変わらない日常(1)
7月が終わり8月になる。
外気温は平気で30℃を超えてくる。
そんな中、汗の一滴も垂らさず7部丈の学生シャツを着た奏多はとあるカフェの中にいた。
何故そんな場所にいるのか、それはここのカフェでアルバイトをしている紫苑と一緒にいるためだ。
奏多は休憩中の紫苑の正面に座って夏休み課題をこなしている紫苑を見つめていた。
「やっぱりここの雰囲気はいいな。静かだしレトロチックな所もそうだし、落ち着くんだよなここ。」
店内はオルゴール音楽が流れていてゆったりとした空間を作り出していた。
天井で回るシーリングファンの回る音がたまに聞こえるくらい静かだった。
生前休みの日はこの空間でゆっくり課題をしたり、話しながらゆっくり羽を伸ばすことが好きだった。
カランカランと入り口のドアベルが音を鳴るとお客さんが入ってくる。
窓際の席に案内されるとメニュー表を開いてどれにしようと話合っていた。
奏多はそちらをチラッと見てから紫苑の方に視線を戻す。
視線を戻した時に一瞬目だけ合った気がしたが気のせいだろう。
よくあるその人を見ていた時に、視線に気づいてこちらを見たと同時に自分は視線を外すみたいな感じだ。
奏多はそう言いながら、まぁいっかと流した。
紫苑は休憩時間ギリギリまで課題をやると折り合いをつけてノートを閉じる。
飲み残っていたコーヒーを飲み切ると、広げていたノートや筆記用具、プリント等をカバンの中にしまうと立ち上がり、使用済みの札を置くと返却棚の方へ歩き、コーヒカップを置いてそのままスイングドアを開けてカウンターの中へ入っていく。
しばらくして、薄茶色のエプロンを着けてバッグルームから戻ってきた紫苑は流し台で手を洗い、返却棚に置いた自身が使用したカップと他の客が使用したカップや皿をトレーに置いて回収すると洗い場に持って行き洗浄を始める。
そんな紫苑を後ろからそっと見守る奏多は、気づかれていないことをいいことに周囲の視線を気にせず堂々と見る。
「相川ず、ここの服と紫苑の相性は最高だな。おっさん臭いかも知れねぇけど新妻感があるんだよな。」
なんて戯言も聞かれないので堂々と言える。紫苑が聞けば確実に怒るであろうことも堂々と言えるのはいいのだが、あまり調子に乗るものでもないなと思い急に黙る奏多。
決して、一瞬背筋が凍るような感覚が襲ってきたからではない。
奏多は席を立つと普段は入れないカウンターの中に入る。いつも紫苑が見ている景色を見てみたくなったのだ。
カウンターにはポッドや食器、トレーやコーヒー豆など一般的にカフェで使われるものが一式揃っている。中には年季の入ったものもあるがそれだけ長く使われてきたのだと思うと、このカフェが人気であるということがわかる。
「月島くん。今日は16時までだったね。」
「そうですね。」
カフェのマスターに声をかけられた紫苑は受け答えをしながら食器についた水気をタオルで拭いていく。
「あと数時間だが、いつも通り頼むよ。それと、使用済みのテーブルのバッシングと、使用されていない空席のアルコール除菌を頼むよ。」
「わかりました。食器を拭き終えたらテーブルのバッシングからしますね。」
「うむ。よろしく頼むよ。」
そんな会話を軽くしながら片付けを進める紫苑。
食器も拭き終えてテーブルのバッシングや除菌作業が終わると、やることがなくなった紫苑はカウンター内の椅子に座り店内を見渡す。数組のお客さんがいる空間をただ眺めている。
そんな紫苑を見る奏多は相変わらず平穏な日常が過ぎていると感じていた。
結局のところ奏多は奏多の生活があるが紫苑には紫苑の生活がある。
実際に奏多が知っているのは、奏多がいた時に見た紫苑の仕事姿だが、今は奏多自身がいない時の紫苑の仕事姿だ。
同じ姿でも目に映る紫苑は多少なり変わっているように思えるが大半は変わらずいつも通りだった。
「月島くんお疲れ様。そろそろ時間だし上がっていいよ。準備が終わって16時を過ぎたらタイムカード切ってね。」
「わかりました。お先あがります。」
紫苑は16時近くになるとマスターに声をかけられて挨拶をし、バックルームで着替えを済ませると鞄を持ってカウンター内に戻ってくる。
