7-1
七日目
結婚式当日ではあるが、まだ日が昇る前。
クイは、風の音に目を覚ました。
夜空には月が浮かび、窓に吹き付ける風が、カタカタと音を立てている。
クイは、布団のぬくもりにまどろみながら、聴覚だけは遮ることができずに、
(う~ん。)
と、寝返りをした。
風の音が、やけにうるさい。
耳障りな音が、クイの眠りを妨げている。
けれど、そのうち、クイは、
(あれ?)
と、あることに気が付いた。
窓を叩く音の中に、時々、トントンと規則正しい音が混ざっている。
(風じゃない!)
クイは、バッと身を起こすと、音のする方向を見た。
薄暗いバルコニー。
そのガラス窓の向こう側に、何か黒いものがある。
(……ま、まさか……。)
クイは、一気に目が覚めた。
(よ、よよよ、夜這いだぁ~!!)
クイは、とび起きると、枕元においてあった愛用の剣をつかんでベッドの陰に身を隠した。
(き、ききき、来た! 本当に来た!!)
クイが姿を隠しても、トントンとクイを呼ぶ音は続いている。
(あわわわ。)
クイは、ガタガタと震えた。
(どどど、どうしよう。)
何をどうしていいのか、分からない。
(だ、誰か~、助けて~。)
ここでクイは、昨日は大勢いた護衛たちが、いつの間にか、いなくなっていることに気が付いた。
実際は、昨日の午前中から、護衛が激減していたのだが、そのころのクイは死人のような心境だったので、あまり記憶が残っていない。
(そ、そそそ、そういえば、護衛の兵たちがいない!)
それは何を意味するのか。
(え? え?)
もしかしたら、お祭りに前夜祭があるように、初夜にも「前夜祭」的なものがあるのかもしれない。
(え!? えええ!)
ウテリア領の風習なんて、誰も教えてくれなかった!
(ま、ままま、まさか!?)
知らぬ間に、夜這い解禁のゴングが鳴っていたなんて!
そのとき、
バン!
と、窓を蹴破る音がした。
先ほどまで辛抱強くクイを呼び続けていた人影が、とうとう業を煮やして、力技に出たらしい。
(あわあわあわ。)
蝶番が外れた窓から、夜風が部屋の中に入りこむ。
そして、黒い人影も、壊れた窓をギイと押し開けて入ってきた。
月の光を背にしたその人影は、本当に真っ黒なシルエットだった。
(あれ?)
クイは、ハッとした。
この体格。
(オレリアスじゃない!!)
クイは、迷わず剣を抜いた。
すばやく退路になりそうな窓を目で確認し、クイは、半歩退いて剣を構える。
たぶん、この男は、会ったことのない男だ。
(この野郎!)
一瞬で闘争本能に火が付いた。
「夜這い魔め! 貴様のようなヤツは、このクイが天罰を与えてやる!!」
すると、男は、
「誰が夜這い魔だ! 馬鹿者め!!」
と言い返してきた。
この声。
やはり、聞き覚えがない。
(? 誰だ、こいつ。)
徐々に目が慣れてくると、男が、長いマントのようなものを羽織っていることが分かった。入ってきた時の音から、マントの下に剣を隠し持っているようだが、それ以外の武器までは分からない。
すると、男は、マントの留め具に手をかけた。
「見ろ。」
何を?
