終の20:怖がりの物好き
四方木くんに謝らなきゃ。
自室のソファーベッドの上でクッションを抱え、小輪雁夏水は真っ青な顔で震えていた。いつどうやってあの教室から家まで帰ってきたのか、ほとんど記憶に無い。
思い出すのは悪夢のような放課後の出来事だ。彩湖蓮ちゃんがいきなり四方木がストーカーしてるのを見たとか言い出した時はワケが分からなかった。何言ってるの? と言おうとしたが、十字河さんが巨体に怒気を漲らせると、あまりの迫力に言葉が出なくなった。
後はもう…… 思い出すのも恐ろしい。
特に、四方木くんの怒った顔はもう二度と思い出したくない。思い出したらまた魂が飛んでしまうだろう。
彩湖蓮ちゃんの足と、十字河さんの腕もそうだ。
暴力は苦手だ。もう純粋に苦手だ。ケンカどころか格闘技の試合さえも痛そうで見ていられない。作り物だと分かっている映画さえもキツい。
変な方に向いてしまった彼女たちの手足を思い出してしまうと、自分の手足にぞわぞわとした違和感が走って叫び声を上げそうになる。
……それでも、思い返さないわけにはいかない。
私は付きまとわれた憶えは無いと、四方木くんの怪しいとこなんて見てないと、声を大にして訴えなくてはいけなかった。あのままストーカー扱いされたら、四方木くんの生活も将来も滅茶苦茶になってしまう。
いや、もう滅茶苦茶になってるんじゃないか? ストーカーが濡れ衣だとしても、彩湖蓮ちゃんと十字河さんに対する傷害は事実だろう…… いやそれを言ったら、あの2人の方だって明らかな暴行犯だ。私人逮捕とか正当防衛とかって簡単には認められないんじゃなかったっけ? 警察官でも裁判官でもないのに、なんでみんなあんなにアグレッシブなの?
俯いて震えてる場合じゃないのに、俯いて震えることしかできなかった。その結果…… もう何がどうなってしまったのか。とにかくクラスは滅茶苦茶だ。
震える手で、スマホをタップし、クラスのグループチャットを開く。
『私は四方木くんがストーカーしてるとこなんて見てないし、されたとも思えない。ちゃんと話をした方がいいと思う』
一刻も早く伝えなければと思いながら、文面はこれで本当にいいのだろうかと躊躇する。こういう人と衝突しそうなことは、全部彩湖蓮由璃がやってくれていた。誰に何をどのように伝えればいいのか……
考えて考えて、悩みに悩んで。結局、顔を合わせて伝えた方がいいかも、と削除ボタンを押した時には日付が変わっていた。
早く寝ないと。
彩湖蓮ちゃん達が何処の病院に入院したのかも気になったが、まぁそれはそのうちメッセージか何か送ってくるだろう。いつも大量かつ頻繁に送ってくるんだし。
それよりも、明日…… 今日、学校に行くことの方が大事だ。今度こそしっかりしなければ。寝不足でぼんやりしてたら説明も弁解も出来ない。
「四方木くんに謝らなきゃ四方木くんに謝らなきゃ四方木くんに謝らなきゃ……」
ヨモギヨモギと執拗に呟き続ける少女には、怪物も悪霊も畏ろしくて近づけなかったという。
※※※※※※
翌朝。
四方木礼祀は、やっぱり頗る機嫌が悪かった。
親父との決戦は、分かっちゃいたが不毛に終わった。お互い、不滅にして不可侵たる黄泉祇同士だ。糠に釘ブッ刺し放題である。
互いに危害を加えるには、まず法則や原則、定義や設定といったものを無効化するなり改変するなりしなければならない。無効化を無効化し、改変を改変し合う、字面を見れば小学生の意地の張り合いみたいな戦いが続いた。
プロレスの試合をしようとしたらリングに上がることもなく台本の製作会議をさせられたような、eスポーツをしようとしたらゲームの電源も入れずにハッキング合戦が始まったような…… 想定通りの期待外れ。仕様もないことこの上ない。
結局、憤懣遣る方無しと、朝っぱらから教室で仏頂面を机に伏せている。
そんな礼祀に近づける奴なんて、誰もいなかった。
恐ろしくて仕方ない。教室に来るのもイヤだったが、家に居たところで安心出来るワケでもない。何かあったとき四方木に土下座できる場所にいた方がマシだと判断したクラスメイト達が、大人しく席に座って震えている。
それでも、昨夜のうちに怪異に驚かされ、スピリチュアルなエナジーを食われてしまった者は、学校に来ることも出来ずに寝込んでいるし、
二度と教室に来ることのない者もいる。
結局、3年2組は半数近くが欠席となっていた。
担任や保護者はさぞかし頭と胃を痛めることだろう。
やがて予鈴が鳴り、本鈴が鳴って、礼祀は寝ぼけ眼で身を起こす。
親父のせいでいつにも増して眠いが、担任の教師は授業中に生徒が寝ていると哀しそうな顔をする人なので。
ホームルームで学級閉鎖が告げられ、下校となった。「家で大人しくしておけ」「夜遊びは厳禁だ」としつこく念を押された。
今日は誰彼時までゆっくり寝られそうだと、礼祀が欠伸をしながら鞄を手に取った、その時。
