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 一時間後。

 クイは、すでにやしろの中にいた。

 薄暗い社に一人きり、特に何もすることがない。

 外にもう緊迫した空気はなく、兵たちが片づけをし始めていたから、もう魔獣は追い払ったのだろう。そうなると、クイがここにいる必要もないのだが、あの軍将を待つべきか、それとも、一人で館に戻っているべきか、その判断がつかなかったので、クイはしばらく、ここで軍将を待つことにした。

(あ~あ、たいして面白くもなかったな。)

 ひざを抱えてぼんやりと待っていると、いろいろなことが頭をよぎる。

 例えば、先ほど直しに行った結界のこと。

 案の定、結界柱は、魔風にあおられて吹っ飛んでいた。クイが到着したときには、すでに障壁が破られていて、中型の魔獣が三匹、領地内にまで入り込んでしまっていた。

 だが、クイは、それを見て、がっかりした。魔獣は、どこにでもいるようなダチョウ型のビンデラだったし、数も、たった三匹しかいない。できる事なら、もっと大型の魔獣とか、もう少し強そうなのとか、この辺でしか見れらないような珍しいのとか、そういったものと戦いたかったのに、その場にはビンデラ三匹しかいなかったのだ。

 クイは、それらを倒した後も、未練がましく魔獣の襲来を待ってみた。

 が、結局、それらしい影は見つからず、クイは仕方なく、結界柱をあるべき場所に刺し直して、また、ここに戻ってきたのだった。

(あ~あ、つまんない。)

 だが、そんなことよりも、クイには考えておかなければならない事があった。

 領主を追い出す計画。

 もともと、あれは、行き当たりばったりな計画だった。

 ウテリア領の様子が分からないので、(臨機応変に対応すればいいや。)ぐらいに軽く考えていたのだが、予想以上に、ウテリア領軍が強すぎた。軍将の強さも桁違いだし、集団としてもあなどれない。あれほどの強さを持つ領軍を、クイ一人ひとりで何とかできるとも思えない。

(さて、どうしよう。)

 ウテリア領軍はカッコよかったし、できれば、戦友として一緒に戦いたい。

 では、領軍と争わずに、どうにかウテリア領を手に入れる方法はないものか。

 悩んだ末、クイは、まず領民を味方につけることにした。けなげな女性を演じていれば、領民はクイに同情的になるし、結界を直してウテリア領に貢献すれば、領民はクイの行動に甘くなる。

 そして同時に、コソコソしているオタクな領主を見つけ出し、ギュッと締め上げればいい。領主を言いなりにすれば、クイは、影の支配者として、ウテリア領の実権を握る事ができるし、もし、領民たちが、クイの正体に気づいたとしても、領民は皆クイの味方だ。領主は元々ダメ人間だから、「領主がクイの尻に敷かれている」程度にしか感じないことだろう。

(でもな~。)

 この計画には、気が進まない点が二点ある。

 一つは、当初の計画と違って、領主を追い出す事ができないという点だ。戸籍上でも、夫ができるのは邪魔臭い。

 そして、もう一点は、けなげな女性を演じなければならないという点だ。実はこれが一番厄介で、今までそれができなかったから、クイはここに嫁がされたのだ。それを、今さらやらなければならないなんて。正直、何日もつか分からない。

(……ま、いいや。)

 気が乗らなくても、他に選べる方法がない。

(よし! すべきことは三つ! 領主に従順で、しおらしい女性を演じること。結界の修理に全力を尽くすこと。そして、こそこそしている領主をふんづかまえて、私の家来にすること!!)

 すべきことが決まれば、あとは実行に移すだけだ。

 しかし、心のどこかがモヤモヤしている。

(何だろ、この気持ち。)


 そのとき、

カン、カン。

と、何かが近づいてくる音がした。

 はっとして振り返ると、出入り口の向こうから、木がきしむ音がする。これは、誰かが、階段を上ってきている音だ。それにこの金属音。これは、剣の鞘と留め具とがあたる音。

(あの軍将だ!)