クイが警戒して身構えると、男は、そのマントを足元にストンと脱ぎ捨てた。
「?」
中に、白い軍服を着ている。
腰に下げた一本の剣は、細い長剣で、領地ではあまり見かけない形だった。たぶん、対人用の剣なのだろう。
そして、胸の刺繍は、国花と剣をモチーフにした国王軍の紋章。
「……え? 国王軍?」
「その通りだ。」
戸惑うクイに、男は、
「私は、国王軍兵長マーティンだ。」
と名乗った。
「え?」
完全に知らない人。
国王軍に知り合いなどいない。
「そ、そのマーティンさんが、何の用?」
クイが問いかけると、マーティンは、
「遅くなったが、お前を助けに来てやった。」
と答えた。
「助け?」
助けなど必要ない。
けれど、この男が、国王軍の兵長であることだけは確かなようだった。マーティンの胸の紋章の下には、輝石で作った勲章が縫い付けられている。それが許されているのは、国王軍の中でも五人だけだ。それは、国王軍の長たる軍将と、その次の位にある四人の兵長だけだった。
ちなみに、兵長といっても、領軍の兵長とは別物だ。領軍は、その領地を守るためだけにあるが、国王軍は、広大な王国全体を守るためにある。それゆえ、国王軍は、領軍と違って、全領地へ介入できる権限を持っていて、国防のみならず、国全体の保安をも担っていた。
マーティンは、部屋を見回すと、
「ふう、暑苦しい。」
と、首元を緩めた。
「お前のために正装までしてやったんだ。感謝するんだな。」
マーティンはそう、押し付けがましく言うと、クイに背を向けてソファに向かった。そこには、クイのために用意されたお茶が置かれていて、マーティンは、それを勝手に注いで二杯飲み干すと、壁際のソファに腰を下して大仰に足を組んだ。
「あと五分で荷物をまとめろ。」
「あ、あの、訳が分からないのですが……。」
なんとなく敬語にさせられてしまっているクイに、マーティンは、さらに上から、
「ああ、説明が面倒くさい。これを読め!」
と、一通の手紙を投げ捨てた。
「あ、はい。」
クイは、それを拾い上げてから、しわを伸ばし、窓側の光を拾って目を凝らした。
見たことがある字だ。
クイは、差出人を見て、慌てて中を取り出した。
「イト兄さん?!」
------国王軍兵長マーティン様。
突然の手紙をお許しください。
私は、アムイリア領の結界士イト・ルルトと申します。このような不躾な手紙を差し上げたのは、あなた様の故郷ウテリア領へ嫁ぐことになりました、妹クイのことで、お願いがあったからなのです。
実は、クイは、結界士としての才能がほとんどありません。それどころか、外界を遊び場にする変わり者で、ウテリア領の方々が期待しているような上級結界士ではありません。もちろん、そのことをウテリア領主オレリアス様にお知らせするのが本来あるべき道理なのですが、他の姉妹たちの結婚の妨げになると、父ドレイクがそれを認めてくれないのです。
そこで、マーティン様、お願いでございます。
国王軍兵長として、この結婚を止めていただけないでしょうか。
国王軍の意向ならば父も逆らう事ができません。それに、国王軍の要望ならば新たな結界士を送ることもできるでしょう。
どうか、マーティン様。
あなた様のお力で、ウテリア領とルルト家をお助けください。
イト・ルルト------
(うわわわ。)
読み終えて、クイは、自分がどれほど兄イトに心配をかけていたのかを知った。
(ごめん、兄さん。)
兄イトは、ほとんど父に逆らったことのない人だったが、それでも家族を大切に思う心の優しい人だった。
「わかったら、荷物をまとめろ! 日の出までにウテリア領を出るぞ!」
高圧的なマーティンの命令に、クイはおろおろした。
今の状況を、どこから説明していいのか分からない。
すると、マーティンは、大きくため息をついた。
「本当はな、もっと早く来てやるつもりだったんだ。だが、お前の護衛が多すぎて、なかなかお前に近づけなかった。」
「……。」
「急がせて悪いが、今すぐ、腹を決めろ。恨むなら、外界を荒らしていたとかいう、細身の男を恨むんだな。」
「……細身の男?」
外界を荒らしていた細身の男。
どこかで聞いたようなフレーズに、クイは凍りついた。
(う、うわあ、私だ!!)
クイが動揺していると、
「それで、そいつは、捕まったのか?」
と、マーティンが訊いてきた。
「あわわわ。」
「? そうか、お前には教えなかったのか。」
「いや、その~。」
「別に、お前が気にすることでもない。」
「い、いや、あの~。」
「名家から結界士が来ると分かれば、誘拐して売り飛ばそうとする輩が、必ず現れる。」
マーティンは、ソファのひじ掛けに頬杖を付くと、
「まったくこの世はつくづく腐っている。」
と、吐き捨てるように言った。
(あわわ……。)
もう、どこをどう訂正すればいいのか分からない。
「それより、早く荷物をまとめろ!」
怒鳴られて、クイはようやく、
