ザギルの話・上
レオノールは行く予定のなかったザギルの執務室にお邪魔していた。
訓練場の中にあるだけに、質実剛健を地で行くシンプルな部屋だ。無駄な飾りどころか絨毯すらなく、どこか寒々しい感じがする。レオノールの予想通り書類は机の上にあったが、思ったよりも量は少なかった。
部屋の主であるザギルの許可なくピョンっとソファーに座ったレオノールは、自分の隣を手でポンポン叩く。扉の前で所在なげに立っていたシルヴァがそれに気付くと、ソロソロとレオノールに近付いて隣へ座った。
「普段、子どもが来ることがないからな。こんな物しかないのだが……」
そう言って置かれたのは真っ黒い飲み物だ。嗅いだことのない香ばしい匂いがして、レオノールは早速口をつけた。
「にがい」
「コーヒーと言う飲み物でな、イーストエンドから輸入しているものだ。目が覚めて仕事が捗るのだが……やはり子どもには苦いか」
コーヒーを下げようとするザギルを手で制し、レオノールは自分の頭に水晶に似た硬質な輝きを帯びた花を生やす。それはラッパのような花びらをしており、収穫して中を覗くと黄金色に輝く蜜がユラユラと揺れていた。レオノールは早速その蜜をコーヒーへと注ぎ、蔓の先でクルクルとかき混ぜた。
「わたし おとな。こーひー のめる」
甘くなったコーヒーをレオノールは飲む。悪くない味だ。視線を感じ隣を見れば、シルヴァが羨ましそうにコーヒーを見ていた。レオノールはシルヴァにも同じ様に蜜を垂らしてあげたが、何故か蔓で混ぜるのは拒否された。
「ほら、スプーンだ」
「ありがとう」
ぎこちないながらも会話をしているザギルとシルヴァに、レオノールはストレートに尋ねる。
「なんで なか わるい?」
「別に悪い訳ではないのだ。ただ、周りの状況がな」
「くわしく」
全く引く気のないレオノールに、ザギルは渋々重い口を開いた。
「代々ガザールは、余程のことがない限り長男が皇帝を継いできた。先祖返りというのは、その余程のことに入るのだよ」
つまりザギルとシルヴァは後継者争いの真っ只中と言う訳だ。金獅子が皇位を継ぐデュオ・アムーレにはない風習に、レオノールは目を丸くする。
ただシルヴァが皇帝になるのはレオノールにとって好ましくない出来事だ。
「しるゔぁ よくきく。こうてい しょるい うまるの しごと。あそべなく なる」
偏見と欲望にまみれた言葉に、何とも言えない微妙な表情になったザギルとは違い、シルヴァは真剣な目でザギルを見た。
「ぼ、僕は皇帝に興味ありません」
レオノールの言葉は、まるっと無視されたが……まあ皇帝にならなければ遊べるので問題ない。
「シルヴァにその気がないことは知っている。ただ……始祖の祖霊を崇める貴族はお前を皇帝にしたがっている事を忘れるな」
「……はい」
獣人族の始祖は、シルヴァのような獣の姿をしていたとされている。それが普人族と交わることで、今の姿へ変わったという。始祖の力や身体能力は今の獣人族とは比べ物にならないほど強く、先祖返りが尊ばれているのもそれが理由だ。
ションボリと髭を垂らすシルヴァを見てレオノールは立ち上がった。
「わたし ろい わるいと おもう」
こういう事は上がちゃんとしなければならない。つまりはロイだ。
「はなし つける」
「待って!!」
レオノールのやらかしの気配に気付いたシルヴァが慌てて抱きついてきて、レオノールも自ら来たモフモフに抱きつき返す。ボタンを2つこっそり外すのも忘れない。
「ハハハッ!2人は仲良しだな」
「笑い事じゃないです!このままじゃ父上がグルグル巻きにされちゃう!」
ひとしきり笑った後、ザギルは真面目な顔に戻る。
「心配しなくとも、父上も私を皇太子に望んでいる。ただ、私が皇帝になればシルヴァの立場がな……」
「僕は気にしません」
キッパリと言い切るシルヴァに、ザギルの目が暗い影を帯びる。フッとレオノールは何かを感じた。シルヴァに害をなす何かを。
「なに おそれる?」
レオノールの声から感情が消える。
「それは……」
言い淀んだザギルの目がシルヴァへ向けられる。シルヴァの前では言えない話か、と納得したレオノールは躊躇いなく花を咲かせる。睡眠効果のある花だ。
ズルリ、とレオノールを掴んでいた手が離れて、シルヴァがもたれ掛かってくる。シルヴァをゆっくりと隣に寝かせ、レオノールは蔓を部屋中に伸ばす。窓も扉も、天井も床も全て塞がれ今ではレオノールの中だ。
流石に驚いたのかザギルが腰を浮かせ、剣の柄に手を掛けるがレオノールは気にしない。相手はただの人間なのだから。
「はなし きかれないようにした だけ。なに おそれる?」
無言でこちらを見るザギルに、レオノールは質問を変える。
「だれが しるゔぁ ねらう?」
レオノールの言葉にザギルの顔が面白いように歪んだ。




