第25話 ターニングポイント中編
伝説の紅い竜に掴まれたままアイリッシュ海を渡り、ダブリン郊外へ連れてこられた。
夜通し飛び続けたエヴァは、さすがに疲れたのだろう。日も昇らぬ朝まだき、どこぞの森の奥に降り立つと竜の姿のまま眠ってしまった。
どうしろというのだ?
わけもわからずエヴァの気まぐれで連れてこられ、そのまま放置とは。だがまあ、エヴァを叩き起こすのも忍びない。
周囲を見回すと、小さなログハウスがあった。エヴァが行き先を間違えていなければ、ピサールか誰かがいるのだろう。もしかしたら、ロッテの言う危険な男がいるかもしれないが、まあいい。どうせ、僕は魔剣を持ってはいないのだ。
そっとドアノブを回すと、鍵はかかってないらしく静かに開いた。戸口に立って中の様子をうかがう僕の耳に、
「どなたですか?」
と、柔らかく警戒するような女性の声が聞こえた。そこに居たのは、修道服に身を包んだルトだった。
その肌も髪も真っ黒で、白いベールと大きな目が際立って美しく、どこか浮世離れした黒い聖母のような雰囲気がある。
「あら、あなたは……」
と、ルトが驚いたようにいう。「パンさんでしたか。ブルターニュ以来ですね」
「これはどうも。ご無沙汰しております。……じゃなくて! どういうことです? ブルターニュの教会にいるはずのあなたが、なぜここに?」
「予想はついているでしょう?」
「ピサールの仲間か」
「そういうことです」
こくりと頷いてみせる。その様子を見ながら、そもそもピサールの仲間というのが何なのか疑問が湧いてきた。我ながら今さらな話だが、ルトは隠すことなく話してくれた。
「私達はドンヌの家と呼ばれています。呪われた力の持主同士で助け合う組織です。みなが力を制し、問題なく発揮できるように。例えば、オイフェには影、ピサールには熱、エヴァには変身、私には雷光」
「雷光?」
問いかけに頷いて、ルトが人差し指を立ててみせた。その指先が光り出して、ばちばちと音が響き、銃を撃つような仕草と同時に光が発射された。天井に当たった光が弾け、焦げた跡が残るが、よく見ると、ルトの指先も黒く焼け焦げて煙を出していた。
「抑え気味に使ったので、少し火傷した程度ですが、普通の人にない力は、その持主を傷つけます。最大出力を使えば、私は感電死するでしょうね。私達は、呪われた力を制して、きちんと発揮できるようにしたいのです。この力を制御できれば、私達は幸せになれる。呪いのような力ではなく、祝福を手に入れられると信じています」
「そのためにロッテの魔剣が欲しいのか?」
「そうです。あの剣は、人の魔力の流れを断ち、抑え、あるいは解放することができる」
「それだけ聞くと悪くなさそうだが、おまえたちのボスはどうなんだ。危険な男だと聞いたぞ」
「ボスは……」
口ごもるルトの代わりに、疲れたような声が聞こえてきた。
「ボスはボス、ルト様はルト様だぜ〜」
あくびをしながら、ピサールが姿を現した。相変わらず、間延びした声でだるそうに話す。
「やれやれ、エヴァの奴、結局、おまえを連れてきただけか。そんなこったろうと思ったがなあ」
「ピサールか。おまえもルトと同じ理由で魔剣を狙っているのか?」
「まあねぇ」
「あの剣で、おかしな力を制御できると? そうすれば幸せになれると?」
「さあて、どうかな」
「僕も呪われた身だが、どうということはないぞ」
「おまえみたいなのは特別だろ。怪しいポンド札を集めていると言っていたっけな。俺たちとは毛色が違うみたいだが、どういうことなのか話してみろよ」
「うむ、隠すような話じゃない。簡単に言うと、千ポンドで悪魔に魂を売り払ったのだ」
「はあ? なんだそりゃ。おまえ、バカなのか」
「そうだな。この件については否定しない。実際、バカだからな」
「悪魔ねぇ。そもそも、そんなもの本当にいるのか?」
「自分たちのことを棚に上げて、よく言うな。本物でも偽物でも悪魔でも天使でも神でもなんでもいい。とにかく自分を悪魔だという者と取り引きをして、魂を千ポンドで売る契約をしたということだ。
そいつは自分のことを四辻の悪魔と言っていたよ。まさか本物の悪魔とは思わず、冗談のつもりで約束したら、実際に千ポンドをもらってな。
世の中、あほなやつもいるもんだと思って良い気になって金を使っていたところが、もらった十ポンド札が燃えない、破れないとわかった。どうやら本物だったらしいと気付いた時には後の祭りだ。手元には、いくらも残っていなかった。
ただ、その契約相手は、魂と千ポンドでは見合わないから、ひとつ良い条件をやろうと言っていた。契約を破棄したければ、その千ポンドを返せばいいと。十ポンド札を百枚だ」
「それでポンド札を探していたのか」
「ご名答。なかなか回収するのは難しくてな」
「そりゃそうだろう。いったい何枚出回っていると思ってるんだ。そんなもの……」
あきれたような言葉を遮って、外から、ズズン! と大きな音が聞こえてきた。ピサールが眉をひそめる。
「なんだあの音は?」
「ああ、エヴァが寝返りでもしたんじゃないか。飛竜の姿のまま眠っていたからな」
「なんだと、そのまま寝ちまったのか!」
いつも気怠そうなピサールが声を上げるのと、
「ピサール!」
とルトが呼びかけるのと同時だった。表へ走り出たピサールの後を追って僕も外へ出る。竜の姿をしたエヴァが咆哮をあげ、尻尾を振り回していた。
「どうしたエヴァ? 怖い夢でも見たのか」
のんきに声をかけた僕の頭上に、巨大な尻尾が叩きつけられた。ぺちゃんこにされる寸前、滑り込んできたピサールに助けられる。
「バカ! ああなったら聞こえてないぞ。エヴァは長く変身し続けていると、そのものになって戻れなくなっちまうんだ。だから勝手に力を使うなと言っているんだよ。それなのに、くそっ!」
「どうするんだ?」
「ボスかロッテなら解除できるだろうが……」
と、僕を抱えたまま、エヴァが振り回す鉤爪や尻尾を避けて跳ねる。
「おまえを狙っているみたいだな。まだ意識の端に残っているんだろうよ。仕方ない。少々、痛い目をみてもらうか」
僕を背後に放り捨てて、エヴァと向かい合う。
「さあて、お目覚めコールといくぜ〜」
ピサールの周囲が揺らぎ、熱を持ち始めた。気合いとともに激しい炎が巻き起こり、紅い竜に向かって飛ぶ。ばちん! と平手打ちのように、炎の塊が竜の顔を弾いた。爆炎が巻き起こるが、紅い竜に変化はなく、グルルと唸りながら、こちらを睨みつけてきた。
「くっ、起きないか。変身が長過ぎたみたいだな。こうなったら……」
と言いかけたピサールが尻尾に跳ね飛ばされて宙を舞う。それに続けて、竜の咆哮が大気を揺らし、樹々を揺らした。
エヴァが僕の方へ近付いてくるが、体が震えて身動きが取れない。竜の鉤爪に鷲掴みにされ、大きく開いた口元へ運ばれていく。
「よ、よせ! エヴァ、僕なんて食べても美味しくないぞ」
そう呼びかけても反応がなく、飛竜の凶暴な顎と歯が迫ってきた。




