第33話 魔剣の夢
アイルランド南西部にあるガララス礼拝堂に立ち寄り、例によって魔剣を納める場所たり得るか確認した。結果は、今回も失敗だ。
その後、近くの旅行者向けのコテージで過ごしている。というのも、ゲイルが帰ってくるのを待っているのだ。裏切り者扱いされて逃げ出したわけではなく、娘のところへ行っている。嬉しい知らせが入ったのだ。娘さんが目を覚ましたと。
それに遡っての話だが、僕らと別れた後、ジョバンナは、すたすたてくてくと街道を歩いていたらしい。体力に自信がないところ、やっぱり車で送ってもらえば良かったと息を切らしていると、
「乗っていくかね?」
と道行く車に声をかけられたとか。
ジョバンナが戸惑いながらも好意に甘えて車に乗せてもらい、なぜ止まってくれたのか尋ねると、その人物はにこやかにこう言った。
「ただの散歩かと思って通り過ぎようとしたんだがね。小さな貴婦人に呼び止められたんだ。ほら、あんたの膝に乗ってるじゃないか」
ジョバンナが自分の膝の上を見ると、そこには小さな貴婦人がちょこんと座っていたという。懐いて離れない貴婦人を連れて帰り、その足でゲイルの娘さんが入院している病院へ見舞いに行ったところ、小さな貴婦人が入室するや、目を覚ましたらしい。
アイルランドに伝わる小さな白い貴婦人は、家を守る母の祈りから生まれ、子供を守り育てるものだと言われる。蜘蛛のフィルギャは消えて、娘さんは元気いっぱいだとか。
そんなわけで、ロッテと二人の少し寂しい旅路となった。と言いたいところだが、現実は、これまで以上に騒がしい朝を迎えていた。
「おい、パン! 起きろ、もう四時だぞ! 朝だぞ! 偉大なる空気の魔女、エヴァ様が空から朝陽を拝ませてやるからな」
「こーら、エヴァ。パンの邪魔をしないの。戻るよぉ。オイフェさんは、あと八時間は寝るんだからぁ」
「い、いやだ! そんなに寝たらお昼になっちゃうだろ」
「えぇ〜、目覚めたらお昼なんて最高だしぃ」
テンション真逆のやりとりを聞き流し、ピサールが、ぽこ、ぽこんと二連続で頭を叩いた。
「二人とも、さっさと部屋へ戻れって〜。起床は七時と決めただろう。エヴァは早すぎ、オイフェは遅すぎだぜ〜」
対して、口をすぼめてぶぅぶぅ言う二人だが、
「いいのかエヴァ、よく寝ないと背が伸びないぜ〜。それにオイフェ、寝過ぎも美容に悪いぜ〜」
「げぇ、マジか?」
「えぇ〜、寝たら寝ただけ美肌になるんじゃないのぉ?」
などと、さわやかな目覚めだ。
そう、あれ以来、ピサールたちも一緒に旅をしているのだ。毎日わやくちゃである。優雅に珈琲を味わう静かな朝はどこへ行った?
寝不足気味の頭で、ぼうっとしながら、もそもそ朝食をとっていると、ルトの申し訳なさそうな声だ。
「ごめんなさい。騒がしくて」
「んぁ? ああ、いいのいいの。僕は物好きでロッテに付いてきてるだけだから」
結局、エヴァは早くに起きて、ロッテとピサールを連れて朝陽を見に飛び立ち、オイフェは七時に起きて朝食後、二度寝しにいってしまった。ある意味では、ようやく静かな朝がやってきたところだ。
「ルト、僕らと一緒にいていいのか?」
「ええ、ボスとの溝は決定的なものになりましたから。ロッテさんの魔剣を狙ってくるのは間違いないですし。微力ながら、私たちがお護りします」
「例の魔剣、それほど重要な物なのか?」
「そうですね。あの剣は魔力の流れを操ることができるのです。私たちは、持て余している自分の力を制御するために役立つと思っていますが、ボスは、魔力の流れを操作することで、不老不死をも得られると思っているようです」
「あの剣に、そんな力がねぇ」
「あくまで可能性ですよ」
「そういえば、とっくり見せてもらったことはなかったな。歴史的にも、骨董品としても価値のあるものだし、一度、ゆっくり見てみたいところだ」
「いいわよ」
と、楽しげな声が響いた。いつのまにか戻ってきていたロッテだった。
「いいわよって、魔剣を見せてくれるのか」
「ええ、ほら」
鞘に入ったままの魔剣を無造作に放りつけてくる。なんとかキャッチしたが、危うく落っことすところだった。
「ぞんざいに扱うな。貴重な物なんだろ?」
「ただの厄介物よ。ま、でも、手のかかる子ほど可愛いってね。持ち逃げしちゃやーよ」
「せんわい。こんなものを持って一人でウロウロしていてみろ、ボスに焼き殺されて終わりじゃわい。
そもそも、僕は詐欺師まがいの骨董商であって、詐欺師ではないのだ。骨董品として、また考古学的興味から見てみたいだけだ。たいていの魔剣やら聖剣やら、貴重な剣には名前が付いているものだが、この剣には本当に名前がないのか?」
