第33話 いざ、階層主討伐
階層主のいる大広間に繋がる最後の道にやって来た時、真剣な顔をしたメルバがミアとエリシアに近づいてくるなり、ローブを引っ張った。ミアは少し身を屈めて聞き取りやすいようにする。
「なにか吹き込んだな」
「ヒルシムさんが協力的だったんです。でもわたしは悪い判断だと思っていません」
「おかげでイルクが調子に乗ってるよ」
ミアが言い返すと、メルバは腰のあたりを叩いてきた。さすりながら見下ろすと、含んだような悪い笑みを顔いっぱいに湛えている。ミアはきょとんとして、メルバがご機嫌な調子で前線へ戻っていく背中を見つめた。そしてイルクの方を確認すると、確かに気分が乗っているのかやけに背筋が伸びている。
もしや今のは褒められたのか。
大広間の手前にある小さな窪みが見え始めると、ぼんやりとしていたミアたちも集まるように言われた。
最後の作戦確認だ。とはいえ皆実力者ぞろいなので、前衛がやれるだけ切り捌き、中衛後衛が援助しつつ取りこぼしを確実に仕留める。それは変わらない。
「じゃあ最後に前衛、中衛、後衛の確認だね」
イルクが指揮を執るように言った。声は潜め、階層主に聞こえないようにする。
「前衛は俺とうちの戦士、剣士の君と、偵察のちびっ子くん」
イルクは順に自分自身、ディンガル、エリシア、メルバの順に指す。いつもミアがいる中衛は現在役目を代わってレイノワール、そして弓を使うヒルシムだ。後衛はミアとダークエルフのベルネッタ。
それぞれの武器と特技を示し合わせると、物音立てないように立ち上がった。
これはただの建前で、イルクパーティーが途中離脱することは目に見えている。事前に話し合わせていた報酬は山分け。そんなぬるい約束を守るはずがない。
エリシアパーティーはこっそり目を合わせると頷き合った。実質階層主の討伐はこの四人だ。
ミアはイルクパーティーの誰にも気づかれないようにヒルシムを呼び止めた。
「絶対、アムドゥシアスの角を全て持ち帰ってくださいね」
「一応聞くが……あんたらは良いのか、あれは高く売れるんだぜ」
「お金は要りません」
ミアはフードを軽く持ち上げ、目を覆い隠している布を指先で引っ張った。暗い眼窩が露わになり、ヒルシムはごくりと喉仏を上下させる。
おまけに丸い耳をさらすと、その上に腰を据えているムカデ型モンスターが顔を出す。ヒルシムは勘づいたのか、はたまたモンスターを使役する少女に慄いたのかは知れない──前者であればいいのだが。ミアはささやかに願う。
「お前……」
ヒルシムは言葉を失っていたが、しかしすぐに険しい表情を作った。
「懸命に働いてください」
ミアは彼の背中を強く押した。彼はたたらを踏んで中衛へと収まる。ちょうど見計らったようにイルクが振り返るが、ミアとヒルシムが会話を交わしていたなど思うはずがない。イルクは口角を上げ、細めた目でヒルシムにアイコンタクトをとった。
「総員、構え」
落ち着いたレイノワールの掛け声で、全員が物陰から階層主に注目する。
動物の片鱗を見せない無機質な身体。ひび割れたところから覗いている無数の赤く光る瞳。全長は大人の男性十人分を優に超える。
モンスターの勇むような白い呼気が大広間に充満した。
ミアは杖を抱えたまま、姿勢を真っすぐに正した。対して、接近戦の前衛は低く身を屈める。
「──一斉、突撃!」
そして張り裂けるような合図に、揃って地面を蹴り出した。
階層主討伐のはじまりだ。
「中衛後衛、援助をっ!」
「ああ、やってる!」
イルクの逼迫した声に、ヒルシムが辟易したように叫び返す。
思った以上にイルクパーティーはきちんと働いていた。もちろんヒルシムは脇から常に湧き出るユニコーン型モンスター(アムドゥシアス)をディンガルと共に狩り続けているのだが──イルクは風の力で巨体を超える高さにまで飛び上がっては頭上のぎょろつく目玉を潰しており、ベルネッタは唯一の治療師として岩の身体に弾かれ体力を奪われている前衛を積極的に回復していた。
正直、とても役に立っている。
ミアは不条理な感情に奥歯を噛みしめながら、できるだけの氷弾を飛ばしていた。
もどかしい。早く、蟲を使いたいのに。これではレベルアップした成果がうまく発揮できていない。しかしその制限ももうすぐ解かれる。
イルクパーティーの動きを再び確認しようと、階層主から目を離した時。
「こっちにも援助を頼む!」
メルバに言われて、杖の頭をモンスターへ向け直した。すぐさま敵の足元を崩すように魔法を打ち込んでいく。一発一発がレベルアップ以前より重くなっているのは感じるが、この岩型モンスターを前には手ごたえがほとんどない。
その時、視界の外でヒルシムがアムドゥシアスから目を逸らし、階層主へ弓を向けているのが見えた。弓などが岩肌に勝つわけがない。しかし一瞬、きらり、と矢じりから放たれる青い光が目に飛び込んでくる。
ハイポーションと同じ輝き。
──彼は一体、何を。
ミアは一瞬途切れた集中力のせいで、周囲の音が疎かになっていた。