「……あ、あの。私、ここに残りたいです。」
と切り出せた。
「は?」
「あの~、オレリアスが……。」
「オレリアスには、俺から話をつける。」
「いや、そうじゃなくて。」
「? 何が言いたい?!」
「……私、オレリアスと結婚したいな~って思って。」
「は?!」
「その、オレリアスはもう全部知ってて、私が上級結界士でないことも、父に騙されていたことも、全部分かった上で、「俺と結婚してくれないか?」「俺は、お前がいいんだよ。」って言ってくれて……。」
オレリアスの声マネをすると、本物の声が耳の中で蘇ってくる。
「……ああ、もう、いやん、恥ずかしいっ。」
「は?」
マーティンは、信じられないといった顔で固まっている。
が、状況をだいたい理解すると、今度は強い口調で、
「気でも違ったか、オレリアス!」
と言い放った。
「うが。」
ひどい、ひどすぎる。しくしく。
「じゃあ、何か? オレリアスは、お前がヘボ結界士であることも、「魔獣乗りのクイ」と呼ばれていることも知っていて、お前にプロポーズしたというのか?!」
「ううう。」
一体どこで、その異名を知ったのだろう。
でも、本当に求婚してくれたのだ。
「そ、そうです! プロポーズしてくれましたっ!」
「お前の妄想ではないのか?」
「違います!」
「じゃあ、オレリアスは、お前のどこを気に入ったんだ?」
「え? え? え?」
一通り悩んで、クイは、ガックリと力尽きた。
「……すみません、分かりません。でも、オレリアスがどう思っていようと、私は、オレリアス好きです。もし、オレリアスのプロポーズが一時の気の迷いであったとしても、オレリアスに直接出て行けと言われるまでは、私はここにいます。絶対にウテリア領を出ません。……だから、その、あなたと一緒に行くことはできません!」
きっぱり拒絶すると、マーティンは、しばらく口を閉ざした。
静かな時が流れて、雲が少しずつ薄くなる。次第に窓から差し込む月明かりが強くなって、部屋の家財道具がぼんやりと見えるようになってくる。すると、マーティンは、ようやく静かな声で言った。
「では、俺は無駄足を踏まされたことになるんだな?」
苛立ちを含んだ声。
クイは、ひ~っと身を縮ませた。
「そ、その辺は、た、大変、申し訳なく……。」
「ここに座れ!」
厳しい声が飛んで来て、クイは、
「は、はいっ!」
と、命じられるまま、向かいのソファに腰掛けた。
「ご、ごめんなさい!」
座ってすぐ、膝頭に頭を擦り付けて謝る。
すると、マーティンは、静かな声で、
「こっちを見ろ。」
と言ってきた。
(ひ~、怖いっ。)
クイは、恐る恐るマーティンの顔色を見た。
テーブルを挟んだ向こう側には、腕組みをしているマーティンがいる。
(ん? んん?)
こんな状況で不謹慎かもしれないが、マーティンという男は、すさまじいほどの美丈夫だった。目鼻立ちの整った顔に、金色の髪、濃い青の瞳。これほど彫刻のような完璧な美男子を、クイは今まで見た事がない。
(ほえ~。)
さっきまで声とシルエットしか分からなかったが、こういう外見だと、今までの言動がしっくりくる。それまで、マーティンを、国王軍という権力を盾に威張り散らすタイプの人間かと思っていたのだが、そうではないらしい。たぶん、この外見ゆえに全てを許されてきた人間だった。
クイがマーティンの顔に見とれていると、マーティンは、
「クイ。」
と名を呼んで、顔を寄せてきた。
「?!」
クイの言葉の真偽でも確かめるつもりなのか。マーティンは、あと十センチの距離まで近づいて、じっとクイを見つめている。
退こうにも、マーティンの視線は、クイの視線をとらえて離さない。
その間にも、背景が歪むほどのイケメンオーラが、ゴウゴウと流れ出た。
(うおぉ、ハンサムすぎる!)
そして、マーティンは、スッとひざの上の、クイの手を取った。
「一度しか訊かないよ。」
今までとは違う、優しげな声。
マーティンはクイの手をぎゅっと握った。
(あわわわ。)
不本意にも、心が揺れる。
「……な、ななな、なんでしょう?」
すると、マーティンは、至近距離で微笑んだ。
「お前は、本当に、オレリアスが好きなのか?」
そのとき、マーティンからは、おびただしい程のイケメンオーラが放たれていた。もし、マーティンが何も言わず微笑んでいたら、クイは、クラリとしてしまったに違いない。だが、オレリアスの名前が出た途端、クイの景色は、オレリアス色に染まった。クイの視界からマーティンは消えうせ、記憶の中のオレリアスが、クイの視界を片っ端から占領する。
「……うん、好き。……オレリアスが、大好き。……大、大、大、大好き。」
クイは、今、幸せの絶頂にいた。
あれほどの剣士にプロポーズされたばかりか、夜が明ければ、もう結婚式。オレリアスの気が変わる前に夫婦になれるかもしれないのだ。
「うふひ。」
すると、マーティンは、急にパッと手を離した。
