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第1話 壬生の蟻地獄

【明治三年 静岡藩】


 戊辰戦争で敗れた新撰組と旧幕府軍は、弁天台場で降伏した後、皆離ればなれになり、各所で謹慎していた。


 その中の一人、中島 登は謹慎先の寺で紙と筆を取り


「戦友姿絵」


を描いていた。局長 近藤勇、副長 土方歳三、三番隊組長 斎藤一、共に箱館を戦った島田魁、尾関雅次郎、山野八十八、相馬主計、野村利三郎・・・何日もかけて戦友達の勇姿を絵にしたためていく。だが、とある戦友を描く時に筆が止まる。


「蟻通 勘吾」


彼は新撰組の古参隊士で入隊時から先の箱館戦争までずっと平士であったが中島にとっては


「血みどろの夜叉」

「不屈の戦士」

「壬生狼の鼻」

「二刀流の刀狩り」

「新撰組一の報償金取り」


この戦友をどう描こうか悩んでいた。


【明治三年 斗南藩】


会津新撰組を率いた一瀬 伝八は、斎藤 一という名前を変え、ここ津軽半島斗南藩で会津藩の計らいで


「朱雀隊隊士 一瀬 伝八」


という仮の肩書きをもらい、新撰組隊士ではなく、会津藩兵として数名の元新撰組隊士と共にこの地で謹慎していた。厳しい北風に痩せた土壌の中で会津藩士とその一族は次々と倒れていく。そんな中、一瀬は野良犬を殺し飢えを凌いでいた。腹が満たされると


「不屈の壬生浪士、蟻通勘吾・・・どうやら箱館で死んだらしいな。俺より危ない奴だったな。」


と中島同様に勘吾を思い出す。


【明治三年 名古屋藩】


 弁天台場で降伏し、田村三兄弟の一郎、録五郎ら六名と謹慎していた古参隊士、島田 魁は日記を記していた。後年に伝わる


「島田魁日記」


である。島田は中島同様筆を取りながら


「・・・蟻通。讃岐の刀狩り。こうして見ると奴は新撰組全ての事件に出動していたんだな。」


「味方になれば頼もしいが、敵になればとんでもない武士だったなあ・・・」


と振り返る。あと一ヶ月で謹慎が解かれる矢先の事である


【明治三年 京】


 新撰組とは別に五稜郭付だった山野 八十八は、五稜郭から脱出し単身京へ戻っていた。かつての屯所に近づけず、遠くから見つめながら


「蟻通か・・・いろいろあったが池田屋から最後まで共に戦った腐れ縁の良き戦友だったな。」


と思い返していた。


【明治三年 高取藩】


新撰組の旗持ちを長年勤めていた尾関 雅次郎は、この一月をもって謹慎を解かれる。そんな尾関が


「血まみれの狂狼士、蟻通勘吾か・・・寒川ではまるで阿修羅みたいな戦い振りだったな・・・」


と最後の戦いを振り返る。


【明治三年 江戸】


 新撰組を離れ新たに靖共隊を結成し、新政府軍に敗れた後、江戸に戻った永倉 新八は、自分の目の前で共に靖共隊を旗揚げした隊長、芳賀 宜道を戊辰戦争とは関係ない江戸で義兄に斬られ川に捨てられたのを見せられ、現在は松前藩に帰参し、今は江戸の松前藩邸で藩兵として過ごしていた。そんなある日、元新撰組九番隊組長の鈴木 三樹三郎とばったり出くわし


(不味い!)