「あっ…… あの、四方木、くん」
蚊の鳴くような声で、礼祀を呼び止める者がいた。
小輪雁夏水である。
目の隈がひどい。
昨夜はろくに眠れなかった挙げ句、朝方ようやくうつらうつらし始めた時には突然の大地震(夢だったようだが)に叩き起こされた。
髪にも服にも焦りと疲れが色濃い…… それでも、天然物の美少女は目が覚めるほどの美少女だったが。
「あ? 何か用か、小輪雁」
礼祀は中途半端に振り向き横目で夏水を見る。
それだけで、夏水は膝から体を震わせた。顔が青ざめて隈が浮き上がる。今にも卒倒しそうだ。
……誰も、間に入ろうとしない。
塚井馳夫は凍りついたように動かない。天野手鞠は必死に目を反らしてガタガタ震えている。保健は頭を抱えて踞り、矢追文花は手を組んで祈り始めた。
根瓶誠二は、十字河護里は、彩湖蓮由璃は、この場に存在しない。
クラスのアイドルを、誰も助けようとしない。
「あ、あのっ」
誰の助けも借りず、小輪雁夏水は言った。
「ごめんなさいっ!」
深々と頭を下げる。
四方木礼祀は首を傾げた。
「お前に謝られるようなこと有ったっけ」
四方木礼祀は回想する。こいつ、何もしなかったっていうか、何もできなかったっていうか、何も言えずに俯いて震えてただけだったような。
そうだ。小輪雁夏水には何もされてない。こいつは者を犯罪者呼ばわりしなかった。
「ああああのっ、四方木くんに、ストーカーなんて、された憶えなくって、なのに、私、ちゃんと言えなくって、だから」
なんと、庇ってくれようとしていたらしい。この、生まれたての梟鸚鵡よりも頼り無さそうなイキモノが。実際何の頼りにもならなかったし、感謝の念が沸き上がってくることもなかったが。
「あー…… 悪かったな」
この人畜無害な小動物を、敵意や悪意を向けてきた連中と同列に扱ってしまった…… 何とも言えない決まりの悪さを覚え、四方木礼祀は頬を掻く。
よくぞ生きててくれたものだ。妖怪達の忖度には感謝せねばなるまい。
「もう気にすんな。小輪雁のことは、前と同じように扱ってやるよ」
「え?」
夏水は呆けた声を出す。悪かったな、とはどういうことなのか。責められこそすれ、謝られるようなことは何一つしていないはずだが。
「じゃーな。気をつけて帰れよ」
まだ呆けている夏水に背を向け、礼祀は歩き出す。
さっさと帰って、今日は寝よう。親父のおかげで最悪だった気分が、何でか小康になったし……
「あ、あのっ!」
立ち去ろうとした背中に、もう一度、呼び止める声が響いた。
振り向くと、胸の前で両の拳を握り締めている夏水の姿。
「ん? まだ何か用か?」
眠そうな顔で、礼祀は答える。
「いっ、一緒に帰りませんかっ」
はぁ?
礼祀も、居合わせたクラスメイト達も、目が点になった。
「どーした、急に」
「え、えっと、四方木くんも、寝ながらは歩かないよね?」
「まぁ、そりゃ普通はな」
「だから、今なら邪魔にならないかなって、その……」
「あー、いつもの、彩湖蓮とかが、今日いないからか? 一人で帰るのが嫌なんか」
「えっ!? えっ……と」
確かに一人は好きじゃない。変な物音とかするとビクッとしてしまう。
でも、今はそういう理由じゃない。彼を一人にしたくないのだ。その気持ちを、見える形にしたいのだ。
そういうことを積み重ねていけば、殴り合ったり言い争ったりしなくても、トラブルは解決できると夏水は信じている。
「きゅ、急にも何も、友達と一緒に帰るって、別に、フツーのことだと、思います」
なんとなく敬語になりながら、夏水は答えた。だってそうだろう? クラスメイトと一緒に帰るだけのことに、何か理由が要るか?
礼祀は目を丸くした後、
ふっ、と表情を緩めた。
「分ーったよ。俺ん家、新紙台だから、別れるとこまでな」
「あっ…… わ、私、挽擂町だから…… 幕戸屋の前まで、かな」
「おう。っても特に共通の話題もねーけどなぁ。彩湖蓮たちとは何を話してたんだ?」
「えーと、例えば、昨日の朝は…… あっ…… つ、つぶつぶみかんの粒が缶の底に残らないように飲むにはどうすればいいか、って……」
「マジかよ。どういう結論が出たんだ」
四方木礼祀は歩き出す。
歩き出した礼祀の横に、夏水が並ぶ。
眠そうな顔で歩く礼祀の隣を、夏水が眠そうな顔で歩いていく。
昨日の悪夢が嘘のような、穏やかな時間……
「!?」
夏水は、ビクンと肩を震わせて、校舎を振り返った。
二階の窓辺から、誰かに凄い目で睨まれたような気がしたからだ。
他のクラスは授業中で、廊下には誰もいないはずなのに……
評価・感想、本当にありがとうございます。随時返信させて頂きます
完結までのお付き合い、重ね重ねありがとうございました
小輪雁さんは怖がり
https://ncode.syosetu.com/n1580ks/
一応続編になります。ジャンル違いの不定期連載ですが