「魔剣は魔剣、名前なんてないわ。無名の剣よ。歴史の裏舞台を歩いてきたみたいね。体に傷を残さず命を奪う、あるいは廃人と化す。
どんな使い方をされてきたか、だいたい想像できるわ。かすり傷ひとつで死に至る魔剣なんて言われてるけど、あたしには分かるの。この子には悪意はないって。望みを叶え、されど不幸をもたらす。なんて言い伝えもあるけど、よく分からないわね。幸福も不幸も、いつだって目の前に落ちているのだから。どちらを拾うか、どちらとして拾うかだと思うわ」
一日貸してあげるから好きなだけ調べたら? というロッテの好意に甘えて、その日は、ずっと魔剣をいじくっていた。
中世の慈悲の剣、ミセリコルデに似た十字架状の短剣で、柄元に古い文字が刻まれている。製作者の銘か、使用者の銘か、はたまた呪文か意味のない言葉か。夜になっても飽きずに調べ続けていたのだが、欠けて薄くなった文字は、どうやら古ザクセン語のようだった。
文字を解読しようと奮闘していると、異常に眠たくなってきた。普通の眠気じゃない。目を覚まそうと口に出して、
「こ、これは、魔法の眠りか? どうでもいいが夢落ちが多過ぎる気がするぞ。……ぐぅ」
果たして目覚めると、というか夢の中で、目の前には魔術的な美しさをもつ青年が立っていた。
「これは夢だな。察するに、おまえが魔剣の精か?」
「なにも言っていないのに、話が早いというか、情緒がないというか」
「ふん、無駄は嫌いなんだ。無駄、無駄、無駄、無駄……」
「おや、ぶつぶつと、どうかしましたか?」
「おっと、いろいろ危ないところだった。いや、こっちの話だ。それで、魔剣なんぞが何の用だ? 眠りにつかせるなとでもいうのか?」
「魔剣なんぞって、ぞんざいな扱いだなぁ」
「ロッテほどじゃない。投げてよこしたからな」
「それでも、これまでの持ち主の中ではロッテが一番好きです。私はね、もともと人に仇なす魔物を斬り捨てるために作られた、いわば聖剣なのですよ。
それを歴代の持ち主は、やれ暗殺だ、やれ拷問だと悪用ばっかり。望みを叶え、されど不幸をもたらすなんて、私のせいじゃないのに。
作られた時には、私にも立派な名前があったんですよ。ねぇ、この千年近くの溜まりに溜まった愚痴を聞いてくださいよ」
「千年分の愚痴なんぞ聞いてられるか。何か用があって化けて出たんだろう? どうしたんだ?」
「化けて出たって、妖怪じゃないんだから。ロッテへの警告のために出てきたのです。単純な、じゃなくて、純真な人の夢にしか出られないので」
「ロッテの夢に出たらいいじゃないか」
「駄目なのです。ぐっすり眠りすぎて、夢の入る隙間がない。無理やり入っても、起きたらまったく覚えていないんです。あの子は」
「仕方ない。伝言してやるから話してみろ」
「ええ。いまの世の中には相応しくない存在であること、とこわかの国へ送り返してほしいことを伝えてください」
「いわゆるあの世か? どうすればいいんだ?」
カン!
肝心の話を聞こうとしたところで、カンと後頭部を殴られた。振り返ると、無表情なロッテが立っていた。その手にしたフライパンで殴ってきたらしい。
なにをしやがると怒鳴っても反応がない。ただの夢の産物らしかった。なんだ、本物じゃないのかと思い、放っておいて話を聞こうとするが、
カン! カン!
強烈な一撃を、何度も叩き込んでくる。
「やめんか!」
「いけない。現実世界でロッテが起こしに来たようです。いいですか。聖地で眠らせるよりも、あちらの世界へ送り還してほしい。その時が来れば、自ずとわかります。物惜みしないこと。大事なことを見極めて! それから……」
カン! カン!
頭を殴られるような強烈な音で目が覚めた。魔剣をテーブルに置いたまま眠ってしまったらしい。
「起きなさい!朝ごはんができたわよ」
「そうだ、起きるのだ!」
ロッテとエヴァと、二人して、フライパンをオタマでカンカンカンカン、楽しそうに叩いている。
「やかましい!」
「いやぁ、やってみたかったのよね。エヴァもやりたいって言うし」
「こっちの目覚めは最悪だ。えーと、なんだっけ? 何か伝えることがあったような。えーと、えーと。そうそう、いいか魔剣からの忠告だ」
「魔剣から?」
「うむ、夢の中に出て来てな。たしか、えーと、えーと、物惜しみしないこと!」
「物惜しみって?」
「えーと、ケチケチすんなってことだな」
「どういうこと?」
「さあな」
「あ、わかったわ。手入れ用の油を安いのに変えたから怒ってるのね。早速、いいのに買い直すわね」
「そうそう、たぶんそんな感じだ。おや?」
魔剣がテーブルから落ち、ため息が聞こえたような気がした。その日のうちに魔剣はロッテに返したが、刻まれた文字は何とか解読でき、そこには、
古ザクセン語で、救世主
と記されていた。