客も今はおらず、さらに静かなので少しだけ寂しさを感じられた。
紫苑がマスターに声をかけるとあまりのケーキか何かが入った袋を渡されていた。
お礼を言い終えた紫苑がカフェから出ると奏多も後を追って出る。
外に出た紫苑はイヤホンをつけると歩き始めた。
紫苑が向かっている方向には商店街がある。その商店街の中を突っ切っていくと大通りに出て横断報道を渡ると紫苑や奏多が電車を利用する際の最寄駅があり、駅改札口や反対側に移動するための階段を使って紫苑の家がある方に歩き進める。
「ただいま。」
紫苑は玄関のドアを開けながらいい、荷物を下駄箱の上に置くとアルコールスプレーを荷物や自分の服に軽く吹きかけてから靴を脱ぐ。
手洗いを済ませてから荷物を持ち、自分の部屋に行くと鞄をフックにかけてそのまま床に寝転がる。
自室のドアを開けっぱなしなので、廊下に立っている奏多に丸見えだった。
「これって、勝手に部屋に入ったらまずいよな。いくら彼氏だったとしても、死んでいると言っても流石に女性の部屋に入るのってダメだよな?」
なんてことを言いながら入るか否かを悩む奏多。
奏多がそんなことで迷っている間、紫苑はというとスマホをいじっていた。
アラームをセットしたりメッセージの返信をしている。
課題もバイト先の休憩時間に少し進めたし、どうせこのあと暇になることがわかっている紫苑は特別急いでやる気がなかった。と言っても、休みの10日もあれば課題は全部片付いてしまうみたいだが.......。
紫苑はスマホを操作していると自然とあくびをした。
スマホを近くのテーブルの上に置くとイヤホンを外してまた横になると、そのまま眠りについた。
紫苑が眠りについてしばらく、奏多は悩むことをやめてリビングの方に移動していた。
そこに紫苑の両親の姿はない。
いつも帰りが遅く朝は早いので基本的にはいない。
だから紫苑は奏多の家に寝泊まりすることが多々あった。
「久しぶり紫苑の家に来たな。多分俺がここに来たことがあって家に上がったのって両手で数えられるくらいじゃないか?、紫苑を待つ時は玄関の近くでまったり、敷地をまたがないでまったりすることが多いし。最近は俺が先に家帰って支度を終えた紫苑が後から来るってことが多かったしな。」
そんな独り言を口にしながら、リビングに置いてある大きめのビーズクッションに座る。
幽霊である奏多は体重がないので沈んでいくことがない。
人をダメにする枕も幽霊をダメにすることはできないのだ。
やることがない奏多は自分も寝ようとビーズクッショに体を預けるように座り直すと、目を閉じる。
どれくらいが立ったのか、次に奏多が目を覚ました時は、すでに部屋が全体的に暗かった。
ただダイニングの方で明かりがついていて、そっちの方を見ると紫苑がカップ麺を食べていた。
お風呂を済ませているらしく、パジャマ姿の紫苑。
部屋の扉は閉じられていてエアコンがついている。
そういえば、バイトから帰ってきた時はエアコン付けてなかったなと思いながらよく熱中症にならなかったなと心配する。
奏多に気温は関係ないので感覚が狂いそうになるが今は夏なのだ。
基本的に外は暑いし、室内は換気しても熱風が入ってきて部屋の中が蒸されるだけだ。
そして、紫苑は帰宅するなり自室で横になって寝ていたのでよく耐えられたなとも思う。
「ま、何はともあれ普通に飯食ってるし大丈夫だろ。カップ麺だけど....。」
「……。」
「割と、気になるんだがいつもカップ麺ってことはないよな。」
「……。」
「くそー、直接話かけられないって面倒だな。反応が帰ってこないから俺寂しい、ぜっ。」
「ブフッ.....ゲホッゲホ。」
奏多が真面目とふざけを混ぜながら独り言を言っていると、紫苑は咽せた。
きっと麺を啜った時か、汁を飲んだタイミングで気管にでも入ったのだろう。
少し苦しそうに咳き込む紫苑はテーブル上のティッシュボックスから何枚か取ると口元を抑えていた。
流石に心配になった奏多は紫苑に近づき、触れられないのは承知で背中を摩ってあげた。
ものの数分で落ち着いた紫苑は最後に咳払いをすると、また麺を啜り始めた。
紫苑がカップ麺を食べ終えてからしばらく時間が経った。
