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オレリアスは、外界の荒野にいた。
赤茶色の乾燥した大地が続いているように見える外界も、その奥には巨大な森が控えている。この外界の森が、魔獣の棲み処だった。魔獣は、瘴気を含んだ魔風に乗って行動し、結界の隙をついて人や家畜を襲いにやってくる。
オレリアスは、森を警戒しながら、部下たちの作業に目を向けた。罠はあらかた張り終えている。あとは、身を隠す壕を掘るだけだ。オレリアスは、
「あと五分で、見張りと作業を交代しよう。」
と告げて、空を仰いだ。やっかいなことに、うす曇だった空が重い雲に覆われている。もしかしたら、今晩は雨が降るかもしれない。もし、雨が降ったら、雨音に魔獣の気配を消されてしまい、魔獣に襲われる危険性が高まってしまう。
オレリアスは、ため息をついた。
(早く、来い。)
想定は、こうだ。
細身の男は、西からやってくる。この辺りの地面には、麻で粗く編んだ網が仕掛けてあって、オレリアスたちは、岩の陰や壕の中に身を隠して男を待つ。そして、男がその網の上にやってきたとき、網を四方から引っ張って男の足を絡みとるのだ。これなら、いくら剣の達人であっても、生け捕ることができる。万一、男に逃げられたとしても、一帯は細い鉄の糸を張り巡らしてあって、この糸は、夜ならまず見る事ができない。
(男一人、生け捕るのに、大層な罠を仕掛けたものだな。)
オレリアスは、仕掛けられた罠を眺めて苦笑した。
総勢十名の兵と、二重の罠。
男が手練れであろうと、これで捕まえられないはずがない。
「軍将!」
突然、ゴドウィンが声を上げた。
呼ばれて振り返ると、兵長ゴドウィンが、地に這って、地面に耳をつけている。
「どうした?」
「何か、来ます!」
言われてみると、足元から微かな振動を感じる。
「?!」
これは、人間ではない。
大型の魔獣だ。
オレリアスが手に持った双眼鏡を南に向けようとすると、その前に、
「ムンガリだ!」
と、岩の上に登っていた見張りの兵が叫んだ。
ピントを合わせると、イノシシ型のムンガリが見えた。数は一頭。まだ群れを形成していない若いオスのムンガリだ。気づくのが早かったお陰で、まだ距離がある。
「一頭だけだ。仕留めるぞ。」
オレリアスは、罠を壊されないように前に歩み出て剣を抜いた。壕を掘っていた兵たちも、各々戦闘準備に入る。岩の上にいる兵は、そこで弓を構えた。
対するムンガリは、近づくにつれ、かなり大型の魔獣だと分かった。オスの象徴でもある牙が、天を突くように伸びている。茶色の毛は、鉛のように鈍く光り、太い足は砂塵を巻き上げている。
そのとき、岩の上にいる兵が叫んだ。
「ひ、人が乗ってる!!」
「?!」
双眼鏡で確認すると、驚くべき事に、そのムンガリの上には人がいた。
二本の牙を両手でつかみ、走り続けるムンガリの上に、一人の男が立っている。
「まさか、あの男か?!」
オレリアスは目を見張った。
男の体格は、小柄で細い。顔は布で覆っていて、目撃証言と酷似している。それに、この男の服は、簡素だがウテリア領のものではないようだった。どこか異領地の雰囲気がする。
(こいつか!!)
オレリアスは、体中の血が騒ぐのを感じた。
男の表情は分からないが、強い光を放つ灰色の目がオレリアスを見つめている。それは、まさにクイと同じ色で、アムイリア領の人間であると確信させた。
「止まれ!!!」
男を乗せたムンガリに、オレリアスは剣を向けた。他の兵士たちも、それぞれに剣や弓を構えている。もちろん、警告のつもりだったが、次の瞬間、男も剣を抜いた。
(やりあう気か?!)
男は、怯む様子も、慌てた素振りもない。
それどころか、まるでこの場で誰が一番強いのか知っているかのように、じっとオレリアスだけを見つめている。
オレリアスは、高ぶってくる気持ちを抑えて、左手を上げた。
「弓!」
男は魔獣に乗っているが、弓は持っていない。遠距離攻撃できるのは、こちら側だけだ。
「放て!!」
オレリアスの号令で矢が放たれると、男は前傾姿勢をとった。すると、それに呼応するかのように、ムンガリが加速したではないか。向きも、わずかに左に変え、放たれた弓矢は、ムンガリの後方に突き刺さる。
(!! ムンガリを自由に操れるのか?!)
ムンガリは、口から泡を吹きながら、なおも全力で走り続けている。
しかも、その先には、オレリアスがいる。
(面白い! この俺とやりあう気か!!)
久しぶりに気持ちが高ぶってくる。
オレリアスは、剣の刃をムンガリに向けて下段に構え、腰を低く落とした。狙うはムンガリの足だ。ムンガリの足をなぎ払い、同時に男を生け捕りにする。交差した一瞬の一撃で、ムンガリを仕留めるのだ。
「ふ~。」
オレリアスの筋肉が収縮して熱を帯びていく。目を見開いて集中すると、ムンガリの細部まで詳細に見えた。正気を失った目と、上唇を押し上げる牙。鉛色に光る茶色の毛並みには、なぜか、無数の小剣が刺さっている。あれは一体何なのか。
考える間もなく、男が動いた。
男は、片足を浮かせたかと思うと、勢いよく足元の小剣の柄を踏みつけたのだ。
「!」
たまらず、ムンガリは低く短くいなないた。
同時に、ムンガリは、オレリアスの目の前で跳躍する。地面を這うように疾走するムンガリが、これほど高く跳ぶとは思ってもみなかった。一瞬の判断で、オレリアスが上方へ剣の向きを修正し、ムンガリを切り上げようとする。そのとき、オレリアスの剣をなめるように、男の剣が飛んできた。
「!」
オレリアスは、それごとムンガリを払おうとしたが、男の剣に邪魔されたせいで、剣先がムンガリに届かない!
(こいつ!)
オレリアスが振り返った時にはもう、ムンガリは、オレリアスの間合いの外にいた。男を乗せたムンガリは、兵たちの間を疾走し、大きく膨らみながら再び南の森へと進路を変える。走り去るムンガリは、麻の網や鉄の糸を、根こそぎ引き抜いていた。人を捕らえるための罠など、大型のムンガリに通用するはずがない。
「くそ!!」
弓兵がムンガリの背に矢を射掛けたが、それも、ムンガリには届かない。
大地に突き刺さった弓矢と、遠ざかる魔獣。
オレリアスは、それらをにらみつけながら、沸き立つ怒りを理性で抑えつけた。行き場のない怒りが、じりじりと内臓を焼いている。