんなゆっくりとした首肯を皇帝は静かに見守った。
2人の顔が上がると、再びそれぞれと目を合わせる。
自身より優れた弟に対しても嫉妬を抱かず、向上心を持ち続ける気高きマルス。
無自覚とはいえ特別な力を持ち、文武に秀でていながらそれを鼻にかけず、兄を慕う心優しきカイル。
2人ともが皇帝にとって大切で誇らしい我が子だった。
故に皇帝も次の言葉を躊躇い、眼差しを一時でも長く2人に注いだ。
その数秒を父親として最大限の愛を持って過ごした後、皇帝は跡取りとの会話を始めた。
「カイル」
「はい!」
いよいよ口にされようとする核心にカイルは震えていた。
それを誤魔化すように返事は大きく、僅かな声の揺らぎは掻き消される。
「お前にはこの城を出ていってもらう」
それはカイルの想像を遥かに超えた宣告だった。
「なっ」
カイルの叫びは声にならず、驚きも疑問も喉元でつっかえて出てこなかった。
「一体、どういう意味ですか!」
カイルの疑問を代弁してくれたのは、やはり兄のマルスだった。
「大陸の西の果てに小さな集落がある。そこは『祝福』を授かったものと、事情を知る者で構成されており、古くから『祝福』を持つ者にとって安息の地だ。カイルには皇帝の息子という立場を捨て、その集落で生きてもらう」
カイルはまだ、声を上げられない。
代わりにマルスの怒りは高まる一方だ。
「安息の地って、実質隔離じゃありませんか!いくらこの国の思想に反するからといって、一部の人民にそのような仕打ちを強いるなんて許せません!」
想像通りの反論に皇帝は一度目を伏せた。
しかし、そのような言葉を受けることや、2人が負う怒り、悲しみ、苦しみ、それらを皇帝もまた覚悟した上で今日を迎えていた。
再び上げられた瞳には、王としての威厳が宿っている。
「カイルのように記憶力が良いという者であれば確かに、一般の民に与える不安は少なかろう。しかし、例えば数メートル飛び跳ねて地面を抉るような拳を振るうものがおったとしたら、それは間違いなく一般の民にとって恐怖や脅威となりうる」
「しかし、それを制限すれば良いだけの話でしょう」
「己が持つ能力を制限させ、常に手加減させながら生きることを強いるのはそれもまた、仕打ちになりうるのではないか?」
マルスはハッとして言葉に詰まる。
皇帝の言い分に納得こそしていないものの、自身の発言に潜んでいた配慮の無さに返す言葉が見つからなかった。
「集落の中では原則『祝福』を使うことに制限は無い。もちろん、他者に危害が及ばぬ程度ではあるがな。持つ者と持たざる者、両者の隔たりを埋めるのは困難だが、こうしてお互いの干渉を避けることでこの国は『祝福』の存在をひた隠しにしながらも、『祝福』を授かりし者の平穏を守っていたのだ」
「……それは、正しくありません」
マルスの発言は具体性のない悪あがきだった。
「では、間違っているか?」
否定できなかった。
マルスはその正しさを否定できても、間違いであることは肯定できなかった。
前提が間違っている。
そもそも『祝福』の存在を認める、認めないという話になったことが誤っていた。
連邦のように『祝福』の存在を認めていれば、どう転んでも不正解な現状が生まれることはなかったのだ。
しかし、大陸が二分される程には『祝福』そのものを否定したい人間がいたという過去の事実が頭から離れない。
マルスがそうでなかったとしても、多くの人民がそれを望まなかったのだとしたら、間違っている前提も正しく思えてきた。
「先程、父上が仰ったように私の記憶力であれば、うまく隠してこのまま過ごすことはできないのでしょうか?」
「一般の家庭に生まれ、『祝福』の概念も知らずに生きていたならばそれも可能だったかもしれん。しかし、この城においてはそうはいかない」
そこでカイルは察しがついた。
「『祝福』の存在を知るものたちがいるから、ですね」
「その通りだ。加えて先日話した通り、城内では次期皇帝を巡る争いが起きている。これ自体はお前たちの意思も確認できたし大きな問題ではないが、カイルの『祝福』が知られてしまっては話がより複雑になってしまう」
