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第26話 ターニングポイント後編


 竜に姿を変えたエヴァが暴走し、危うく食べられかけた僕を救ってくれたのは、ピサールでもルトでもなかった。


 気付くと、エヴァの鉤爪を逃れて地面に座り込んでおり、傍らには葬儀屋のように黒いスーツに黒いネクタイの若い男が立っていた。端正な顔立ちであるのに、張り付いたような笑顔が悪寒を誘う。


「ふふふ、うちの御客様に手を出してもらっては困りますね」


「お、おまえは」


「ええ、ええ、覚えていて下さり恐悦至極に御座います。あなたと契約を交わした四辻の悪魔、時にレグバと呼ばれたりもいたします」


「悪魔が人助けをするのか?」


「はっはっはっ、そんなわけがないでしょう。暇潰しをすることはありますがね。

 正直に申し上げますと、勝手に死んでもらっては困るのです。私と契約を交わし、それが本当に悪魔との契約であったと知って、長々と後悔しながらもがき苦しんで生きてもらってこそ、美味な魂になろうというもの。こんな竜もどきに殺されてしまってはつまらない。

 そもそも、あなたは底抜けの楽天家なのか、なかなか後悔したり悲しんだりしないようですが、これからに期待いたしましょう」


 はっはっはっ、と無機質な笑い声を響かせるレグバの顔をエヴァの尻尾が張り飛ばした。人間なら首がなくなっていただろう一撃を難なく耐えて、しかし、口の端にわずかな血を垂らしたレグバが細い目を見開いた。白目のないすべて真っ黒な、鋭い切れ長の目でエヴァを睨みつける。


「下等な竜もどきが!」


 怒りの声とともに右手を突き出す。合わせて、エヴァの周囲に黒い膜が出現した。その膜は、レグバが右手をぎゅっと握り締めるのと連動し、巨大な飛竜を覆い、ぎりぎりと締め上げて潰そうとする。


 だが、レグバの右手が燃え上がり、消し炭となって崩れ落ちた。無くなった手の先を不思議そうに見つめるレグバと、ふっと少女の姿に戻って気を失った様子のエヴァと、その間にピサールが立ちはだかる。

 顔中に汗を吹き出して苦しげな表情だが、めずらしく怒りのこもった目をしていた。大気が熱をもっているのか、周囲が陽炎のように揺らいでいる。足下の地面も、シューシューと音を立てて焦げていた。


「エヴァを元に戻してくれてありがとよ。少々、荒っぽいやり方だったがな」


「元に戻す? はっはっはっ、まだですよ。塵は塵へ、土は土へ戻して差し上げましょう」


 一歩踏み込んだレグバの体を青い炎が包み込むが、意に介する様子もない。燃え上がりながら悠々と歩を進め、ピサールの首を掴んで持ち上げてみせた。


「先ほどは急なことでやられてしまいましたが、何が来るかわかっていれば、この仮初めの体でも耐えられますよ。自分の力とは言え、不完全な代物ですね。続ければ、あなたが死にます。毒蜘蛛でも毒蛇でも、自分の毒で死ぬような間抜けはいませんが、あなたは違う。自分の力で死ぬことになるでしょう」


 はっはっはっと笑いかけたレグバの頭を光の矢が貫いた。レーザーのような光を放ったのはルトだ。ぐらりと揺れた背後から、今度はこの僕、呪われた十ポンド札を縫い込んだ手袋で腰の入ったストレート。だが、予想はしていたものの、


「はっはっはっ、御客様も御嬢様もお静かに」


と、まるで効果なしだ。


「不遜な竜もどきの少女と毒槍の名を冠した男と、この二人を始末したら帰りますから。そう焦らず、静かに待ちなさい」


 言い終えると、僕とルトの周囲に黒い膜が出現し、体を縛り付けられてしまった。


「さて、それでは」


 レグバが、ピサールの首を締め上げ始めた。ぎりぎりとゆっくり力を加えていく。真綿で首を絞めるとはこのことだ。そこへ、


 がちゃり、


と、ログハウスのドアを開けて、パジャマ姿の十代半ばの少女が出てきた。枕を脇に挟んで寝惚け眼のオイフェだ。状況が飲み込めないのか、目をこすりながら、


「んー? ルト様? ピサール? エヴァ?」


と周囲を見回し、レグバと目が合って、互いに軽く一礼する。そして、


「あなた、なにしてるの?」


「見ての通り、毒槍のピサールを殺しているところです。少しずつね」


 それを聞いたオイフェの表情がキッと引き締まった。普段のおっとりした雰囲気とのギャップが激しい。昇り始めた朝日が作る影から、巨大なハンマーを手にした巨人の腕が這い出してきた。


