傷心シーフ、おっとりグラップラーに出会う 1
夜の光に彩られた街。まだ賑わいでいる人混みの中を少年が行く。年の頃は十五か六。頭をすっぽりと包んだフードは薄汚れていて、その足取りは重い。荷物らしい荷物は背に負ったボディバッグと腰に差した短剣のみ。
彼はすれ違う人々に目をひそめられ避けられつつも一軒の宿屋に行き着くと、やや緊張した面持ちでそこへ入っていった。
木造りのこじんまりとした屋内にドアーベルが遠慮がちに鳴る。
野鼠のように汚い少年に向け、店主はカウンター越しにもはっきりと分かる仏頂面をした。払おうとした銅貨が一枚足りないことが分かると、大きな鼻息まで吐く。
「持ち合わせがそれじゃお前みたいな輩が泊まれる部屋はこの町には無いよ。さっさと出ていきな」
宿を後にする小さな背中に放られたのは他の客からの嘲笑と店主の溜め息だけだった。
それでも通りを歩いていった少年は路地の入口にブロンズ細工の宿看板を見つけた。ドアの横に置かれたメニュー板に何かを書き込んでいる少女が彼に振り向く。けれど『いらっしゃい』と愛くるしい声が弾んだのも束の間、彼女は慌ててお辞儀をしつつ『うちではご遠慮いただいてますので』とだけ口にするとそれ以上少年と目を合わせることなく建物へ引っ込んでしまった。
少年は目をぎゅっと瞑った後、諦めきれないといった様子でドアノブにおずおずと手を伸ばす。その向こうでガチャンと鍵のかかる音がした。
その日彼はついに宿を見つけられず、市街の外れにひっそりと並ぶ木陰で土の地面に体を横たえた。夜風がまだ身に堪える三月中頃のことである。
* * *
翌日。少年は街の入口に来ていた。灰色の城門前には彼も含めて二十数人が集まっている。
街の商業ギルドによって募集をかけられた日雇いの仕事だ。内容は周辺の森林に出没する角兎の狩りだった。
組合の者が事故が起きた際の責任所在や狩猟のルールについて説明をし始めて間もなく、少年の後ろに上背のある男が近付いてきた。軽装の割に金属系アクセサリーの目立つなりをしている。ジャラ男は顔を寄せつつ
「どこの王子サマかな?」
と囁くや否少年の頭からフードを脱がした。ボサボサではあったものの艶やかな銀髪があらわになる。小さく口笛を吹いたジャラ男はしかし……。
即座に振り返った少年の鋭い眼光にたじろぐこともなく鼻で小さく笑ってお手上げのポーズをした。傍にいた別の男がこれまた無遠慮な野太い声で喋り出す。
「ほら、昨日宿に来たプリズナーのガキだ」
「文無しで追い出されたあの坊やだったか。悪かったな」
言葉と表情が一致していないジャラ男を睨んだ少年の眉間にはそう古くない斜め傷があった。
『オホン』という説明者の咳払いで少年は我に返ったらしい。フードを再び被るとジャラ男達に背を向けた。ただその肩は強張っている。その後にもしつこく少年の頭を軽く叩くジャラ男の掌は強く払われた。
* * *
森での狩りは早い者勝ちで狩場を選定して行われた。
角兎はモンスターのレベルとしては初級中のド初級である。単独で日常生活を営む彼等は対処法さえ誤らなければ大きなリスク無しに狩ることが出来る。瞬発力を生かした突進系の攻撃を躱しつつその急所に刃物等で一撃を撃ち込むことで戦闘が済む。何の問題も無い、どころかやや退屈な相手である筈だった。
だったのだが、少年はえらく苦戦していた。
右の逆手にナイフを構えファイティングポーズを取る。対峙する角兎は彼の体から見て半分ほどの大きさだ。
タイミングを見計らっていた角兎が野草を踏み散らし突っ込んでくる。兎の額から伸びた鋭い角に手が届くかという間合いで右足を退き半身に、やり過ごした瞬間に兎の横っ腹へナイフを突き立てる。
つもりが刃は虚しく空を裂き、逆にガラ空きとなった少年の右足目掛け角兎の猛烈なタックルがかまされた。態勢を崩された彼が目の前の茂みへ上半身から突っ込む。木の葉が舞い落ちる中、どうにか向き直ろうとするところへトドメとばかりに角兎は再び突っ込んできた。
「うわァッ」
急ぎ短剣で顔面をカバーするも右手の握力は限界に達していたらしい。唯一の武器は弾かれた上に手からすっぽり抜けて飛んでいった。そのままもみくちゃになって再び茂みの中へ倒れ込む。
だが超接近戦になったことで兎の角は用をなさなくなった。腕の中で暴れる兎の首をどうにか抱え込み、最後は力任せそれをへし折り……ようやく一匹目を仕留めることができた。
さも激戦後のような格好で少年は立ち上がり、飛んでいったナイフを探した。角兎を狩った証としてその額の角を取っておかねばならない。
しかし茂みの中をガサゴソとやっているうちに覚えのある声が聞こえ、少年は這いつくばった姿勢のままそっと息をひそめた。枝葉の隙間から覗けば数メートル向こうに先程の二人組がいたのだ。
「角と肉が四で皮三か。割といるな、この森は」
「すまねえ、一匹仕留める時にミスっちまった」
「いいさ。この分なら今日の酒代ぐらいは稼がせてくれそうだ」
「それにしてもあのボンクラどこまで行ってんだ、戻ってこねえじゃ――
ジャラ男が何かに気付いたように人差し指を口に当てる。やや間があって、また別の若者が木々の間からぬっと現れた。その大きな肩には仕留めた角兎を紐で結わって担いでいる。
「……二匹、狩った」
ぼそぼそとした報告にジャラ男達が明るく応える。
「おほっ、兄ちゃんやるじゃねえか。そのガタイだもんな。流石だぜ。この調子でどんどん頼むぜ。」
「よう、兄ちゃん、獲物はその石の上にでも置いといてくれよ、毛皮剥ぎ諸々やっとくからよ。報酬はさっき言った通り換金してから三分割だからな」
角兎を肩から降ろした若者は小さく頷くと再び木立の中へのっそりと消えていった。
それを見送ったジャラ男が小さく笑う。
「二割……いや、三割はせしめられるか。クハハ、軽過ぎ」
「こっちはじゃあお前持っておけよ。ヘマすんなよ」
「大丈夫だって、あのウスノロそうな顔じゃ最後まで気付かねーよ」
「聞いてみたらあれでもう親はいねえっつってたぞ」
「おいおい、そりゃ聞き捨てならねーな。もうちょっと仲良く付き合ってみるか?」
「バッカお前。……悪党だねえ」
二人は小さく忍び笑いをしている。ところへ話題の当人がまた現れた。
「……えっと」
「ゥおおおォ!?ッとぃ。……どうしたー?」
慌てふためき愛想笑いを浮かべるジャラ男達を不思議そうに見つつ彼は尋ねる。
「向こうに……ファングウルフが、いるんだ」
「あ? ああぁ……ああ、ああ。ファングウルフか、ファングウルフね。
……そりゃちと面倒だな。仕方ねえ、場所変えるか」
荷物をまとめにかかる三人。
一方、茂みに潜む少年の両拳は固く握られていた。鼻先の地面を数匹の蟻がちょこちょこと横切っていく。少年は右拳を高く振り上げ、僅かに震わせながらその拳を――
そっと地面に置いただけだった。