第62話 そうして企みの影もまた
「――以上が、福峰および冒冽花が現在おかれている状況だ」
『なるほどねえ』
手にした竹簡から顔をあげて老鬼が告げ、貴竜が相槌をうつ。
ところは、とある客桟の豪奢な一室。貴竜用に特別に宛がわれた部屋だ。
塵一つなく磨きぬかれ、置かれた調度品も珠玉の逸品。だが、そんなものを欠伸が出るほど見慣れた貴竜は、ただいま老鬼の話に興味をもつ最中なのであった。
牀に肘をついて寝転がり、手には湯気のくゆる茶器。その足元に老鬼は腰をすえていた。
クスリ、と今しも貴竜は肩を揺らす。
手にした茶器の中身が揺れて、水面に映る真珠色の彼の像を崩した。
『……すげえな。何をどうしたらそうなるんだ、って旅になってんじゃねえか』
「ああ。俺も正直、これを読んで目を疑った」
飴色髑髏の半面ごしでも神妙さをにじませて、老鬼も応じる。
その様子がまたおかしくて、貴竜は喉を鳴らした。危うく茶を零しそうになったので、笑みの形に唇をむすんで堪えた後、茶器を鼻先へ寄せるが。
くゆる湯気の香りを楽しみつつ口を開いた。
『けど、おかげで抱水が通常稼働を始めたわけだ』
「ああ。おおよそ一年弱の停滞だったが、どうにかな」
『お前たちも探してたんだろ? なんで見つかんなかったんだ?』
「端的に言えば、見当違いの場を探させられていたのだ。盲点だった」
『ふぅん?』
「蟲人の特異性を活かした手法だ。『一見してそうと分からぬ』者も多い故に、紛れこませられると厄介なのだ。そして、蟲人狩りはすでに独自の市場が形成されつつある」
『あー。“沼が深い”わけね?』
「うむ。しかも、その枠組みのなかで売買にまじり、定期的に移動させられていたようだ。なかなか気付きにくい」
『単なる人探しと見せかけて、別の底の見えない、ズブズブの沼の中にいたってわけだ?』
「そういうことだな」
「抱水のところでも似たようなことが言えたに違いない」と老鬼は言い添える。
合点が入った様子で貴竜は頷いて、なおも口を開いた。
『なるほどねえ。しっかし、ならすげえよな。冒冽花。たまたま陽零に范瑟郎が運ばれた時機に立ち寄って? 蟲人狩りに捕まり、范瑟郎を見つけて……そうと知らずに連れだし、福峰に連れ帰ったわけだ?』
「ああ。出来すぎた話だと思っている」
『笑えるほどに“持ってる”奴だなあ』
くくく、と貴竜が喉を鳴らすと、面白くなさそうに老鬼は鼻を鳴らす。そんな彼の反応がまたおかしくて、より貴竜は笑った。
にんまりと唇に弧を描きさえして、
『次はどこに行くんだろうな? あいつら』
と訊ねたりする。
弾む声色に仕方なく老鬼も応じた。
「風水僵尸のいる場所を目指すのだとすれば、近くだと春海か」
『春海かあ。っつーと、的穴と夭砂か。……ふふっ、いいなあ』
「いいな、とは?」
『俺もまた哥哥と冒冽花と“遊び”てえな、ってこと』
嬉々とし貴竜は舌なめずりする。老鬼は呆れた顔つきをした。
「先だって、あれほど叩きのめしたというのに」
『足りないねえ。つーか、叩けば叩くほどに伸びる奴だと感じたよ。ちいせえ鉄塊でも、繰り返し叩けば剣になるだろう? そういう奴だと思ったからね、哥哥と合わせて』
鼻歌まじりに仇敵を語る貴竜に、小さく肩をすくめると老鬼は首を振るう。
「俺は啰唆だから、あまりもう関わり合いたくないがな」
『ふふ。お前はなあ。っつーか、“目障り”って感じだもんな?』
「……フン」
鼻を鳴らし、ついに老鬼は顔をそむけた。
傍らよりまた笑声があがるため、なおのこと唇を曲げつつ、竹簡に目を落とした。その文字列を瞳でたどってゆく。報告に欠けはないか漏れは生じていないか。
そして、ある一文に行き着いたところで、ふと目をすがめた。
「貴竜」
そう呼ばう声は自然と低いものになった。
『んー?』
貴竜は不思議そうに目を瞬かせてくる。そんな彼に頷いて、
「冒冽花のことは置いておいて。お前、福峰を襲ったモノについてはどう考える?」
老鬼は本題を切りだした。
その問いに貴竜は動きを止める。数拍の間をおいた上で、傍らの卓へと茶器を置いた。
彼もまた、温度を失くした硝子球のごとき目をすがめていた。
そうして、空いた手でゆっくりと自身の胸元を撫でつつ、口を開いた。
『……そうだね。ざっと聞いた限りでも思ったよ。間違いなく俺たちの“開発者”が関わってるだろう、って』
「やはり」
『うん。気に関連する赤錆色の事物。人知をこえた存在を生みだす力……関連することが多すぎる』
言いつつ、貴竜は撫でていた手を止める。
おもむろに自身の衣の釦を外しだし、その合わせに手をかけた。ぐ、と前を開く貴竜に、老鬼は横目に『それ』を見やると顎を引く。
そこには傷だらけの胸元と、赤錆色の管で繋がれ埋め込まれている『玉』が存在した。
赤子の握りこぶしほどの大きさであり、滴る血のように赤い。
玉の表面には『勅令随身保命』と文字が刻まれている。
風水僵尸たちにとっての黄符、自律制御の要となる部位であった。
ある意味で心臓部であり――通常の骸とは異なる部位をさらした貴竜にたいし、老鬼は目を細めて、低く言い募った。
「きゃつめが動きだしたということは、俺たちも遭遇する可能性があるということだ」
『そうだね。何を思い、福峰を襲ったのかまでは分からないけど。ようやく会えそうだ』
「お前にそれを埋めこんで、風水僵尸に仕立てあげた張本人にな」
『うん。たっぷり礼をさせてもらわなきゃあね』
にっこりと、ほの暗い笑みをうかべる貴竜に、老鬼も頷き返した。
ようやくだ。ようやく目途が立った。ここからが始まりだ。
長い時を要したものの……目の前の青年を、終わらせる。
他ならぬ自身らが『仇敵』へと引導を渡すことによって。
老鬼の望みもまた冽花と同じところにあるものの、過程は大きく異なっていた。
だが、奇しくも歩みだすべき時は一致していた。
今度こそ、と願うのである。老鬼もまた貴竜とともに、ほの暗き決意を固めた。




