1-7
軍将兼領主のオレリアスは、再び南へ急いでいた。
呼びに来た兵の報告によれば、ちょうど結界士ヒューが「変な感じがした。」と言っていた場所で、魔獣が侵入していたらしい。だが、魔獣はすでに息絶えていて、結界も元通りになっている。オレリアスが呼ばれたのは、「一度現場を見ておいた方がいい。」という、兵長ゴドウィンの判断からだった。
「通してくれ。」
オレリアスが、野次馬をかき分けて入ってみると、そこには魔獣の死体が三匹転がっていた。どれも中型のビンデラ。すべて喉元が大きく切り裂かれていて、大量の出血で死んでいる。
その向こうの障壁が、大きく壊されているところを見ると、たぶん、ここから魔獣が侵入したのだろう。そして、侵入した後、喉元を裂かれて死んだようだ。この先の民家にまで侵入されなかったのは、不幸中の幸いだったのかもしれない。
「よく、ここで食い止めたな。」
オレリアスが呟くと、後ろから、
「我々ではありません。」
と、ゴドウィンの声がした。
見ると、ゴドウィンの後ろに、中年の農夫が立っている。
「彼が?」
オレリアスが問うと、ゴドウィンは首を振った。
「いえ、彼は目撃者です。」
すると、農夫は、何かを思い出して身震いをした。何か、恐ろしいものでも見てしまったのか。農夫は、ぎゅっと両手を握りしめて自分を奮い立たせると、そのときの状況を話し始めた。
「あの時、私は、農道のわき道で昼寝をしてしまっていて、警報に気づいていませんでした。目を覚ますと誰もいなくて、それで、慌てて避難所に逃げようとしたんです。でも、突然、バンという音がして、結界柱が跳ね上がって……。」
結界柱とは、小さな結界石をつけた、三十センチほどの木の棒だ。この結界柱は、領礎結界石の力を伝える働きをしていて、普段は、障壁の領地側の生垣の中に刺し込まれている。
「そしたら、いきなり突風が吹いて、私は吹き飛ばされたんです。」
農夫が指差した五、六メートル後方の麦畑では、彼の大きさ分の穂がつぶされてしまっている。
つまり、彼は運悪く、結界が壊れたところに居合わせてしまい、魔風にあおられて麦畑に落ちてしまったのだ。
「意識はあったんです。でも、しばらく動けなくて。そしたら、ドカッと壁が壊れて、そこから魔獣がやってきたんです。私は食われてしまうって心底怖くって。見つからないように息を殺して小さくなっていました。でも、そこに、見知らぬ男がやってきて……。」
「見知らぬ男?」
「ええ。その男が、魔獣を三匹、一瞬で切って倒したんです。」
「一瞬で?」
「ええ、目にも留まらぬ速さでした。後ろ姿でしたが、たぶん、ウテリア領で見た事がない男です。男は、細身で、背は中くらい、異領地風の服を着ていました。」
「……。」
「その後、その男は、しばらく外界を眺めたまま立っていて、もしかしたら、また魔獣が来るんじゃないかって、私は震えていたんですが、どうやら何も来なかったようで、それから男は、結界柱を拾い上げて、そこに刺し込んで、そのまま、東の方へ走っていってしまいました。」
「……そうか。」
オレリアスは唸った。
彼の証言によれば、これをやったのはウテリア領民ではない。
しかも、この男は、結界が破れた現場に都合よく現れ、来た道を戻って帰ったらしい。何かを思い出して戻ってきたにしても、通りすがりというには、あまりにも不可解だ。それに、その男の手際のよさは並ではない。たった一人で三匹。それも一瞬で、急所を一撃。魔獣の傷を見るだけでも、この男が生半可な腕ではないことがわかる。
「それで、その男は、見つかったのか? 領主として礼が言いたいのだが……。」
オレリアスが視線を戻すと、ゴドウィンは、難しい顔で首を振った。
「いいえ、どこにも。宿屋にはすべて当たってみましたが、見つかっていません。今、人相書きを書かせていますが、皆、避難していた時間ですから、あまり期待をしない方がいいかもしれません。」
「そうか、分かった。急ぎの旅人か何かだろう。たぶんもう、ウテリア領にはいまい。男の捜索は、適当に切り上げてくれ。」
「分かりました。」
そのとき、結界士長ヒューの後ろ姿が目に入った。ヒューは差し込まれた結界柱をじっと見つめている。我々には分からないが、何か感じるところがあるのかもしれない。
「どうした? ヒュー」
声をかけると、ヒューが振り返った。
「ん? あのさ~、これって、元々ここに刺してあったんだっけ?」
そんなこと言われても、結界柱なんて何百本もある。いちいち、その一つ一つの場所まで覚えてはいない。
オレリアスがゴドウィンの顔を見ると、ゴドウィンも目撃者である農夫も「知らない。」と首を振った。
「何か重要な事なのか?」
「ううん、全然。なんとなく気になっただけ。」
「……そうか。」
「あ、そうだ。この魔獣を倒した男が見つかったらさ~、俺にも教えてよ。聞いてみたいことがあるからさ~。」
「あまり期待しない方がいいぞ。」
「うん、さっき聞いてたから、知ってる~。」
その後、オレリアスは、男が行き来したという道を通って、詰め所へ向かった。
夕暮れの強い光に照らされて、街道が遠くに見えてくる。たぶん、あの街道から、その男はウテリア領を出ていったのだ。昼間、ここにいたのなら、今頃、隣の領地の宿屋にでも泊まっている頃だ。
(細身の男か……。)
ため息が出て、オレリアスは苦笑した。
領主として礼が言いたい。そう言いながら、オレリアスは、自分の中の純粋な闘争心に気がついていた。オレリアスは、長い事、相手に足る剣士に巡り合っていない。王都に行けば、もっとたくさんの剣士に出会えるのだろうが、今は、こういう立場だ。この先ずっと、それが叶うとも思えない。
(会ってみたかったな……。)
オレリアスは、残念な気持ちを振り払って、足を速めた。
これから一週間が正念場だ。結婚式の準備や領内の警備など、やらなければならないことが沢山ある。