と思うが、鈴木に


「やあ、しばらく。」


と声をかけられたが、その翌日から永倉は、鈴木の一味に命を狙われ、江戸を去る。道中


「あいつが靖共隊にいれば・・・」


「刀一本なら負ける気がしないが、二本持たれたら絶対敵わない。そんな男だったなあ。」


と勘吾を惜しみながら北へ向かった。後に小樽で杉村 義衛と改名し、「浪士文久報国記事」を小樽新聞で連載する事になる。


【明治三年 多摩 試衛館】


 土方 歳三の遺品を彼の義兄、佐藤 彦五郎に届けた新撰組の少年隊士、市村 鉄之助は、ここ土方の故郷である多摩で文武に励んでいた。市村は


「蟻通先生・・・私はあなたに寒川で救われたのおかげでこの地で生きていられる。」


と竹刀片手に空を見上げる。


【明治三年 箱館 弁天台場】


 新政府軍はこの激戦地の検分と後始末に追われていた。元新撰組隊士である阿部 十郎も参加していた。今から丁度一年前のこの地でとある新撰組隊士と死闘を繰り広げ、新政府軍の援護もあり、勝利する。阿部は


「蟻通勘吾・・・二度と戦いたくない奴だった。」


と一息つく。


【明治四年 伊豆新島】


 弁天台場で降伏する為、代表として最後の新撰組局長となってしまった新参隊士相馬 主計は、伊豆の新島へ島流しにされ、今はその新島で寺子屋を開いていた。


「蟻通勘吾か・・・あの姿が全盛期の新撰組の象徴なんだろうな。あれだけの重傷を負いながらも決して折れなかった。俺ももっと早く入隊していれば・・・」


と悔やんでいた。


【明治四年 横浜村】


 夷国人の溢れる町、横浜で硝子商を始めた冴は、三歳になる息子、吾郞を育てながら


「あの逞しい御方の子が産めて本当に幸せに暮らしています。」


と思いながら、吾郞に早くも硝子職人にするべく言葉を教えようとしている。


【明治五年 神奈川県 湘南海岸】


新政府の名医として活動している松本良順は、現在推奨している海水浴に適した場所を探していた。


「蟻通勘吾。この海を見るたび彼を思い出す。仙台であれだけの重傷を負いながら死に急いで・・・生きていればこの様な美しい景色を見られただろうに。」


と死を惜しんでいた。


【明治五年 北海道 釧路】


 年明けに出獄し、三月に放免となった箱館政府総裁榎本 武揚は、新政府に出資し、再びこの北海道で資源巡回支援の視察に訪れ、箱館の五稜郭付近を船で通り過ぎると


「・・・全く土方も危ない奴だったが、あの落武者みたいな新撰組隊士、蟻通勘吾も相当危ない奴だった。新撰組とはああいう血の気のある連中ばかりだったな。味方にはなったが、こうして生きていられるのが不思議でたまらんよ。」


