第9話 決行日
ミアは用紙に書きつけていた手を止めた。ペンは凸凹の木机に沿ってインクだまりを作り、紙に黒く滲む。
調査はミアが思うより、すんなりと進んでいた。
イルクパーティーのメンバーは四人。
まずリーダーのイルク。パーティーメンバーの中で最も強いLv.7。双剣の使い手で女性人気が高い。彼の周りには常に女性が群がっていて、何か手を下すのにも目撃者が多くなってしまう。
次に狩人のヒルシム。体格のいい白髪短髪の狼人で、種族に違わず一匹狼なところがある。毎朝五時に目を覚まして、六時半にはダンジョンの入り口にいることがわかっている。そして七時にダンジョンへ単身潜りに向かう。
そして唯一の女性、ダークエルフの魔導師ベルネッタ。大きなローブで全身を覆い隠しているため、最も素性が知れない。口数も少なければ、外出も少ない。
最期にドワーフの戦士ディンガル。金魚のフンのような話題が絶えず、最もレベルが低い。それでもLv.5だ。腕力が自慢で、ミアの細腕など一ひねりだろうと思われる。
ミアはペンを上部へ動かして狩人の名前に丸を付けた。
まずは彼、ヒルシムだ。最も一人になる時間が多く、外出時間が長い。最もねらい目だ。人の少ない場所を好みがちなので、目撃も少なくて済むだろう。彼の得意分野は弓で、炎系統のスキルを持っている。蟲には弱いはずだと見当をつけた。
時計に目を向ける。時刻は十七時。
回復ポーションのストックを確認して、ミアは頷いた。あとは早めに眠るだけだ。
夕食の代わりに栄養ポーションを掴むと喉に流し込んだ。あまり健康的ではないが、食材を買いに行くリスクを考えるとこちらの方が安全だ。そうして硬いベッドに体を潜り込ませる。ミアはかびの匂いがするベッドの中で深いため息を吐いた。身体が強張っている。けれど早く眠らなければいけない。
ミアは狭いベッドの中で寝返りを打った。
エリシアは早起きをした。今日は東通りの方へ、ミアの目撃情報を探しに行く予定だからだ。いや、違う。ミアが心配でよく眠れなかったのだ。結果的に早起きになってしまった、という方が正しい。
髪をポニーテールにまとめながらリビングへ向かう途中、メルバが手櫛で短い髪を梳きながらリビングのドアノブを捻るところに遭遇した。
「その……おはよう」
「……ああエリシアか。おはよう」
いつもより淡白な挨拶だ。昨日のことを引きずっているのかもしれない。
エリシアはメルバと少し距離を置いて部屋に入った。
ふわあ、とメルバは控えめな欠伸を一つ漏らすと、そのままキッチンへ向かっていく。
「紅茶とミルクどっちがいい」
「あ……ミルクでお願い」
メルバは鍋を取り出しながら尋ねた。
昨夜のことは気にしていないから、とフォローすべきか迷ったが、メルバがキッチンに立てばそう声をかけるのも気が引けた。
たまにメルバはホットミルクを作ってくれる。それもエリシアが落ち込んでいる時に。些細なことだが、エリシアは心が支えられている気分だった。それに今のこれは、昨晩についてちょっとした謝罪の意もあるだろう。下手にフォローするのはよくない。
リビングのソファにはすでにレイノワールが腰掛けており、エリシアはその正面に腰を下ろした。
「早いな」
「当然。……実はあまり眠れなかったの」
エリシアは一瞬強がって見せたが、レイノワールの視線に肩をすくめて本当のことを言った。夜に聞き込みをしたところで、昼より成果を得られないのは当たり前だ。しかしながらミアがいないという不安の中、落ち着いて眠れもしなかった。すべてを言わずとも、レイノワールはきちんと理解した風に頷いた。
エリシアはメルバから温かいマグを受け取ると、普段より丁寧に感謝を告げる。メルバは自身のマグ片手に窓際の一人掛けソファーに座ると、まだ薄暗い外の風景を眺めはじめた。
早く見つけたい。そう願っているが、東通りでは見つからないでほしいという気持ちもあった。東通りは治安が良くないので、ミアの身に何かあったらと思うと気が気でない。できれば家出であってほしいものだ。
「今すぐにでも探しに行きたいって顔だな」
エリシアはレイノワールに表情を見抜かれてしまったが、悠然と頷いてみせた。
「もちろんでしょう」
「そうだな」
レイノワールは立ち上がると、部屋の隅のツリーハンガーにかかったローブを手に取って身に纏い始めた。エリシアがぼんやりと一連の行動を見つめていると、レイノワールはその長くて細い指先をエリシアの剣に向ける。
「行くんだろう?」
「でもレイ、見知らぬ人と話すの……」
エリシアはメルバを振り返った。彼女は唖然としてマグを片手にレイノワールを見上げている。心変わりに驚いているのだろう。
「そんなことも言っていられない、と思ってな。エリシア、鏡を見ろ」
「レイ……」
昨日の口論もあるだろうが、エリシアはレイノワールが背中を押してくれるのに、空になったマグをテーブルに置いて立ち上がろうとした。
その瞬間。思わず耳を塞ぐような轟音が空気を震わせた。
何かしらの爆発音。エリシアは驚いて、中腰のまま音がした方の壁を見つめてしまう。メルバがなんだと拠点を飛び出すのに、ようやっとエリシアは足を突き動かした。
もしミアが巻き込まれていたら。エリシアは青ざめた表情でやきもきしながら大通りの方に出る。エリシアは遠くでもくもくと煙が立ち上っているのを見つけた。
「……」
煙は黒々としていて、エリシアは立ちすくんでしまった。嫌なことばかりが次々と想像される。指先から体が急激に冷えていくような気がした。
「なに突っ立ってるんだ、エリシアっ。いつもの正義感はどうした!」
咄嗟に掴んできた剣をメルバに引っ張られ、エリシアははっと我を取り戻した。
「行くんだろ⁉ ミアに何かあったらって思ってるんだろっ」
「え、ええ。……そうね、向かいましょう」
エリシアはおぼつかない手つきで剣を腰に括りつけると、煙の方向へ駆けだした。