そのせいで頭上から襲い来る岩の手に気づけない。
ミアは陰った視界の中で、静かに迫る手を微動だにせずただ見上げた。岩に押しつぶされんとする杖がみしみしと嫌な音を立てる。
「ミアっ!!」
エリシアの声が遠くで聞こえた。
やってしまった。
終わりだ。
ミアの無意識は人生を手放すことを考え始めた。
次この地に生まれることができるなら、本当の目でエリシアを見られたらいいな。走馬灯のように願望が脳を駆け巡っていく。
それに連動して、世界はゆっくりと進んでいた。
しかし、ミアの腰は何者かにさらわれていた。予想だにしなかった人影の速度に目を瞠りながらも、手から滑り落ちた杖が踏みつぶされる暴力的な音を聞く。そして速度が戻る視界の中で、矢が一直線を描くのを捉えた。それはしっかりとした軌道でゴーレムの岩の隙間に突き刺さる。
「まだ何一つ終わってないのよ!」
エリシアは淑やかな箱入り令嬢役を忘れて、ミアを地面に下ろしながら叫んだ。そして階層主の許へ走りだすと、突き刺さった矢の場所へ強い踏み込みで飛び上がる。驚異的な身体能力で巨体を駆け上がり、ふわりと宙を舞った。腰から伸びるフリルが風に煽られているがその姿はいつものエリシアだ。完璧な構えを見せたとき、レイピアの刃は彼女の守る者としての表情を映し出す。
ミアは無様にへたり込んだまま、無意識にも地面に手のひらを押し付けていた。
杖は魔導師のイメージ力を助けるだけだ。一流なら無くとも十分にこなせる。そう、エリシアに買ってもらった『ピエールの聖書』に書いてあった。
触れた場所に伝わってくる脈打つような生命活動を補足する。地中を這うように魔力が伝導する感覚が恐ろしかった。しかしミアは窮地を脱した冷めやらぬ興奮から、大広間の床全てがミアのものになった感触を掴まえた。
そして階層主の踏みしめる足元に焦点を合わせると、ゴーレムを狙うように《《言う》》。
「『──蟲生』!」
詠唱を省いての固有魔法使用。レイノワールがはっとミアの方を振り向いた。
その瞬間、地鳴りと共に大広間の地面が歪み始める。そして床中にひびが走り、崩れるように大きく割れると──巨大なセンティピードの醜い顔が空気中に晒された。
ゴーレムと同じく、体中に目玉を持った恐ろしい姿。触角は捕食対象を探している。たしかあの姿は四十階層の階層主だ。ミアはダンジョンにいるヘビ型モンスターを意のままにする、魔女と呼ばれた人の顔が脳裏によぎった。
しかしゴーレムはモンスターらしくもなく、動揺したように足元をふらつかせる。
エリシアは不安定な空中で、姿勢を崩すゴーレムに狙いを定める。矢が刺さった隙間から核の輝きが漏れていた。そこをめがけて腕を引き、
「『万物を消し飛ばす、灼熱の業火』。食らいなさいッ、『炎纏』──!」
空気抵抗を知らない剣先で、急所を一突きした。
ゴーレムに見晴らしのいい風穴が空く。それと同時にモンスターは床へ伏せた。忙しなく敵を見定めていた目玉は突如目的を失ったように活動を停止させる。核はエリシアのスキルで燃え尽きており、岩の身体はさらさらと風化していった。
そしてミアが呼び寄せた巨大なセンティピードも、役目を終えたと言わんばかりにもぞもぞと地中へ潜り返していった。
終わった?
ミアは大広間の真ん中でへたり込んだまま放心していた。
倒せた。三十五階層の階層主を。
そして予想通り、イルクパーティーは立ち去っている。広い空間にはエリシアパーティーの四人だけが佇んでいる。
アムドゥシアスが階層主の討伐を認めて、奥の回廊へと馬の足を走らせて消えていく。その数は思った以上に少なく、ミアの言った通りヒルシムは出来る限り狩りつくしたのだろうと思われた。
「ミア」
ミアは差し出された肉刺のある手を静かに見上げた。手の持ち主であるエリシアの顔が砂ぼこりで汚れている。ミアは腕を借りて立ち上がると、エリシアの顔に手を伸ばした。
「汚れてます」
親指で擦ると、赤い筋が現れた。エリシアはミアが撫でた右頬を気にするように片目を閉じる。
「いたっ」
「ごめんなさい、傷が……」
「大丈夫よ、これくらい」
「でも、やれました」
「……ミア。残念だけど、まだ終わってないのよ」
けれど言葉のわりにエリシアはすっきりした表情で、何もないだだっ広いだけの空間を眺めて言った。遠くにいるメルバも、レイノワールも感慨深そうに今の瞬間を噛みしめている。
エリシアパーティーは過去を乗り越えたのだ。三十階層の階層主に太刀打ちできず、逃げ帰ったあの日を。
「そうですね」
ミアも言葉と違う、あたかも終わったような表情で見渡した。
そして二人は自然と顔を見合わせる。ダンジョンにはふさわしくない、やけに緩んだ互いの表情に、揃って吹き出してしまった。
エリシアは目の端に浮かんだ涙を指先で拭いながら、ミアを見下ろす。二人の手は指を交差するようにしっかりと繋がれていた。
「帰りましょうか」
「はい。『まだ終わってない』、ですから」




