第33話 蟲獣の影、福峰への到着
それからさらに二日ほどの休みと準備期間を入れて、冽花たちは漣建の町を後にした。
次なる目的地は福峰である。
かねてよりの予定通り、賤竜の同胞である抱水に会うことと――新しく加わった理由、『抱水の契約者』に会い、話を聞くためであった。
賤竜の契約者として、先人に教えを乞いたい。今一度、気合いを入れ直すべく、冽花は燃えていた。
二人の料理人もその子どもたちも、いたく名残りを惜しんでくれ。とくに店東たちは「餞別だ」と言い、先を争うように弁当を拵えてくれた(むろん、老店東のがわは息子が作成した)。冽花たちはまた笑いつつ有難く受け取ったのであった。
一路、また舟で川をくだり、福峰を目指していく。
この頃にはすでに、探路は一人で危なげなく座ることができるようになっており、冽花、探路、賤竜の順番で舟に腰を据えていた。
賤竜は例によって傘をさしている。なんでも、『太陽の陽気に触れると、活動源でもある陰気が散らされてしまう』そうだ。
だから昼間には傘を差すのか、と納得して……こういったところも『流して』しまっていた部分に気付く。反省しきりである。
閑話休題。
一同の乗った船は、じょじょにより緑深き場へと進んでいく。
豊かな水源にはさまざまな動物たちが集い、冽花らの目を楽しませてくれる。
ふと視界の端に、いたく煌めく翡翠色を見たかと思えば、小柄な宝石はあっという間に水面へと消えて。その嘴に銀色の腹をくねらす小魚を咥えていたりする。
見事な翠鳥だ、初めて見る、とはしゃいでおれば、集団で水を飲みにきた水牛の群れにかち合った。人に見られることにも慣れているのか、堂々としたものである。
水牛でできた黒い岸辺に圧倒されていると、ついでその傍らに、ちょこんと鹿の親子がお邪魔しているのにも気づく。
見事なまだら模様の美しい鹿であり、野生の鹿を初めて見た冽花は、軽く身を乗り出す――と、折しもちょうど、子鹿のほうが顔を上げた。
その顔をひと目見るなり、冽花は身をのけ反らせていた。
「うぉっ!?」
「っ、どうしたんだい、冽花!?」
急な重心移動は舟ぜんたいを揺らすことにも繋がる。とくに、未だに立って歩くことも儘ならない探路には死活問題だ。
おもわずとか焦りの濃い声をあげて、船頭はおろか全員の視線が冽花へと集まる。
遅れて冽花も身を立て直し、皆を顧みるなり、しきりと詫びた。そうしてから、子鹿を指さした。
「対不起! いやね、あの鹿……蟲獣だからさ」
「なんだって、蟲獣? ……あれまあ、本当だ。珍しいねえ」
船頭が誰よりも先に反応した。
蟲獣と呼ばれた子鹿は――よく見ると、可愛らしい顔の右側面に、『血色の悪い人面』がくっ付いていた。質の悪い肉瘤めいて。
子が注目を受けているのを感じ取ったのだろう。親鹿がピンと耳を跳ねさせ、ひと鳴きするなり子を連れて逃げだす。
「あっ……行っちまった」
「まあ、鹿の蟲獣だからねえ。大人しいようだったし、大事はないと思うが」
「んでも、一応、報せといたほうがいいんじゃ……」
冽花は船頭を見る。と、ここで低く淡々とした声色が滑りこんでくるのに瞬いた。
『冽花。蟲獣とは何だ?』
あっ、と思い、冽花は肩ごしに振り返る。そういえば、彼には話していなかったことを思い出した。
「蟲獣は蟲人と同じ、『混ざりものの獣』だよ」
『というと、あの獣にも前世の魂魄の名残や記憶があるのか?』
「ある、っては言われてる。よく知られてないんだよ。蟲獣のほうが圧倒的に数が少ないからね。生まれてすぐに親に捨てられちまったり、前世の体の構造が今生のそれと上手くいかなかったりしてさ」
『なるほどな』
「本当に滅多に見ないから、見る時があれば話そうと思ってたんだ。ああ、でも、これも話しとかないとな……今の報せ云々について。モノによっては危ないからなんだ」
『ほう?』
賤竜がちょいと体を前に乗り出す。それに頷き返し、冽花も続ける。
「あたしも爷爷……育て親から聞いた話なんだけど。昔、でかい被害があったみたいなんだよ。今からちょうど二十年ぐらい前。酷いモンだったらしいぜ。結構大きめの村一つが、蟲獣の群れに滅ぼされたんだって」
『ほう』
「ほぼ生きられないから、生きてるヤツは物凄く強いんだ。で、なにか繋がりでもあんのかは知らないけど、生きてたヤツらは徒党を組むんだよ。さっきの鹿みたく草食うヤツらとかは安全だ。けど、獣の種類によっては――」
『狩る必要があるということか』
「そういうこと。だから、見つけたら近くの町に報せる必要があるんだよ。この場合だと、漣建と福峰かな」
「どうせ往復するんだ、報せはやっとくよ」
「謝謝、叔叔」
船頭が口を挟んできたので、それで話はお終いになった。
そうして、さらに船は南下していき――龍涎大湖周辺の河川域に到達する。
透明度の高い、深い翡翠色の水。見下ろせば、銀や金色の腹を輝かせて泳ぐ大小様々な魚の姿があり、瞳を上げれば両岸に新緑の田園風景が広がっている。
