153.追憶-殺猿鬼-
最終章、開幕!
「結局、誰が医者でもよかったのだと思うね」
現代における最高医、シルガ・デッドはそう表現した。
ベッドに横たわる一人の青年。
口から差し込まれた管と、絶え間なく輸血されている血液。
まさしく重体の様相を視ながら、彼は言う。
「もはや、これ以上処置の施しようがない。この青年が運ばれてきて、ある程度調べたあたりから確信した。手の施しようがないのだと」
「…………」
シルガの言葉を、一人の少女が聞いている。
眠ったまま起きない兄を前に。
その手を握りしめたままの、義妹が聞いている。
「……聞いているのかね?」
「お前、空気を読むってことば、知らない」
その少女は振り向くことなく、静かに言った。
肌に突き刺さる様な怒気も、英傑の王に脅され続けたシルガにとっては慣れたもの。
彼は肩をすくめて病室を後にする。
病室に残ったのは、顔を俯かせた一人の少女。
ややしばらくして、シルガの出て行った扉から、一人の少女と一人の女性が姿を現す。
「つ、ツムさん……師匠の容体はどうっすか……?」
「……」
駒内カレンの言葉に、南雲紡は言葉を返さない。
……否、それは違うのかもしれない。
小さな少女の背中からは溢れんばかりの怒気がこぼれ続けている。
留まることを知らない、殺意の塊。
言葉を返す余裕がないのだ。
最愛の兄を傷つけられる。
家族を殺される。
それは少女にとって最大の禁忌。
「……不思議なもんだね、人外てのは」
「え、枝幸さん」
カレンと共に病室に来ていた、枝幸紗菜。
英傑の王は、幼き少女の背中を見つめて言葉を漏らす。
「巌人くんが存在を書き換え、異能を書き換え、人外から人の身に堕ちた。……それでも変わらないものがある。最強種たる鬼の血統。地球上最強としての遺伝子。……黒棺の王を、心底ビビらせたヤツの面影」
膨れ上がる、膨れ上がる。
ただそこに座っているだけ。
何もしていないはずなのに。
見る見るうちに、存在感が跳ね上がる。
端的に言うと――成長している。
鍛錬でなく、憎悪による成長。
人間では絶対にあり得ぬ、異次元的変化。
進化とも呼べる、一種の神秘。
それを目の当たりにして、英傑の王は理解する。
なぜ、最強たる黒棺の王が、酒呑童子を畏怖したか。
「……兄さんの敵は、必ず殺す」
少女は、静かに宣言する。
直感していた。
もう間もなく、決戦の日は訪れる、と。
「……あっ、そういえば!」
重苦しい空気が漂う中。
英傑の王は、何かを思い出したように声を上げた。
あまりにも能天気な声に、紡ですら思わず振り返る。
その視線の先で、枝幸紗奈はタブレットを取り出した。
「実はね、ボクもそのクソ爺をぶっ殺したくて、色々と過去のこと――正確に言うと防壁が出来上がった時代について調べてたんだけどさー。……面白いものが見つかったんだよ」
「ちょ、ちょっと紗奈さん! いきなり何を言――」
空気を読んでほしいっす! とカレンが抗議の声を上げる。
だが、紗奈の持っていたタブレットの画面をのぞき込み、声が消えた。
「そ、……それ、なんなんすか?」
「え? そりゃもちろん――異能が発現した当時の映像だよ」
それは、すでに失われた過去のデータ。
英傑の王たる彼女が、悪の道にすら手を伸ばし、文字通り、手段を択ばずに探し求めた過去の手がかり。今の状況を打破すべき希望の糸。
「ほら、見てごらん、紡ちゃん」
そして、枝幸紗奈はタブレットを少女へ向ける。
紡はカレン同様、そのタブレットの画面を見て――目を見開いた。
――だってそこには、黒髪の人間しかいなかったのだから。
「……髪の色は、異能の発現と共に変化した。これまではそういう風に語られてきたし、事実、それに異を唱える研究者もいなかった」
だけど、違った。
黒髪の人々が異能を使う時代が在った。
それは、言葉に表せばそれだけのこと。
大したことではない。
だが、少しだけ視方を変えれば……また変わった憶測ができる。
「今じゃ普通なんだろうけどさ。髪の色が白かったり、赤かったり、青かったり。そういうのは当時の人たちからしたら――まるで【病気】のように感じたんだろうね」
現代の当然と相反する、過去の常識。
まるで病気のような髪の色。
そして相次ぐ異能力者の突然死。
曖昧で、繋がりそうで繋がらない二つの事柄。
それに対し、英傑の王は疑念を抱く。
「異能の発現が髪の変色に直接関わり無いのなら……一体、どうして黒髪の異能力者は消えたんだろうね」
☆☆☆
時間は少し遡り。
