【 Ⅱ 】アーニー
突然、激しい音とともに地下室の扉が開け放たれた。
メンバーの一人、アーニーが転がり込むようにして部屋へ入ってくる。アーニーは三十代前半の黒人ドラッグディーラーだ。
「た、助けてくれ……!」
声はガラガラにかすれていた。首には深い裂傷がある。肉が大きく削がれ、シャツは鮮血で真っ赤に染まっていた。
「何があった!?」
Dタップはすぐに椅子から立ち上がる。
「畜生、イカれたアジア野郎め…………」
アーニーは傷口を手で押さえながら苦しそうにうめいた。
「アジア野郎? セルペント・ボーイズの連中か?」
ホルヘが訊く。“セルペント・ボーイズ”はフローラ・ギャングと競合しているベトナム系ストリート・ギャングだ。しかしアーニーはその問いに答えられなかった。大量の血を吐いて、膝から床へと崩れ落ちる。
「しっかりしろ! おい、P! 救急車だ!」
Dタップは叫びながらアーニーを抱え起こそうとした。だが、アーニーはすでに事切れ、その体からは力が失われていた。
「ひでえ……なんてこった……」
ポテージは口元を手でおおった。
「なんでセルペント・ボーイズの奴らはアーニーを襲ったんだ? ここ最近は揉めてなかったはずだけどな……」とホルヘ。
「いや……この傷は妙だ」
Dタップはアーニーの首の傷を注意深く観察した。撃たれた傷でも、切られた傷でもない。肉が深くえぐり取られており、まるで獣に食いちぎられたかのようだ。
その時、アーニーの目が見開かれた。
「アーニー?」
Dタップは驚きの声をあげ、彼の体を少し揺さぶった。
アーニーの目は瞳孔が開いていた。どこか濁り、よどんでいて焦点が合っていない。
「おい大丈夫か! P、何をしてる! さっさと911にかけろ!」
Dタップが叫ぶ中、当のアーニーは呆けたような顔をしていた。
「Dタップ……様子が変だぞ……」
ポテージはアーニーの尋常ではない雰囲気に声を上擦らせる。
次の瞬間だった。アーニーは異常な力でDタップを振りはらった。そして立ち上がり、低いうめき声をあげて、正面に立っているホルヘに突進する。
避ける間もなかった。ホルヘはアーニーに組みつかれ、首に噛みつかれて絶叫を響かせた。
「ぐああっ!? やめろ! 誰か、こいつをどけてくれ!」
「アーニー! 何やってる!?」
Dタップはアーニーの行動に仰天しつつも、力づくで彼をホルヘから引き離した。だが時すでに遅く、ホルヘの首は噛みちぎられ、おびただしい量の血が傷口から噴きあがる。彼は苦悶の形相でうめくと床へ倒れこんだ。
凄惨な光景を前に、ポテージも他の部下たちも、背中を壁に貼りつけて金縛りにあったように動けなくなっている。
アーニーは尚もうなり声をあげ、Dタップのほうを振り返った。両腕を前に突き出して、彼につかみかかろうとする。
「よ、よすんだアーニー! おい、落ちつけ!」
懸命になだめるも、アーニーが制止を聞く様子はない。血の滴る口からうめき声を漏らし、にじり寄ってくる姿には理性のかけらもうかがえない。
「くそっ……!」
Dタップはとっさにテーブルのビール瓶をつかむと、アーニーの頭に横から叩きつけた。ゴンと鈍い音が鳴り、アーニーはよろめきながら後ろへ倒れた。
すると、それと入れ替わるように、ホルヘがむくりと起き上がった。
アーニーと同じだ。血まみれで瞳はよどみ、獣じみたうなり声をあげている。
「ゾンビかよ……」と、部下の誰かが口走った。
「全員、今すぐ外に出ろ!」Dタップは大声で叫ぶ。
恐慌状態の部下たちを無理やり部屋から追い出し、扉に鍵をかけてアーニーとホルヘを閉じこめる。二人は激しく扉を叩き、人とは思えない声で吠え続けていた。
Dタップ、ポテージ、そして三人の部下は急いで階段を駆けのぼり、青果店の裏口から通りに出た。
外の世界は変わっていた。
薄っすらと霧の立ちこめる街には緊急車両のサイレンが鳴り響いている。警察と報道のヘリが、競うように上空を飛び回っていた。
街の数か所からは黒煙が立ちのぼり、火災も発生しているようだ。
部下たちは狼狽しきっていた。
「さっきのアーニーを見たか? SNSの動画と同じだ!」
「ヤクのせいか?」
「ゾンビだよ! 本物のゾンビだ!」
パニック状態で叫びあう。
