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その後、クイは、しばらく呆然としていた。
ぼんやりとした表情は、まるで、ここがどこかも分からないようだったが、クイは、ゆっくり辺りを見回してから、唐突に、
「な!」
と叫んだ。
(な?)
それは「何をしているんだ、公衆の面前で!」の「な」だったが、そんなことをオレリアスが分かるはずもない。クイは、人前でキスしていたことに気付くと、耳まで赤くなってこの場から逃げ出そうとした。
「待て!」
オレリアスは、咄嗟にクイの腕をつかんだ。
「どこへ行く?!」
ついさっきまで、クイを捕まえるために、どれだけ苦労したことか。
しかし、クイは暴れた。
「いや! 離して!!」
クイは、つかまれた腕を引き抜こうとした。
「落ち着け!」
オレリアスは、力づくで床に押さえつけようとした。
が、その瞬間、クイは、
「離して、変態!!」
と叫んだではないか。
「へ?……へん?」
今、変態と言ったか?
一瞬の隙をついて、クイが腕を引き抜いて逃げ出す。
「待て!」
その瞬間、ゴドウィンがクイのローブの裾をふんだ。
すると、前進するエネルギーは行き場を失い、クイは足を滑らせて前のめりに倒れ込んだ。
ゴッ。
鈍い音がして、クイはそのまま動かなくなった。
「クイ! 大丈夫?!」
クイに一番に駆け寄ったのは、スフィアだった。
気絶したクイをひっくり返すと、クイは額に怪我をしていた。触ってみると、大きなたんこぶになりつつある。たんこぶの中央は、紫色に内出血していて、相当強くぶつけたようだ。その色は見るからに痛々しい。
「何てことをするのよ!」
スフィアが怒鳴りつける。
が、その矛先は、なぜか、オレリアスの方を向いていた。
「俺じゃないだろ?!」
「あなたが変態だからいけないんでしょ?!」
隣で、ゴドウィンが「思わず裾を踏んでしまって、申し訳ありません。」と謝っていたが、そんなこと、二人の耳には入っていなかった。
「どこが変態だ!」
「クイにそういうことをしたんでしょ?!」
「俺は何もしていない!」
だが、本当は何もしていない訳でもないので、語尾が少し泳いだ。それをスフィアが「それ見たことか」とばかりに責め立てる。
「ほらごらん、最低ね!」
「何だと! お前こそ、クイに変な事吹き込みやがって!」
「別に本当の事でしょ?!」
お決まりの罵り合いが始まって、兵たちは帰り支度を始めた。
「姫さんが、見つかってよかったな~。」
「ああ。面白いものも見られたし。」
「今日は酒が美味そうだ。」
ウテリア領は、今日も一日、平和に終わった。
そして、事の顛末は、一晩で領内を駆け抜けたのだった。