やがて見えるのは、巨大な翡翠色の水盤だ。
龍盤有数の広大さをほこる龍涎大湖が姿をあらわした。
「う、わあ……」
話には聞いていたものの、見るのは初めてである。
冽花はおもわず溜息をもらし、食い入るように眺めてしまう。そして、湖に浮かぶように存在する街が見えだすと、ますます姿勢を前のめりにした。
「あれが福峰か。話にゃあ聞いてたけど……」
なんて立派な街なんだろう。
傍らの水面がごとくに目を輝かせ、なおも溜息をつく。
彼女の目に飛び込んできたのは、堅固な城壁と賑わう大規模な船着き場。そして、数えきれぬほどの人々が行き交う、大きな石造りの橋であった。
傍らの水面をも見やれば、数多の商船や渡し舟がひしめき合っている。脳裏にふと探路のいつかの「経済が回るね」という一言が思い浮かんだ。
船は水門の一つを通り、ゆっくりと街へと入りこんでいく。
そこでも冽花は歓声をあげた。
「うわあ。すっげえ……!」
水路と住居との距離が近い。ほとんど目と鼻の先である。
水路に接している街並みは、しっとりとした飴色の木造建てで構成されていた。
“風火壁”と呼ばれる、反りかえり出っぱった軒先が印象的だ。軒先だけを煉瓦造りにして、火事のおりにも燃え移りにくくしているのであった。
水路沿いには店舗も多く軒を連ねており、荷下ろしをしている船や、品定めをしている人々の背がやはり間近に垣間見られた。
船上から見る人の暮らしという新鮮な体験に冽花が夢中になっていると、いつの間にか、船はほかの舟と連なり、水路を進んでいた。
そうして、ふと冽花が前方を見やると、またそれはそれは立派な橋が架けられていた。
回廊のような屋根のついた石橋である。
前を行く船がその下を潜ってゆく。見ている傍から想像できる臨場感に、唾を飲んだ。
今から同じ経験をするのだと思うと、またワクワクしてしまう冽花であったが。
ここでふいに、その屋根へと飛び移る者があったことが、騒ぎの始まりだった。
「お?」
冽花は目を丸める。
彼女の鋭い視覚は、屋根上の人物の驚くべき詳細をとらえた。
陽光に煌めく――派手な茶色がかる金髪に、これまた派手な『真っ赤な牡丹の花』めく刺青状の痣を、頬~薄手の衣より露わとする二の腕や足に咲かせている。煌めく金茶毛に覆われた、長い尻尾まで生えているではないか。
冽花は口を半開きにさせる。
蟲人である。こんな白昼堂々に!
いや、自分も白昼堂々に正体を現したことがあるので、他人のことは言えないが。
そして、その蟲人が猿を思わせる俊敏な動きで屋根を駆け渡っていくと、これまた驚くべき事態が生じた。
その後を追うように――水でできた一条の大きな蛇が、空をうねり泳いできたのである。
まるで生きた本物の蛇であるかのような滑らかな動きであった。宙を走り、ぐんぐんと蟲人に迫り、あと一歩のところで避けられ、屋根へとぶつかる。
だが、激突地点からひと回り小さく、二条に分かれては、再び襲いかかっていた。
それを見上げた船頭が、溜息まじりに口を開いた。
「また白墨党か……抱水様もご苦労なことで」
「白墨党? ……抱水様?」
見ているだけでハラハラさせられてしまう攻防だったが、まるで日常のように振る舞う船頭。冽花は目を瞬かせる。
そんな彼女に、船頭は頷いた。
「この町は大きいからね、それなりの数、蟲人もいるんだよ。白墨党は若い蟲人で構成されている荒くれ者集団だ。なんでも、『蟲人の待遇改善』をうたい、行動しているというが……そんで、抱水様はね――……って。大丈夫かい、お客さん?」
「え? ……っ、探路!?」
ふと冽花が振り向くと、ちょうど後ろから、押しだすような吐息があがった。
冽花は目を剥く。
そこには賤竜に力なく背を預けて、両手で頭をおさえ呻く、探路の姿があったのである。痛苦に歪められた顔の顔色は悪く、額に脂汗が浮かんでいる。
結局、漣建の町でも首輪を外すことはできず――頓服の効きもかんばしくない、そんな有様であった探路に、再び発作が起きたのだった。
「あ、頭痛いのか、探路!? お、叔叔、客桟! どこでもいいから近くの客桟に案内してくれよ! その分、金は払うからさ!!」
「おお、分かった!」
「すぐに客桟に着くからな、ちょっとの辛抱だぞ、探路!」
息せき切って告げる冽花の声に、探路の食い締められた唇は何も言うことはなかった。だが、小さい頷きが返った。
そうして、一連の騒動にまぎれて、冽花はおろか、一同の目は蟲人と水蛇の攻防から外れていた。
結局、蟲人は増え続ける水蛇に耐えきれず、一飲みに飲み干されて水路へ引きずり込まれていた。冽花が気付いた時には、そこには静寂があるばかりであった。
気にはなるものの、どうすることもできない。あれはこの街にまつわる問題なのだから。まさかに、陽零の町のようにはなりはしないだろう、と。
この時はそう考えていたのである。




