その19:霊能少年、ブチキレる
宇宙は広い。30人ほど無視してみたところで、大して手間が節約できる訳でもない。
いつも通り空の白み始める時間に、四方木礼祀は帰宅した。
「よー、お帰り」
四方木慶祀は相変わらずソファの上でスマホをいじっている。
先程の余計な干渉に文句を言ってやろうかとも思った礼祀だが、どうせ無駄だと思い直した。迎えの挨拶だけは毎日欠かさないが、飯を用意してくれたことも風呂を沸かしてくれたこともない父だ。
ニヤニヤと笑う父の横を素通りして、礼祀はバスルームに向かう。
「祭りは楽しかったかい?」
愉し気な口調に、思わず振り返る。
「いやぁ、なかなか言うじゃねぇか。証拠を残さない手口なんか幾らでも持ってる奴が、証拠も無しに人を犯罪者扱いするな、とはなぁ」
「何が言いたい」
剣呑な目で睨み付ける礼祀。霊気が膨れ上がる。
尋常な霊圧では無かった。地球上に存在する全ての霊感無き生物は、地震でも起こったのかと錯覚した程だ。
「別に? いいんじゃねぇの。そもそもお前じゃ犯罪者なんかにゃなれやしないんだし。人間だけだぜ? 犯罪者になれるのは」
「あ?」
確かに、黄泉祇は人間を差す言葉ではない。人間が誕生する40億年も前、いわゆる冥王代に霊能力に目覚めた現存する最古の生物、それが黄泉祇の初代であるよもぎなのだから。
だが…… 四方木礼祀は、常に半分は人間で在ろうとしている。現世と幽世の間に立つ者として。半分は怪異で在ろうとしているのと同じように。
人間は千差万別、怪異も千差万別。怪異みたいな人間もいて、人間みたいな怪異もいて。
その間に生まれる膨大な軋轢に潰されない力を持っているのは、黄泉祇くらいなのだから。
「寺にでもブチこんどきゃ済むようなガキどもをバケモンのガス抜きに使ったくらいで、イチイチどうこう言いやしねぇよ。親父なんて何回地球の生き物を皆殺しにしやがったと思ってる。お前も好きなようにやりゃいいんだ。な?」
「てめェ……」
「イスラエルとパレスチナにケリつけた時なんか、もっと熱かったじゃねぇか。結局関係者全員半殺しにしちまって、イギリスどころかアメリカまで滅ぼしかけて、最後は奇蹟まで起こす羽目になって。ありゃ傑作だったな!」
「ああ!?」
礼祀の霊力が加速度的に、爆発的に増大していく。周囲の魂魄を蒸発させかねない程に。
時空を遮断し、圧縮して凝固させ、因果を閉鎖する。黄泉祇は空間に沿って存在しているわけでもなければ、時間に沿って行動しているわけでも、運命に沿って活動しているわけでもない。黄泉祇にとって其れ等は十億年前に解明し尽くして以来二十億年間利用して来たものだ。
「ははっ! なぁに怒ってんだよ。どっか痛い所でも突いちまったか? 気にすんなって。気に入らなきゃやり直しゃいいんだ。人なんていくらでも生き返らせれ……」
「黙れ」
士鬼神を召喚する。
前鬼、後鬼、左鬼、右鬼、上鬼、下鬼、亜方鬼、仮方鬼、翌鬼、昨鬼。
父親に殺された、礼祀の兄姉姉妹たち。不死にして不止、不滅にして不可侵たる黄泉祇に成ることができず、人間にもしてもらえず死んでいった礼祀の士鬼神たち。
「なんだぁ? 遊んで欲しいのか? いいぜ、構ってやろう」
慶祀もまた、士鬼神を召喚する。
角の生えた子供、羽の生えた子供、毛皮の生えた子供、雪の肌の子供…… 祖父は人間以外にも色々試したらしい。
「いつも眠いの忙しいのと連れないクセに、今日は随分と甘えん坊だなぁ! まぁ、いいんじゃね? その気になりゃ寝なくて済む方法なんていくらでもあんだろ?」
「黙れっつってんだろ! 手前は此処等で一遍死んどけ!」
「いいねぇ、やれたら褒めてやるよ!」
超常すら逸したエネルギーの激突。不幸にも時空や因果に干渉する能力を持っていた者達は、その殆どが衝撃に目を回す羽目になった。
40億年前に生まれた初代にしてみれば、赤子同士の喧嘩に過ぎないが。
幾重にも施された結界を揺るがして、ブチ切れた霊能少年と、子供の扱いが下手な霊能中年の、2週間ぶりの激戦が始まった。
※※※※※※
「なんでこう、上手くいかないもんかねぇ」
慶祀は苦笑を浮かべながら、グラスの中身を一気に呷った。六十年物のマッカラン。
安酒だ。幾百幾千の時を費やした月酒や神酒に比べれば。
「イキモノなんて好きなように生きてどうしようもなく死ぬしかねぇってのに、余計なことを難しく考えて湿気た面ばっかしてやがる」
何が半分人間で半分怪異、だか。地球圏の知性の起源はよもぎだ。神々も人々もその後追いに過ぎない。人間も怪異も似たようなもんじゃねーか。
空になったグラスを無造作に畳に置くと、角の生えた少年がボトルの中身を静かに注いだ。
「おっとと…… 悪いね、兄貴」
小学生にも満たない歳に見える少年に、慶祀はそう言って、またグラスを呷った。
「嫌われんのはしゃーねぇが、何であんなに恨まれてんのやら」
畳に胡座をかき、酒面に映る自分の顔を見つめる中年。
その背後に立った幼女が、手を伸ばして慶祀の頭をよしよしと撫でる。
「ははっ、ありがとよ小ぃ姉。でも、止してくれよ。こっ恥ずかしいや」
幼女は手を止めることなく、天使のように笑った。その背中には天使のような羽が生えている。
礼祀の祖父……慶祀の父に殺された、慶祀の兄姉たち。慶祀の大切な士鬼神にして家族。
礼祀は何が不満なのか、と慶祀は、いつものように生真面目な顔で酒を勧めてくる兄と、いつものように和々笑っている姉の顔を見ながら首を捻ったが、いつものように答えは沸いて来なかった。
まぁ、いいか。
四方木慶祀は姉に撫でられながら、兄の注いでくれた酒を呑む。
何が正しいかなんて自分が考えても仕方ない。力こそが正義ならば、黄泉祇こそが正義なのだから。
だから、そういうのは怪異なり人間なりが考えればいいのだ。