「ピサールを離して!」


「離したら殴られるじゃないですか」


「でも離して! 離さないとピサールごと殴っちゃうんだから!」


「むちゃくちゃ言ってますね……」


 あきれた様子のレグバに向かって、別の場所からも声が聞こえた。黒い膜に縛られたままのルトが、銃を真似た手を突き出す。その手は、赤く焼けたようになっている。


「ピサールを離しなさい。最大出力で撃ちます。あなたが何者であろうと、ただではすみませんよ」


 その指先が光り出し、ばちばちと音を立て始めた。光が収束する。


「まあお待ちを、ルト様」

 苦しげにしながらも、ピサールが声をかけて制する。「まだまだ。まだ、これからですぜ〜」


 グツグツとその周囲が煮えたつような。あたりに激しい熱と焦げ臭い匂いとが充満する。


「はっはっはっ、悪足掻きはやめたらどうですか。私には効きませんよ。自分が苦しむだけです」


「知ってるよ。俺は常に高熱に襲われているような状態さ。自分の毒で死ぬ毒蛇か。まさにそのとおり。いまも苦しくて苦しくて仕方ないぜ〜」


「なら、無駄なことはやめなさい」


「いーや、無駄じゃないねぇ。ほれ、御客様は大事にしないとなあ」


 レグバのそばで縛られて転がっていた僕のことだ。あたりの熱気に包まれて、死にそうになっていた。


「おっとしまった。私としたことが。柄にもなく熱くなっていましたね。たしかに御客様に迷惑かけちゃあいけません。仕方ない。あなたの機知に免じて退散しましょう。楽しませてもらいました」


 はっはっはっと笑い声を残して、レグバの姿が掻き消えた。その場に座り込むピサールと、逆に身を起こすエヴァの姿が見えた。

 まったく、助かったから良いようなものの、人質代わりに使いよって。ピサールに文句を言ってやろうと思ったが、エヴァとオイフェが飛びついていったのでやめておいた。


「ピサール! ごめんなさいなのだ」


「おう、エヴァ。おまえ大丈夫なのか」


「我は大丈夫! 途中から覚えているのだ。でも、体が言うことを聞かなくて」


 おいおいと泣くエヴァの頭をポンポンと叩く。


「もういいからよ。次からは、もう少し俺の言うことも聞け、な?」


「わかった。約束はできないけどわかったのだぁ〜」


「そこは約束しろよなぁ。まあいいけどよぉ〜。オイフェも、もう少し言うことを聞けよ、な?」


「えぇ〜? オイフェは、いつも素直な良い子だしぃ。気軽に頭ポンポンすんなだしぃ」


「わかった、わかった。尻拭い係は辛いぜ〜」


「自覚はあるんだな」と僕。


「自覚するしかねぇだろ。毎日、毎日、世話焼きも大変だぜ」


「エヴァとオイフェと、どんな関係なんだ?」


「こいつらはよぉ、呪われた力のせいで親にも捨てられてな。エヴァはネズミの姿で生きてたところをルト様が見抜いて助け出して、オイフェも眠り病のように目覚めずにいたところを拾ってきたんだ」


「おまえ自身は?」


「俺かい? 俺は、毎日40度ちょっとの高熱にうなされながら生きてんのさぁ。ちょ〜だるいぜ〜」


「ふぅん、苦労してんだな。ところで、もし、レグバが僕を見殺しにしたらどうするつもりだったんだ? 僕ごと殺る気だったのか」


「さあねぇ。へへっ」


「へへっ、じゃないでしょう」


 厳しい口調で、ルトが口を挟んできた。


「私たちのせいで迷惑をかけたのです。パンさん、すみませんでした」


「ああ、いや、気にすることはない」


「しかし、私達のことを多少とも知ってもらえたことと思います。決して悪いようにはしませんから、魔剣を渡していただければ幸いです。

 業を煮やしてボスが出てくるようなことがあれば……。いいですか、ボスは二十歳くらいの白髪の男です。灰色のトレンチコートに丸いサングラス、怪しさ満開で愛想よく話しかけてくるでしょう。話を聞く必要はありません。出会ったら、躊躇せず、全力で逃げてください。先ほどの悪魔以上に悪魔的な、容赦のない人物です」


 いいですね、警告しましたよ、と念を押された上でダブリンまで送り届けられた。そこで解放されたわけだが、急展開について行けず、軽く数時間は呆然と途方にくれたものだった。


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