「あほらし。」
よほど、クイの「のろけ顔」が不愉快だったのだろう。マーティンは背もたれにふんぞり返って、足を机に放り出した。
「この俺が、ここまで来てやったというのに。」
ハッと我に返ったクイは、再び謝罪の言葉を重ねた。
「あ、あの、本当にごめんなさい。いろいろと手を尽くしてもらったのに、それを全部無駄にしてしまって。それに、こんな時間に、ここまで迎えに来てくれたのに、マーティンさんを夜這い魔扱いしてしまって、本当に本当にごめんなさい。」
しかし、マーティンはそれらお詫びの言葉を全部聞き流して、
「お前は、それでいいんだな?」
と、念を押した。
「う、うん。……私、ここに残る!」
すると、マーティンは、片方の眉を上げて、カップにお茶を注いだ。ついでにクイの分も注いでくれる。
「分かった、オレリアスの趣味をとやかく言っても始まらん。お前の好きにするがいい。」
マーティンがお茶に口を付けたので、クイもそれに倣ってお茶をもらった。久しぶりの水分に緊張がほぐれる。
「あの、さっきから気になっていたんですが、マーティンさんはオレリアスと知り合いなんですか?」
すると、マーティンは、頬杖を付いて、
「ああ、手紙を読んだだろう? 俺は子供の頃、このウテリア領で暮らしていたんだ。」
と、ベッドに置きっぱなしの手紙をちらりと見た。
「生まれは別の領地だが、母が旅楽団の踊り子をしていてな。楽団の用心棒をしていた父とともに、幼い時は、興行でいろいろな領地を回ったものだ。だが、妹が生まれた後すぐに母が亡くなって、それで、父も楽団に居辛くなったんだろう。俺たち三人は楽団を離れ、流れ着いたのが、このウテリア領だったんだ。」
すると、マーティンは、初めて見る柔和な顔で微笑んだ。
「それから俺は、オレリアスと仲良くなった。あと、ブラッドや、スフィアともだ。皆、年が近かった事もあって、よく四人で遊んだんだ。お前はブラッドたちにも会ったか?」
「うん、スフィアは知っているよ。すごく優しくて、かっこよくて。女性なのに領軍の兵長をしているんだ。」
「はは。相変わらず、男勝りだな。で、結婚は?」
「ううん。まだ独身だって言っていた。」
すると、マーティンは、軽く目を伏せ、
「そうか、早くいい男に出会えるといいな。」
と言った。
「で、ブラッドはどうだ? 医者をしているはずなんだが。」
「医者? ああ、名前だけオレリアスに聞いたことがあるよ。たしか「医者をしている友達」って。」
「そうか。俺が知っているブラッドは、まだ見習いだったから……。あいつ、本当に医者になれたんだな。」
マーティンは、満足そうに微笑んだ。
「あのころ、俺たち四人は、いつも一緒だったんだ。一緒に遊んで、一緒に叱られて。勉強も剣も、何もかも負けたくなくて、お互いに張り合って、毎日が楽しかった。」
マーティンの思い出話につられて、クイの頭の中を、少年オレリアスたちが駆け抜けていく。
「……あのころが、一番たのしかったな。」
マーティンが暗い声でそう付け加えたのを聞いて、クイは、
(ああ、そうか。)
と、十三年前の不幸な出来事を思い出した。
オレリアスたちの少年時代は、突然の暴魔風によって終わりを告げる。
「暴魔風のせいなんだね。」
クイが慰めようとすると、マーティンは一層、悲しい顔で首を振った。
「いや。違う。」
マーティンは、一度口をつぐんでから、長いため息をついた。
「確かに、俺たちは、暴魔風でそれぞれ家族を失った。オレリアスは両親を、俺は親父と妹を。けれど、そのころにはもう、四人は、バラバラだったんだ。それぞれ別々の方向を向いていて、それぞれ別々のものを望んでいた……。」
マーティンの悲しげな瞳。
(一体、オレリアスたちに何があったのだろう。)
しかし、ふいにクイの視界が揺らいで、
(あれ?)
と、クイは顔を上げた。じっとクイを見つめるマーティンの瞳。このとき初めて、クイは、その瞳の中に冷酷な悪意を見た。
「……やっと、か。お前は、魔草の瘴気にも、耐性があるようだな。」
クイは、マーティンが何を言っているのか分からなかった。
が、考えるより早く、危険を感じて体が動いた。
立ち上がると同時に、手元の剣を引き抜く。しかし、立とうとしているはずの足に力が入らない。クイは、大きくバランスを崩して、そのまま右に倒れこんだ。
「……な……。」
舌がもつれて喋れない。手足が動かない。恐ろしい速度で感覚が遠くなり、凝視しているはずの視界が、ぐるぐると渦をまいて混濁する。
(駄目だ……。)
聞こえているはずの音が遠くなる。
「……思い出したくもないことを話させやがって。」
この言葉を最後に、クイの耳は聞こえなくなった。
(……ごめん、オレリアス。)
マーティンとオレリアスの間には、過去に何かがあったんだ。
だが、それを後悔する間もなく、クイの意識は、闇の中へと引きずり込まれた。