「それだって、『祝福』を持つカイルに負けないくらい俺が秀でていることを示せば問題ないでしょう」
マルスの言葉には一理ある。
そもそもカイルよりマルスが優れていれば、兄であるマルスが跡を継ぐことになるのだから。
それでも皇帝はそれを良しとしなかった。
「ならん」
「何故ですか」
その理由は決して皇帝の口から明かされることはなかった。
それでもマルスもカイルもその理由に察しがついてた。
マルスはこのままカイルを超えることができない。
この半ば決定的な未来が皇帝を頑なにさせ、マルスを激昂させ、カイルを決心させた。
このまま兄が自分と比べられ続けた時、果たして最後までその意思を貫くことができるのか。
かといって手を抜くことなど、それこそ兄に対する最大の侮辱にあたる。
ならば、この場で皇帝に従って兄の元を離れるのが、兄にとって最も良いことなのではないか。
カイルはマルスを信じきれなかったわけではない。
そもそも根本が違うのだ。
たった3日前に知った、自身の能力が持つ可能性、持たないものとの圧倒的な隔たり、それらは想いを持ってどうにかなる話ではないのだ。
次期皇帝になるべきは兄のマルス。
カイルにとってそれは揺らがない。
たとえ自分が側にいなくとも、マルスであれば正しくたみを導いていける。
そしていずれは今兄弟を引き裂こうとしているこの不幸な歴史に終止符を打ってくれる。
そう信じていればこそ、自分の未来を兄に託そうと決意したのだった。
「父上、俺、行きますよ」
「カイル!」
マルスが自分の顔を見ているのが横目に見えた。
それでもカイルは皇帝から目を離さず、言葉を続けた。
「兄上は皇帝となるべき方です。くだらぬ派閥争いに巻き込まれてはなりません。それに、父上が私のことを思ってくれていることは伝わっています。このお話、謹んでお受けします」
「カイル!勝手に決めるなよ!」
マルスがカイルに飛びかかる。
そのままバランスを崩して2人は雪崩れるように倒れた。
「兄さん、これが一番、間違いが少ないんだ。きっと、いや絶対、兄さんなら俺がいなくても歴史上最も優れた皇帝になるはずだ。だから、俺の分までこの国を頼むよ」
カイルの声は涙に震えていた。
それでも潤んだ瞳の眼差しは強く、マルスを見据えていた。
それ以上、言葉は出なかった。
永遠にも似た静寂に室内は包まれていた。
その中で時が止まったように微動だにしなかった3人は頭だけが働いていた。
数秒、刹那とも久遠ともつかないその数秒を終わらせたのはマルスだった。
「父上とカイルがそういうなら、俺もそれに従います」
その声はこれまでの言葉の中で最も冷静だった。
皇帝へ注ぐ冷たい視線には確かな熱量がこもっていた。
「ただし、それは父上が皇帝でいる間だけです。俺が皇帝になったら、カイルを宰相として連れ戻します。皇帝である俺の決定となれば、父上にも文句は言えないでしょう。いや、言わせません」
そして翻ってカイルに視線を向けると、マルスは笑顔で手を差し伸べた。
「なるべく早く迎えに行くから、お前も向こうでちゃんと勉強するんだぞ。俺が皇帝になったら弟だろうが正当に評価する。手抜きしてお前が訛ってたら宰相になんかしてやらねえからな」
「兄さん……俺、待ってるから」
翌日、急病に伴う療養として、カイルは城を去った。
「見送りにいかんでよかったのか?」
勉学に勤しむマルスに皇帝が声をかける。
外では馬のいななきが聞こえる。
「俺は1日も早く父上に代わる皇帝になるんです。今は別れを惜しむ暇でさえ惜しい。父上こそ、いかなくてよかったんですか?」
「どの面を下げてそんなことができようか」
「……そうですか。父親の面なら許してもらえたんじゃないですか?」
「そう都合よく使い分けられるものではないよ」
皇帝はバツが悪そうに部屋を後にした。
馬が馬車を引く音も、遠ざかっていく。
残ったのは、カリカリという筆を走らせる音だけだった。