今は自室の勉強机で夏休み課題をしていた。
テーブルの上にはサイズの小さいタルトがいくつか置いてあった。
バイト帰りにカフェのマスターから渡されていた袋の中身だろう。
紫苑はそれを食べながら課題を進めていた。
そんな中奏多は紫苑の部屋の中でも廊下でもなくベランダへ出ていた。
紫苑には悪いと思いながらも部屋に入って閉じ切っている窓から侵入して移動した。
カーテンは真ん中あたりで束ねられて大きめの洗濯バサミで止められているので、その隙間から部屋の中は覗ける状態だ。
ベランダの手すり部分に寄りかかりながら紫苑を見たり空を見たりしていた奏多は、口寂しさはあるもののゆっくりとすることができていた。
自分の家でも見られなかった光景が今は見られるのだ。
それも、いっさい気にされることもなく見ていられるのだ、なんて役得なのだろうと考えている奏多。
「できれば、コーヒーとかカフェラテとかあったかい物を飲みながら見ていたいもんだけどな....今夏か、じゃあキンキンに冷えた炭酸飲料かアイス食いながらだな。」
今みたいに独り言を溢しながらただ紫苑を見ていた。
明日、明後日と日は進むが同じ今日は来ない。だから死んだ後も見られる紫苑のことをただ見ていたかっただけなのかもしれないが、そんなことを抜きにしても彼女の顔をいつまでも見たいという気持ちは変わらないのだ。
死んだら見られない。幽霊になっているからいつか見られなくなる?。
じゃあどうするって、紫苑のことを見るだろう。
「完全にストーカーだよな。実際やられている本人は見られているなんて気づかないことの方が多い。だからストーカーの盗撮が成立するんだもんな。やってることは同じだけど、まぁなんだ許してくれ。......許してくれって、これもストーカーと同じか?」
静かにただ眺めることができず、口から言葉が流れるのは寂しさを紛らわせるために思っていることが自然と出てきているのかはわかりない。
ただ星が照らす夜空の下で彼女の家のベランダから見る紫苑の姿はなかなか目に納めることはないので、1つの思い出として残ってくれるのだろうと思った。
そうやって紫苑のことを眺め続けていれば、自ずと時間はたつもので、紫苑は机の上に広げていたノートを閉じると勉強机の上で光っていた電気を消して部屋から出て行く。
奏多はまた侵入を繰り返して紫苑の後を追う。
紫苑の部屋がある2階から階段を使って1階に移動した紫苑は洗面台で歯磨きをしていた。
時刻は22時を回っているが紫苑の両親はまだ家に帰ってきていないので1階で電気が付いているのは今いる場所だけだった。
奏多は、そのうち寝るだろうと思いこの後はどうしようかと考える。
紫苑が寝たあとに出来ることと言えば紫苑の寝顔を見ることだけだ、それが嫌だというわけではない。
もうすでに、紫苑の顔を見続けているので今更プライバシーどうこうとは言わない。
奏多は「寝顔くらいいつでも見られるだろう」と言いながら、紫苑に近づいて「お休み」と言うと、玄関の方へ移動してとそのまま外に出る。
「俺も寝るか。」
そんなことを言いながら家の方向に向かって歩く。
こんな時間に歩いていれば通常は補導対象になるが今の奏多にそれは関係ない。
すでに、誰かに迷惑をかけるという次元を超えているのだ。
ゆっくりと空を見たり、普段は知ることができない夜の街を思い存分楽しんでから家に帰る。
家に着くともう両親は寝ていた。
時間は大体23時前。
もうすぐ日付が変わろうとしていた。
「今日は一日中紫苑のところにいたし、明日は莉奈の家にでも行ってみるか。なぁに決して浮気じゃないぞ。ちょっとこの間から引っかかることがあるからその確認っていうか、様子見っていうかなんて言うかってやつだ。マジでやましいことはない、ないぞ幼馴染だしな。」
まるで自分に言い聞かせるような言葉を言いながら誰もいないのに下手な弁明をする奏多。
奏多は何やってるんだろと自分に突っ込みながら自室に向かうとベッドの上に寝転がる。
そして「明日のことは明日考えるか。」といい瞼を閉じて眠りについた。
誤字脱字ありましたら教えていただけると幸いです。