 クイは、直感でそう確信した。

 すると、心臓の鼓動が、自分の意思とは無関係に早くなる。なぜか息が苦しい。体中の筋肉がこわばって、何をどうしていいのか分からない。

 クイが扉を見つめていると、

「クイ姫、いるかい?」

と軍将の声がした。

 やっぱりあの軍将だ。

 けれど、声を聞いた途端、心臓が飛び出しそうなほど驚いた。ついさっき、あの軍将だと確信していたのに、どうしてこんなに驚いたのだろう。

 クイが何も答えられないでいると、

「入るよ。」

という声がした。

(わわわ。)

 戸惑ったままのクイの目の前で、扉がゆっくりと開きはじめる。

 すると、薄暗かった部屋に、外の明るい光が差し込んできた。目を細めて見上げた先に、逆光の軍将がいる。

「大丈夫だったかい? 怖い思いをさせたね。」

 軍将は、クイのそばまで来ると、ひざを折って目の高さを合わせた。軍将の後方で、扉が勝手に閉まる。すると、室内は、元の薄暗さに戻って、クイはゆっくり目を開けた。

「……。」

 ここにいるのは、軍将と自分だけだ。

 狭い狭い社に、軍将と自分の二人きり。

 軍将からは、ふわっと石鹸の香りがした。よく見ると、軍将の髪はしっとりと濡れていて、服装も前と違う。さっきはきちんとした礼装をしていたのに、今はラフな普段着だ。だからか、印象が違って見えた。彼の柔らかい笑顔は、親密さが増して見えたし、ゆるく開いた襟元からは、筋肉質の胸元まで覗き見える。

「迎えが遅くなってすまなかったね。」

 本当に遅くてつまらない思いをしていたはずなのに、それを表現する言葉が出てこない。

「……。」

「魔獣は追い払ったよ。ありがとう。君のお陰だ。」

「……。」

 何の返事もできず、しばらく沈黙が続いた後、クイはようやく、軍将の言葉を理解してハッとした。

(あれ? 今、ほめられなかった?)

 クイが驚くと、軍将も驚いた顔をした。

(そうだ、今、ほめてもらった。生まれて初めて、結界士として、ほめられた!)

 その事実に気づくと、クイは思わず息を吸い込んだ。

 なぜか目頭が熱くなる。

「……わ、私。」

 涙がこぼれそうになって、クイは慌てて両手で顔を覆った。下を向くと、ぽろぽろと涙のしずくが落ちていく。まさか、自分が泣いている? なんで泣いているのかもわからないのに?

 先走る感情を追いかけて、次第に理解が追いついてくる。

(……ああ、そうか。……私、結界士として初めて役に立てたんだ。)

 上級結界士の名家に生まれ、上級結界士であることを望まれた幼少期。

 当然のように優秀な兄弟たちに囲まれて、クイはいつも、激しい劣等感に苛まれていた。あの家で、下級結界士は結界士とは認められない。それを繰り返し繰り返し思い知ったクイは、いつの間にか、結界士であるという自覚すら見失ってしまっていた。

 けれど、それが、今になって、初めて役に立つことができた。

 誰かの役に立って、初めて褒めてもらえた。

 その事実に、劣等感が洗われていく。

「……う、うう。」

 すると、軍将の手が、クイの肩に触れた。

「すまない。怖かったんだね。」

 そう言われて、クイは大きく首を振った。

「いいえ、違うんです。私、……嬉しくて。……お役に立てたことが嬉しくて。」

 その言葉に、軍将の声は震えた。

「ああ、何て事だ。」

 軍将が、クイの背に手を回し、そっとクイを抱きしめる。

 そのぬくもりが、クイにはとても心地よかった。

「それほどまでに、ウテリア領の事を……。」


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