と弁天台場付近を遠く見つめる。


【明治五年 甲府県 地蔵院】


仙台で降伏した元新撰組隊士立川 主税は、同じく仙台で降伏した斎藤 一諾斎の口利きで寺の僧侶となり、戊辰戦争で散った仲間達に念仏を唱え、弔っていた。


「近藤局長、土方副長、斎藤先生、島田先生、尾関先生、山野先生、蟻通先生・・・」


近藤、斎藤を除けば池田屋事件から箱館戦争まで一緒だったのはこの五人だけである。


【明治六年 東京府】


箱館戦争で降伏し、謹慎が解かれた安富才助は、ようやく自由の身になれたと気を緩めた直後、北海道から戻り、潜伏していた阿部十郎に


「寒川の仇だ!」


と言われ斬られてしまう。だが死んだ振りをしてやり過ごすと


「戊辰戦争は終わった筈なのに、まさかあの蟻通の真似をする羽目になるとは・・・」


と言いながら故郷の足守に馬を走らせて去って行く。


【明治十三年 日光県】


会津藩士と離れ、日光東照宮で謹慎していた会津藩主松平 容保は


「斎藤君達如来堂で残ってくれた新撰組は本当に我が会津に尽くしてくれた。土方君も。それからあの二刀流の彼は?・・・」


と名前を忘れていたが、はっきり記憶に残っていた。


【明治二十一年 東京府 霞ヶ関永田町】


第二代目内閣総理大臣に就任した箱館戦争司令官黒田了介改め黒田清隆は


「もし奴と、血まみれの新撰組隊士蟻通勘吾を生かしていたら、私はこの任に就く事はなかった。」


と頭の中で思っていた。


【明治二十一年 神奈川県横浜市】


会津戦争で単独脱走した川村三郎(近藤芳助)は、共に会津戦争を戦った同志猪野忠敬(久米部正親)が自宅を訪れ朝まで酒を飲み交わしていた。川村は弁護士を経て現在は横浜市会議員、神奈川県会議員となり、猪野は新政府陸軍少尉として西南戦争で殊勲を上げ、現在は東京鎮台を退官し、宮城県白石市へ移住する前に、互いに維新後に成功した祝盃を祝っていた。二人は


「この間内閣に就任した黒田、どうやら奴を追い詰めたのはあの蟻通だったらしいぞ?」


「本当か?あの白河口で瀕死だったあいつが?」


と噂している。


【明治二十三年 岩手県】


新撰組の土方率いる四人の粛清から命からがら逃走した元芹沢 鴨の派閥に属していた平間 重助は、諏訪部 重助と名を変え、岩手で養蚕教師を務めた後、故郷の水戸へ戻り病に臥していた。布団の中で死を待つ間に当時の事を思い出す。


「・・・土方、沖田、山南、原田・・・蟻通!う、うわあ!ぎゃあ!」


と精神を病んでこの世を去った。


【明治二十五年 北海道 千島列島 択捉島】


永倉新八率いる靖共隊に参加し、会津戦争で降伏。新政府軍に寝返った前野五郎は、維新後北海道で仮座敷(女郎屋、遊郭)で大儲けし、現在は千島漁猟開発事業に従事していたが、択捉島で橋から転落。所持していた銃が暴発する


「・・・これも刀狩りの勘吾、いや、銃狩りの勘吾の祟りか・・・?」


と思いながら即死する。


【明治四十年 愛媛県松山市】


 上野戦争で戦死した筈のとある隊士が故郷の伊予にひょっこり帰ってくると


「奴は刀だけじゃない。槍も弓も長巻も自在に扱う器用な奴だが、何より相手の刀を奪う技。そんな技をいとも簡単に使いこなす者は満州にもいなかった。」


と述懐する。彼は自らを原田 左之助と名乗り満州へ戻った。


【大正三年 神奈川県横浜市】


この年で横浜税関を退職する箱館戦争元榎本武揚付を勤めていた元新撰組少年隊士田村銀之助は、戊辰戦争後は元内閣総理大臣黒田清隆に預けられ、北海道や東京で働くも長続きせず、この横浜に在住していた。老後を東京で過ごそうと戻る準備をしながら


「俺って何で落ち着かないんだろう?黒田さんが寒川で相手をしたっていう蟻通先生って強かったのにずっと平隊士のままだったな。」


と振り返る。


【昭和八年 東京府大田区】


会津戦争を少年隊士として生き延び、遂に同胞を皆失い「最後の新撰組隊士」となってしまった池田 七三郎は、作家、子母澤 寛の取材に


「隊長ではなかったが、敵の刀を奪い、二刀流を得意とする隊士がいた。あれは確か蟻どおり?・・・うむ。名前が思い出せん。」


高齢になった池田は名前が思い出せないが、姿だけは鮮明に覚えていた。


これだけ多くの人物に覚えられている蟻通勘吾とは、一体どのような男だったのだろう。そのほとんどは


「讃岐の刀狩り」

「二刀流の使い手」

「器用貧乏」


と共に


「壬生の蟻地獄。奴の間合いに入ったら脱出不可能。正に地獄に引き摺りこまれ食われてしまう。そんな鬼神の如き隊士。」


と彼に関わった者全てに認知されていた。


この物語の主人公、蟻通勘吾は新撰組の中でも特別に抜きん出た存在ではない。入隊から最後まで平隊士のまま過ごしてきた。だが彼は、新撰組全ての事件に関わった唯一の隊士である。新撰組隊士達は彼を


「新撰組一の報償金取り」


と呼んでいた。


この主人公は実在しますが、出自や技については完全創作です

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