そこに、一人のアジア系の男がゆらりと近づいてきた。足取りはぎこちなく、見開かれた瞳は濁り、焦点が合っていない。うめき声、血まみれの服……誰の目にも、アーニーやホルヘと“同じ状態”に見える。
「こ、こいつがアーニーを……?」
ポテージがつぶやく。アジア系の男は足を引きずりながら、少しずつ距離を詰めてきた。
「来るんじゃねえ! 撃つぞ!」
ポテージは震える手で拳銃を抜くと、男の体に銃口を突きつけた。
「よせ、撃つんじゃない!」
Dタップはその腕をつかんで拳銃を下ろさせる。
「行くぞ!」
彼は部下を先導し、路上駐車していた自分の車に乗り込んだ。ポテージは助手席に、部下の三人は後部座席に身をすべらせる。Dタップはエンジンをかけると、男を放置して車を発進させた。
二ブロックほど行ったところで路肩に車を停める。
Dタップはハンドルをつかみながら大きく深呼吸をした。
通りでは市民たちが慌ただしく駆け回っている。皆、スマホを手にし、誰かに連絡を取ろうと必死な様子だ。
「ホルヘはたしかに死んだよな……アーニーに噛まれて……」
ふと助手席のポテージがつぶやいた。彼は放心したように前を見つめたまま言葉を続ける。
「けど、生き返った。何が起きてるんだ?」
「少し落ち着いて考えさせてくれ」
Dタップはポケットからスマホを取り出す。
まずはボスのコッパーナットに電話をかけてみた。だが、つながらない。幹部たちにも連絡をこころみたが、やはり電話はつながらなかった。メッセージを送信するが、届いたかどうかもわからない。
「くそ、誰にも連絡がつかねえ……」
いらつくDタップの隣で、ポテージが車のラジオをつけた。
『シルバークリーク市内の数か所で暴力事件が発生中――』
ラジオはそう繰り返すだけだ。
Dタップはハンドルを握りしめ、目を閉じて頭をフル回転させた。
二人の部下――ホルヘとアーニーを失った。しかもただ失ったのではなく、二人はフィクションに登場するゾンビのような姿になった。
ショックだけではなく、未知の恐怖が心をむしばんでいる。
だが、その感情をわきにどける。今何が起きているのか……それよりも、自分がすべきことに考えを集中する。それが長年、裏社会でつちかってきたDタップの習慣だった。
「――よし、こうしよう」目を開けて言う。
「お前ら、今すぐ街中に隠してあるブツを回収しろ。俺は自分の運送会社で待つ。今は十一時前だから……二時までに戻るんだ。いいな?」
後部座席の部下たちは不安そうに顔を見合わせた。
「本気かよ?」と、ポテージが眉をひそめる。
「本気だ。ブツが集まったら、みんな一緒に街を出る。ブルーストーンのアジトへ行こう。そこも駄目ならニューアークだ」
「Dタップ、今すぐ街を出たほうがよくないか? ニュースは暴動って言ってるけど……本当はアーニーやホルヘみたいになった奴らが、街で暴れてるんじゃ……」
「おいP、びびってるのか?」
「俺がびびるわけねえだろっ」
挑発的に返され、ポテージは思わず強がった。
「びびってなんかいねえ。でも、こいつは普通じゃない。Dタップ、お前だって見ただろ?」
「ああ……たしかにアーニーもホルヘも普通じゃなかった。だが、いったい何が原因だ?」
「お、俺は知らねえよ。ヤバいヤクでもやったのか……テロ攻撃かもな?」
「テロ攻撃だって?」
「ウイルスがバラまかれたとか……映画やゲームみたいに」
ポテージは自信なさげに憶測を並べ立てる。Dタップは少し考えるも、やはり決断は変わらなかった。
「……ぐちぐち言ってもしょうがねえ。一番大事なのは俺たちのビジネスを守ることだ」
冷徹にそう告げる。しかし、部下たちは「家族が心配だ」と口をそろえて反論した。
「家族には今すぐ街を出ろと伝えればいい。ビジネスを守らなきゃ、家族だって養えねえ。違うか?」
Dタップは押し切ろうとする。だが、家族へ避難を指示しようにも肝心の通信がすでにパンク状態なのだ。
部下たちは「やれるだけのことはやる」と、どこか曖昧な返事をし、車から降りて街へ散っていった。
きっと誰も命令に従う気はないだろう……Dタップはそう感じる。だが、家族優先の意思を無理に止めることはできない。あえて念は押さずに部下たちをそのまま見送った。
「P、お前はどうする?」
「俺は……お、お前と一緒にいるよ」
「そうか」
Dタップは淡々と返したが、心の中では少し安堵していた。