「記録盤は、史上最高性能の、それこそ現代まで網羅した歴史書です」
ロンドンの時計塔、最深部。
魔術師アイはそう言った。
「現在、過去、未来。それらを見透かす千里眼があったと、かつての伝説に残っています。……その実在がどうであれ、この記録盤は【現在】と【過去】のすべてを記録し、使用者へと還元するもの、と考えてください」
その言葉に、一同は絶句した。
武力としての脅威はさほどではない。
それはアイ個人の戦闘能力だけだから。
……最終手段として、記録盤が保有する全エネルギーの暴走――星ごと飲み込む【自爆】は可能性としてあり得るが、それこそ人類滅亡どころの話ではなくなるだろう。
だがしかし、それを差し引いても余りある有用性。
「……本当に、貴方は全知だというのですね」
「いいえ、未来は知りません。ただ、膨大な過去のデータから極めて可能性の高い未来予測はできますが」
とはいっても、あくまでも予測。
頼りきりにされると困ります――と。アイは言った。
彼女は近くに椅子に座ると、指を鳴らす。
途端、何もない空間から人数分の椅子が現れ、一同はまたも驚く。
「どうぞ、おかけください。長い話になりますので」
「……はあ」
改めて魔法・魔術というモノの存在を確認しながら、彼女らは勧められたとおりに席に着く。
「前提としての説明は済んだものとして……これより語るは私たちの敵――南雲巌人を戦闘不能に追いやった人物であり、彼が率いる団体であり、その成り立ちとなります」
「……ッ!? そ、そんなことも知れんのか……!」
可能性としては考えていた。
全知ならば敵の正体だって知っているはず、と。
――その通りだった。
知っていて当たり前。
それが記録盤。記録することにすべてのリソースを費やした記録全振り歴史本。
過去に実在した事象において、知らぬことは一つとしてない。
ゆえに、語れる。
敵が何者であるのか。
そして、どういうつもりで――今に至るのか。
その、全てを。
「まず初めに、南雲巌人を倒した男の名をお教えしましょう」
そして、彼女は語った。
あまりにも救えない、一人の人殺しの話を。
☆☆☆
男は――白河言外は一般家庭の生まれだった。
平凡な容姿、平凡な運動能力。
ただ一点、頭脳に関しては非常に明晰で、おそらくは当時の日本においては頭一つとびぬけたほどには優秀であっただろう。
「てめぇ、キモいんだよ!」
されど男は、弱かった。
殴られ、口の中に血の味が広がる。
口元をぬぐいながら顔を上げると、数人の同級生が立っている。
「おいガリ勉野郎。テメェを見てると気分がわりぃんだ、どう責任取ってくれる?」
当時はまだ、学生時代。
今でいう、いじめ――と呼ばれるようなものだった。
特に理由は無かったと思うし、虐めた側からも一度たりとも伝えられなかった。
だから、なんとなく、だったんだろう。
たまたま目について。
たまたま頭がよくて。
それが気に喰わないと、理由付けしているだけ。
なんてことはない。
ただ、他者を蔑むことで自分はえらいのだと思いたいのだ。
「おい! なんとか言ったらどうだ! クソ眼鏡野郎!」
クラス中から、こそこそと笑い声がする。
白河はそれらを見渡し、立ち上がる。
その目には一切の感情が映っておらず。
それがまた気にくわなかったのか、白河はさらなる暴力に晒された。
――その、一週間後。
クラスの全員が、原因不明の突然死を遂げた。
「――なんという、劣悪。なんたる醜悪」
少年は思う。
幼いながら、思ってしまう。
人間という生物の醜さに。
形容しがたい――気持ちの悪さに。
こんなものに友情等抱かない。
まして劣情なんてもってのほかだ。
「同世代は当然のこと――大人も、両親でさえも、気味が悪い」
まるで、自分とは別の存在のようにすら感じた。
サルの群れの中にたった一人で放り出されたような。
疎外感……ではないな。
純粋な、気分の悪さ。
賢過ぎたが故の、不快感。
ローカルの新聞に載った、学童集団死亡事件。
その新聞に視線を落としながら、少年、白河言外は思う。
所詮は猿だ。
三十人程度なら片手間で殺せた。
ならば――この星には、一体どれだけの猿が居るのだろうか?
そこまで考えて、彼は笑う。
通常ならば考えたところで一笑に伏すような、ばかげた思考。
それを彼の頭脳は、『可能である』と一蹴してしまった。
そして、そこから歯車は狂い始める。
齢、11歳の小さな子供。
彼の殺人から、全ての悪夢は始まった。
作中で最もぶっ飛んだイカレポンチ。