8-2
遠くで、ウテリア領軍の声が近づいてきている。
戦うのか、引き上げるのか。
命令を求める部下の視線が、マーティンに集まってくる。その視線に応えて、マーティンは、
「王都へ帰るぞ!」
と命じた。領軍が来る前にここを引き払う。そう指示すると、部下の顔に安堵の色が見えた。彼らもまた、マーティンを信じながら、もしかしたら本当に領軍と争うことになるのではと、大事になることを恐れていたのだ。
(……まったく。)
ヨシュアの説得に応じたと思われるのも癪だったが、ヨシュアの縄をほどいた部下の罪は不問にしてやらなければなるまい。
ちらりと後ろを見ると、クイの応急手当を終えたヨシュアが、何か言いたげにこちらを見ている。
「何だ?」
問うと、ヨシュアは、薬を飲んでウトウトしているクイに視線を落として、
「連れて帰りますか?」
と言った。
「は? バカか。クイを返さずに、オレリアスが納得する訳がないだろう。」
すると、ヨシュアは、真顔で、
「やってできないことはありません。」
と、答えた。
普段マーティンを説教する立場のヨシュアが、何て事を言い出すのだろう。「できる」「できない」ではなく、「できないことはない」と言ったのだ。たぶん、ヨシュアの頭の中では、大量の人間が死ぬことになっているだろう。
「俺が、お前を諫めることになるとは、思いもしなかったよ。」
マーティンがため息交じりに言うと、ヨシュアは、至極真面目に、
「私も、隊長がまともなことを言うようになるとは、思いもしませんでした。」
と言い返してきた。
実際、ヨシュアは、さっきまでのマーティンに見切りをつけて、クイを逃がそうとしたのだ。そのマーティンが、今はヨシュアを諫めようとするなんて。
「もし、その変化がクイに起因するのなら、私は、領地をひとつふたつ潰してでも、連れて帰る価値はあると思っています。」
ああ、こいつは。
そうやって、クイを人質にでもするつもりか。
「黙れ。」
マーティンが凄むと、ヨシュアは、恭しく頭を下げた。
「出過ぎたことを申しました。では、クイは、ウテリア領主の元に返してまいります。」
いつも出過ぎた苦言ばかりを言うくせに。
「でも、お忘れにならないでください、隊長。私は、隊長の忠実な部下です。あなたが上を目指す限り、私は、私のすべてで、あなたを国王軍軍将にして差し上げましょう。」
そう、上を目指さなくなった時が、縁の切れ目だ。
「知っているよ。」
最初からそういう約束だった。
マーティンは、もう一度クイに視線を落とすと、それ以上何も言わず、王都へ向かって歩き出した。
きっとまた、ウテリア領に戻ってくる。
願わくば、その日が、胸を張って故郷に凱旋できる日だと信じて。




